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第3話 入社前夜


「これ、美味いな。食べてみ!」

「……」

「臣、どした?考えごと?」

「え?なんで」

「爪噛んでるから。いっつもそうだから」


健流が差し出した新製品のお菓子に手を付けず、口元にあった手を掴まれた。


「だって、明日」


(入社式だ)

研修会も暫く続く。知らない人ばかりで、初めてのことばかりだろう。


社会に出る……考え出すと不安が溢れて止まらない。

会社へは、晴臣の実家から遠すぎて通えない。必要最小限の荷物を携えて、売れ残りマンションで当面暮らすことになった。


健流は大喜びで、明日の準備を持ち込んで、晴臣の家から一緒に出社する。

晴臣の心配をよそに、ウキウキとしている健流を眺める。処世術に長けている人間には、こんな気持ち解らないんだろう。


「俺が居るだろ?一緒なんだし。心配すんなって」

「だから、そういうの……俺は健流の力を借りずに、自分で頑張りたいんだ」

「臣、そういう意味じゃない。俺が一方的に力貸すとかじゃなくて! 知らない所でも、二人力を合わせて行こう!」


強がっては見たものの、健流に力強く手を握られて、その温もりに理屈無く晴臣の心が解れてゆく。


「会社は絶対大丈夫。良い会社だ」

「なんでそんな事、分かるんだよ?」

「分かる。俺には」


(俺が受けたから、受けただけのくせに)


自信満々でニヤリ笑いしている健流を、晴臣は訝しげに見つめた。


「色々受けたけど、臣と俺両方を採用したのは、今の会社だけだ。

俺達二人に目を付けて、合格にするなんて、見る目ある会社だと褒めてやりたいな。成長の見込み有る、センス良い会社だと俺は評価した。だから、大丈夫だ。良い会社だから安心しろ」

「お前、どんだけ上から目線で、何様発言なんだよ……」


健流の超人的な思考回路に呆れ果てたけど、一周回って笑えてきた。


(健流の言葉を聞いていると、本当に小指の先位は、そんな気もしてくる不思議)


「臣、そんな事より」


ソファに並んで腰掛けていた晴臣が、あっと言う間に健流の胸の中に引っ張り込まれた。


「見てみ」


健流は掛け時計を指さす。

二人が生まる前から飾っているらしい時計。家具は大半撤去しているけれど、売れ残りの家に居残って時を知らせてくれている。

年季の入った時計の長針と短針が重なり合って…僅かに長針が動き始めていた。 


「あ、」


(もう0時過ぎだ!)


明日は初日入社式。

だけど早く寝ようと言えない、思えない。

時計から視線を健流に移すと、嬉しそうな笑顔が視界いっぱいに広がった。


「健流、おめでと」

「臣!!」


ソファになだれ込み、抱き合いながら、浴びるほどキスをして明日の事を忘れた。







ー入社日に続きやすー


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