「おばあちゃん、わかりました。」
芦田有咲は電話口で静かに返事をしたが、心の中ではただの社交辞令だと思っていた。
佐藤家のおばあさんがどれだけ優しくしてくれても、佐藤司はやはり実の孫だ。
もし本当に何かトラブルがあったら、佐藤家は外から来た自分を味方してくれるだろうか?有咲はそうは思えなかった。
それは、お姉ちゃんの義両親を見てもよくわかる。
結婚前はお姉ちゃんにとても親切で、実の娘ですら羨むほどだった。
でも結婚してからは態度が一変し、夫婦喧嘩があるたびに義母がお姉ちゃんばかりを責めるようになった。
結局、息子はいつまでも「自分の子」で、嫁はいつまでも「他人」なのだ。
「そろそろ仕事行く時間でしょ?じゃあ、おばあちゃんはこれで切るわね。夜は司に迎えに行かせるから、一緒にご飯食べましょう。」
「おばあちゃん、私、夜は閉店が遅いので、今日はちょっと難しいかも。週末でもいいですか?」
週末は学校が休みで、文房具店もお客さんが少ない。そういう時は店を閉めることもできて、やっと時間が取れるのだ。
「そう、じゃあ週末にしましょう。お仕事がんばってね。」
おばあさんはそれだけ言って、電話を切った。
有咲はすぐに店に向かうのではなく、まず親友の夏川奈奈にメッセージを送り、昼休みの学生が来る前に店に戻る予定だった。
人生の大きな節目を終えた今、まずはお姉ちゃんに報告してから引っ越す必要があった。
十分ほどして、有咲はお姉ちゃんの家に着いた。
義兄はすでに出勤しており、お姉ちゃんの芦田桐子はベランダで洗濯物を干していた。有咲の姿を見て、少し驚いた様子で言った。
「有咲?今日は店、開けないの?」
「お昼からでも間に合うから。」
有咲は手伝いながら、「陽ちゃん」はまだ寝てるの?」
「うん、起きてたらこんなに静かなわけないでしょ。」
桐子は小さな服をハンガーにかけながら言った。
有咲は黙ったままハンガーを渡し、それでも口を開いた。
「お姉ちゃんさん、昨日のこと……」
桐子の手が止まり、声を落とした。
「有咲、夫は別に、あなたを追い出したいわけじゃないの。ただ、仕事のプレッシャーもあるし、私も収入がないから……」
彼女は夫をかばうように言った。
有咲は何も答えなかった。
義兄の本音は、もう分かりきっている。
義兄は会社で課長をしていて、給料も高い。お姉ちゃんと義兄は大学の同級生で、もともとは同じ会社に勤めていた。
結婚してから、義兄は「これからは僕が養うから、家でゆっくりして赤ちゃんの準備をして」と言って、お姉ちゃんは幸せだと思い、仕事を辞めて専業主婦になった。
結婚して一年後には元気な男の子が生まれ、子育てと家事に追われ、お姉ちゃんは自分の身なりに気を使う暇もなくなり、もう職場に戻ることも難しくなっていた。
あっという間に三年が経ち、お姉ちゃんはかつての若くて美しい女性から、体型も変わり、服装も適当な専業主婦になってしまった。
すでに収入のないお姉ちゃんに、義兄が「割り勘」を提案してきたのは、有咲の存在もあってのことだ。お姉ちゃんは再び働きに出るしかなかったが、家のことは結局全部お姉ちゃんが背負うことになった。
有咲とお姉ちゃんは五歳違い。
十歳の時に両親を交通事故で亡くし、二人きりで生きてきた。
両親の事故の補償金は、本来なら二人の学費に十分な額だったが、祖父母や外祖父母に一部取られてしまった。
残ったお金で二人は節約しながらなんとか大学を卒業できた。
実家は祖父母が住み続けていたため、有咲はずっとお姉ちゃんと一緒にアパート暮らしをしていた。お姉ちゃんが結婚して、やっとその生活が終わったのだ。
お姉ちゃんは有咲を大事に思い、結婚前から「一緒に住ませてほしい」と義兄に頼んでくれていた。
その時は快く了承してくれたが、今になって疎まれるようになった。
「お姉ちゃんさん、ごめんね。私のせいで迷惑かけて……」
有咲の声はかすかに震えていた。
「そんなこと言わないで!」
桐子はすぐさま遮り、目に涙を浮かべた。
「お父さんもお母さんも早くにいなくなって、有咲しか頼れない。」
有咲の胸が温かくなった。
子供の頃はお姉ちゃんに守られてきた。今度は自分がお姉ちゃんを支えたいと思った。
もう迷いはない。お姉ちゃんに向かって言った。
「お姉ちゃんさん、私、結婚したの。さっき手続きしてきたばかり。伝えておきたくて、これから荷物をまとめて出ていくね。」
「結婚したの!?」
桐子の声が一瞬で大きくなり、ほとんど叫び声だった。
信じられないという顔で妹を見つめる。
「有咲!どういうこと?彼氏なんていたの?」
桐子の声が震えていた。
有咲は帰り道で考えていた説明を口にした。
「実は、しばらく前から付き合ってたんだ。佐藤司っていう人。仕事がすごく忙しくて、なかなか会わせる機会がなくて。彼にプロポーズされて、私もOKして……それで手続きしてきたの。」
なるべく明るく話すように心がけた。
「すごく優しくて、立派な人だから、心配しないで。私、幸せになるよ。」
桐子はどうしても納得できなかった。
妹から彼氏の話なんて一度も聞いたことがなかったのに、突然結婚だなんて――
昨夜の口論を思い出すと、全部聞かれていたのだと胸が苦しくなった。
目が熱くなり、涙が止まらなかった。
「有咲、ご飯代のことはちゃんと話してあるから!焦って結婚なんかしなくても、急いで引っ越さなくてもいいんだよ!」
この「彼氏」とやら、どうせ知り合ってから間もないに違いない、と桐子は確信していた。
有咲はお姉ちゃんをそっと抱きしめ、背中を優しく撫でた。
「お姉ちゃんさん、本当にお姉ちゃんさんのせいじゃない。私と司はちゃんと愛し合ってる。だから、喜んでほしいな。」
そしてしっかりと言った。
「これからも、しょっちゅう会いに来るから。」
桐子はしばらく泣いて、やっと少し落ち着いた。
もうここまで来てしまったら、受け入れるしかない。
涙を拭いて、不安そうに尋ねた。
「佐藤さんのご家族は、どんな感じなの?」
有咲は佐藤家のことを実はあまりよく知らない。おばあさんとは三ヶ月ほど前から顔を合わせているが、佐藤家の詳細については特に聞いていなかった。
おばあさんが話すことをただ聞いていただけで、司が長男だということしか知らない。
佐藤司は東京でも有数の大手企業に勤めていて、車も家もある。家庭環境も悪くないはずだ。
有咲は、自分が知っている範囲のことをお姉ちゃんに伝えた。