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第3話 驚愕の再会


桐谷羽菜は外に出て、助手席に乗り込んだ。

シートベルトを引いて、カチリと締める。


数日ぶりに顔を合わせた桐谷智也は、少し痩せたように見えた。

もともと彫りの深い顔立ちはさらに鋭さを増し、目鼻立ちの整った横顔は、思わず目を奪われるほど。


……やっぱり、私はまだ彼のことが好きなんだ。

――忘れられるわけがない。


「はい、入社祝い」


彼が差し出したのは、深い青色のベルベットのジュエリーボックスだった。


羽菜はそっと受け取り、蓋を開けた。

中には、一つの勾玉が静かに収められていた。


透明感のある翡翠、もしくは穏やかな光を宿す瑪瑙から、丹念に彫り出されたもの。


勾玉は、古来より日本で「霊力を宿す護符」とされてきた神聖な宝器であり、厄災を祓い、平穏を守るお守りとして、大切に扱われてきた。


その勾玉は、流れるように滑らかなフォルムをしており、ふっくらとした頭部から、鋭く尖った尾部へと曲線を描く、水滴のような形状。


磨き抜かれた表面は、指先に触れるとまるで体温のようなぬくもりがあり、しっとりと優しく手のひらに馴染んだ。



羽菜はジュエリーボックスを両手で抱えたまま、首を少し傾けて智也を見上げた。


「……どうして、こんな高そうなものを…?」 


桐谷智也は穏やかに微笑みながら、彼女の瞳をじっと見つめた。


「古美術品の修復をしてると、古なものや墓から出たものにも触れるだろ。

 ――だから、守ってくれるものを身に着けたほうがいいと思って」


そう言って、彼は勾玉をそっと取り出し――


「……ほら、つけてあげる」


手元で光を反射する勾玉を、羽菜の首元へと慎重にかけた。

その仕草には、思いやりと、言葉にしきれない想いが、静かに宿っていた。


指先が髪を払うとき、指の腹が首筋にふれた。


ひやりとした感触に、思わず肌がピクリと震える。

心の奥まで、小さな震えが走る。


――この人の指先、昔から敏感に感じてしまう。


いまの関係を思うと、羽菜の胸は痛んだ。

平静を装いながらも、声が少し揺れる。


「……もう、こういうのやめてね」


期待してしまうから。

――まだ、想ってくれてるかもしれないって。


……もっと、ほしいって、願ってしまうから。


智也は、ハンドルに手をかけながら、淡々と答える。


「ただのお祝いプレゼントだ。気にすることじゃない」


エンジンがかかり、車は静かに走り出す。



三十分後、桐谷家の本邸に到着。


玄関を開けると――

白髪の祖母・桐谷静江が、よたよたと歩いてきて、羽菜を抱きしめた。


「まあまあまあ、羽菜ちゃん……! 数日見なかっただけで、ばあば、寂しくて死にそうだったよぉ!」


――いつもは上品で凛とした祖母が、今日はずいぶんとオーバーな気がする。


羽菜は少し戸惑いながらも、笑って返す。


「おばあさま、何かご用があるって……」

「いいのいいの、まずはご飯! 食べてから話しましょ」


食卓には山海の珍味がずらりと並び、食事はとても豪華だった。


静江はにこにこと羽菜の皿に料理を取り分けながら、語りかけてくる。


「三年前、智也の嫁を探してた時にね。いろんな子の写真を見たのよ。その中で、私が一目で気に入ったのがあなた。目が優しくて、耳たぶがふっくらしていて……

 “この子はきっと、家を繁栄させる顔だ”って、ピンときたのよ!

