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第1話

【1-1】i─Con

 衝撃の影響で生中継の映像が乱れモニターが数秒ほど停止する。

(……ひどいかお)

 暗い画面に映った自分の顔を見てヒカルはぎょっとして表情を歪めた。

 覚えたてのメイクはイマイチで、数週間前から慌てて手入れをした髪も艶々とは言い難い。

 右の黒目だけが若干大きい。千倉ちくらヒカルはすぐにモニターから視線をそらし、横を向いた。

 窓から外が見える。雲ひとつない青空、茫洋と広がる大海。今自分は飛行機に乗っているのだと嫌でも自覚する。

 ぼんやりと外を眺めているとモニターの映像が復活する。白金真咲と四ノ宮湖鐘。日本を牽引する2人のトップアイドルが熾烈な戦いを今も繰り広げていた。

 BLAST.Sブラスト・エス――加熱し続けているアイドルブームの最先端を走るこの競技は、アイドルが専用の強化外骨格を身にまとい、死力を尽くして戦うエンターテインメントだ。

 そして今対戦している2人は、このアイドル大戦国時代と言われている現代の日本で一番売れているアイドルグループ『i─Conアイコン』のメンバー。彼女たちはデビューしてから1年半程度だというのに、様々な賞を獲得し、この芸能界でCM、映画、ドラマ、バラエティ番組、はたまたアニメのタイアップなど、数多くの分野で活躍している。

 そんなi─Conの中でも人気を誇る2人のBLAST.Sだ。注目されないわけがない。

 ヒカルが座っている席の隣、そのまた隣、さらにまた隣も、皆BLAST.Sを観戦している。

 一方、ヒカルはというと、あまり観る気にはなれなかった。

 ヒカルが好きなのは白金真咲だけで、他のアイドルはあまり興味がない。ゆえに多種多様なアイドルが出演するBLAST.Sはあまりそそられない。

 なにより、真咲本人がそれほどBLAST.Sを好いていないというのも理由のひとつだ。

 早く目的地に着かないものか。肘置きに肘をついてぼんやりと外を眺めていると、不意に、足元になにかが当たる感触がした。

 チラッと下を見るとなにかの機械のようなものが転がっていた。ヒカルはそういったものに明るくないのでよく分からないが、どうもなにかのパーツのように見える。

「すいません、それわたしのなんです。ごめんなさい」

 突然転がってきた謎の物体に眉をひそめていると、視界の外から声が聴こえてきた。

 女性の、それも甲高くて甘ったるい声だ。ヒカルがパッと顔をあげると、通路側の席の少女が気まずそうに笑って立っている。

 くりっくりの大きな目、ふわっふわの黒髪セミロング。そこからぴょこっと飛び出た可愛らしい耳、小柄で妖精のような可愛らしさを持つ少女に、ヒカルは口を開けて固まってしまう。

 美少女、あまりにも美少女だ。突然声をかけられてどうすればいいか分からず「えっと」とか「あの」なんて言いながら黒目だけをぐりぐりと動かす。

「あ、あの……それ、取ってもらってもいいですか?」

 妖精のような美少女が困った調子で訊ねてくる。ヒカルはハッとして美少女と足元を交互に見て、ようやく要求を理解する。

(と、とらなきゃ!)

 慌てて腰を曲げて足元の物体を拾い上げるヒカル。思ってたよりもズシッと重い感触に驚きながらも、どうにか隣の席の人を挟んで美少女へと物を渡す。

「ありがとうございます」

 ニコッと微笑みかけてくる美少女。そのあまりの眩しさにヒカルは口角をヒクつかせて「へひっ」と変な返事をしてしまった。

 本当は「いえいえ、お気になさらずに」みたいなことを言おうとしたのだが、全然上手くいかなかった。舌が回っていない。

 だが美少女は特にリアクションすることなく自分の席に座る。

 なんてことない顔で機械をしまう美少女の横顔を見て、ヒカルは目を伏せて鼻で息を抜いた。

(あの人もきっと、参加者に違いない。絶対そうだ。あんな可愛いんだもん)

 またひとり、ヒカルを追い詰める存在に身を縮こまらせる。

 千倉ヒカル、15歳。まだ未成年どころか高校生になったばかりの少女は、出身地である本土の東京から離れ、現在i─Conの2期生募集オーディションの会場へと向かっていた。

 初めての飛行機、初めてのオーディション。1次の書類審査、2次のオンラインでの対面式の審査もどうにか通ったヒカル。残るは今日の3次審査のみだ。

 内容はまだ分かっていない。一切知らされていない。

(まぁ多分自己PRとかなんだろうけど……憂鬱だ)

 これからのことを考えると不安で仕方がない。なにせヒカルには他人にアピールできるほどのものなんて持ち合わせていないのだ。

 身長は可もなく不可もなく、身体だってこれといって特徴のない身体だ。平らなボディ。

 髪は肩甲骨のあたりまで伸びているけど、それも別に好きで伸ばしてたわけじゃない。ケアを始めたのが最近ということもあり、艶々でとぅるんとぅるんの黒髪からはほど遠い。

 顔だって別に可愛くないと思っている。なんの特徴もない平凡な顔パーツたち。さっきの美少女はくりっくりの大きな目とぴょこんと飛び出た耳が特徴的だった。

 それに比べて自分はどうだ。右目を見られないために伸ばした前髪をおろして隠している。

『当機はまもなく、新東興都市しんとうきょうとしに到着いたします。着陸体制に入りますので……』

 機内アナウンスが流れ、ヒカルは眼下の景色を見て心を落ち着かせた。

 新東興都市──日本の最東端にある巨大な経済特区の人工島、ここは過熱しきっているアイドルブームの中心地だ。三角形の広大な島には多くのイベント会場があり、中央にはこれまで多くのアイドルがライブを行ってきた新東興都市国際中央ドームがある。

 この人工島へのアクセス方法は空路か海路での定期便だけで、それなりのお金がかかる。今回だってi─Conが所属する芸能事務所である『プラネテス』がチケットを出してくれなければ来れなかったくらいだ。

(しんどくなってきた……)

 ヒカルは背もたれに身を沈め、ギュッと、首から下げたペンダントを握る。

 幼い頃に親戚の叔母から貰ったお守り代わりのペンダント。これまでの人生で肌身離さず持ち歩いている。というより持ち歩かされていた。どこかへ出掛けるときに必ず母に押し付けられ、忘れたときは追いかけて持たされた。片手に収まるか収まらないかくらいの大きさの円形のペンダントで中の宝石のようなものが時々青白く光っている。開けて確認しようとしたがそもそも接合面すらなくて、どうやってこの宝石を入れたのだろうかと今でも考えてしまう。

(にしても、そんなに心配しなくてもね……)

 ヒカルは幼い頃事故に遭った。たぶん命の危機に見舞われたのだろう。だろうというのはヒカルにはそんな記憶がないからだ。それでもひとりでどこかへ出掛ける際は母に過剰なほど心配されたし、これをお守りだといって押し付けられた。

 心配性なのだ。今日だって新東興都市へ向かうことを最後まで不安に思っていたくらいだ。

(なんかの間違いで通ったりしないかな……)

 卑屈な考えを抱きながら、ヒカルは細く息を吐く。

 あの場所に自分の未来がある。今日の結果次第でもしかしたらそうなるかもしれないと思うと、ヒカルはまたもや緊張で体が固くなっていくのを感じた。

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