 ほら見てごらん、智也があなたと結婚してから、足は治るし、会社もうなぎ上り!」


そう言ったあと――

突然、彼女は激しく咳き込みはじめた。


羽菜は慌てて背中をさする。

咳き込みながらも、静江は手をしっかりと羽菜の手に重ねた。


「本当に、あなたみたいな子は、もういないのよ。

 あの頃の智也は、足が動かなくて、すごくイライラしてて……

 何人も介護の人がやめたのに、あなただけずっとそばにいてくれた」


涙が、彼女の目からぼろぼろとこぼれ落ちた。

羽菜は急いでハンカチを取り出して、目元をそっと拭う。


智也は黙って箸を握ったまま、深く考え込んでいるようだった。


静江は彼をちらりと見やりながら、苦しそうに息を吐く。


「ばあばの願いはただ一つ。ふたりが仲良く暮らして、早くかわいいひ孫の顔が見たいのよ……」


羽菜は目を伏せて、チラリと智也の顔を見る。

――まだ、おばあさまに離婚の話はしていないようだ。


「……私ね、年だし、いつどうなるか分からないの。

 でも死ぬまでに、あなたたちの子どもを見れたら、もう思い残すことはないわ……」


羽菜の鼻の奥がツンとした。


「おばあさま、そんなこと仰らす、どうかお元気で、長生きしてください」


「もう八十よ。身体がしんどくて仕方ないの。

 ちょっと横になるわね……」


彼女は胸を押さえて、立ち上がろうとした。


羽菜も急いで立ち上がり、静江を支えながら寝室まで付き添った。


寝室の扉の前で、静江がふと振り返る。


「今夜から、ふたりはここに泊まってちょうだい。羽菜ちゃんが妊娠したら、そのとき引っ越していいわよ」


智也が何か言いかけたが、静江はそれを遮るように、腰を折ってベッドへと向かった。


羽菜はそっと手を添えながら、静江を寝かせる。

ベッドに横になった彼女は、羽菜の手を握ったまま、ささやくように言う。


「……あなたが実家に戻ったの、知ってるのよ。

 でも大丈夫。私がいる限り、あなたたちを離婚なんてさせない。智也はいい子だから、私の言うことは聞くわ」


「でも……」


「“でも”じゃありません。有栖川玲奈って子は、苦しみを共にできない人。

 そういう人間が、うちに入る資格なんてないのよ」


羽菜は少し間を置いて尋ねた。


「お医者さまに診てもらいませんか?」


「必要ないわよ。年寄りなんて、どこかしら悪いの。

先に戻って大丈夫よ、お腹空いたでしょ?」


「わかりました。……おやすみなさい、おばあさま」


羽菜が部屋を出たあと。


布団の中で静江は、サッと起き上がった。

――その姿は、さっきまでの弱々しい老女とはまるで別人のように、しゃんとしていた。


羽菜がダイニングに戻ると、桐谷正一郎が焼き鳥のもも肉を彼女の皿にのせた。


「ほれほれ、羽菜ちゃん。あったかいうちに食べな」

「ありがとうございます、おじいさま」


智也は箸を置き、祖父に目を向ける。


「……じいちゃん。前に来たとき、ばあちゃんまだ元気そうだったのに。

 急にこんなに弱って……大丈夫なの?」


「年寄りってのはな……元気に見えても、ある日突然ぽっくり逝くもんなんだ。

 だからこそおまえら、無茶だけはするな。……絶対に、ばあちゃんを刺激するなよ」


智也の顔がぐっと引き締まった。


食事を終え、二人は客間へ戻った。


ドアを閉めたところで、羽菜が口を開いた。


「……どうするの? 本当にここに住むの?」


智也はネクタイをゆるめながら答える。


「しばらくは仕方ない。ばあちゃんの身体心配だし……様子を見よう」


羽菜はちらりと後ろのベッドを見る。

「……ベッド、一つしかないよ?どうやって寝るの…」


智也は口元を緩めた。


「目を閉じて寝ればいい」

「……ねえ、真面目な話してるの」


彼は腕時計を外し、ぽんとベッドサイドに置いた。

「先に風呂入っていいよ」


「……うん」


羽菜はお風呂に入り、急いで身支度を整える。

戻ってくると、今度は智也がバスルームへ。


羽菜はベッドに横になったものの、目は冴えたままだった。

――離婚目前のふたりが、同じベッドに寝るなんて、どう考えてもおかしい。


そんなとき――

智也のスマホが鳴った。ベッドサイドに置かれたまま。

羽菜は彼のプライバシーに触れずにそのままにしておく。


着信は二度ほど鳴って止んだ。


しかしすぐに、今度は羽菜のスマホが鳴る。

画面に表示されたのは、見覚えのない番号。


「はい……?」

「桐谷羽菜さんですか? え…智也さん、一緒にいます?」


――妙に甘ったるい声の女性。


「あなた、どなたですか?」

「えっと……妹なんです」


羽菜は彼の親戚かなと思い、

「今、お風呂に入ってます。出たら伝えますね」と伝えた。


「ありがとうございます」


やがて、智也がバスルームから出てきた。

腰にバスタオルを巻いただけの姿で、髪をタオルで拭きながら――


……広い肩幅、引き締まった身体、くっきりとした腹筋。

橙色の灯りが、彼の肉体を美しく照らしていた。


羽菜の心臓が跳ねた。

顔が熱くなる。耳まで真っ赤。


彼から目を逸らしながら、小さな声で告げた。


「……さっき、あなたの妹さん?から電話があったわ。伝えておいた」

「わかった。ありがとう」


智也はスマホを手に取り、しばらく画面を見てから、無言で部屋を出て行った。

戻ってきたとき――彼の表情は、驚くほど険しかった。


「……わざとだろ」

「……え?」

「有栖川玲奈が自殺未遂した。……お前、何を言った?」


脳が真っ白になった。


「は?わたし、その人が有栖川さんだなんて知らなかったよ!

 “妹”って言われたから、てっきり親戚かと思って……」


智也は口をつぐみ、服を取り出して身支度を整える。


そのままドアに向かって――

外で待っていた祖父が、彼の行動に気づいて声をかける。


「こんな夜中に、どこ行くんだ?」

「……玲奈が入院した。様子を見てくる」


祖父は、鋭く言い放った。


「羽菜ちゃん! 一緒に行きなさい!」


祖父の言葉に逆らえず、羽菜は頷いた。


「…はい、おじいさま」


服を着替えて、ふたりで出発する。

車が交差点を越えたところで、羽菜が口を開く。


「……適当なホテルで降ろして。私行かなくていいから」

「一緒に来て。……玲奈に、ちゃんと説明してくれ」


――胸が詰まる。


もともと、私が悪いわけじゃないのに――なぜ、説明しなければいけないの?


羽菜が黙っていると、智也は片手で彼女の頭をやさしく撫でた。


「……玲奈は重度のうつ病なんだ。……頼むよ」


一時間後――


病院の個室に入ると、玲奈はちょうど胃洗浄を終えたばかりだった。

ベッドの上でぐったりと横たわり、顔色は真っ青。

髪は乱れて、体は細くやせ細っている。


その顔を見た瞬間――

桐谷羽菜は、思わず目を見張った。



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