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【1-3】逃げる

『それでは始めます。ただいまから5分間。耐久戦スタートです』

 合図が響くと同時に、アナスターシャが姿を消す。

 I.De.Aを装備したアンドロイドは、右手のショートソードを構え、一直線に突撃してきた。

「は、はやっ」

 参加者のうちのひとりが呟いた。

 少女が背中のスラスターから推進剤を噴射し、その輪郭を認識する頃には、アンドロイドは目の前まで迫っていたのだ。 

 横薙ぎの一閃、呆然としていた参加者がI.De.Aの弱点であるチェストコアを切り裂かれる。

 ピーッ、ピーッと甲高い電子音が鳴り響き、参加者の身体を包んでいた合金製の鎧も半透明の膜も消えてしまう。

(たった一撃で耐久値が……)

 目の前の光景に呆然とするヒカル。I.De.Aに備わっている耐久値、これこそがBLAST.Sで勝敗を判断するための値で、つまるところI.De.Aの体力だ。

 確かに、チェストコアはI.De.A全体に動力を供給している重要パーツで、BLAST.Sでも積極的に狙われる場所ではあるが、まさか一撃で全部持っていくだなんて。

(これで5分間生き残る……? マジで?)

 つーっと、頬に冷汗が流れる。

 次いで参加者達の悲鳴。甲高い声で叫びながら四方八方に散っていく。

 無理もない。参加者はほぼ素人。BLAST.Sを見たことはあっても参加したことなどないのだから。

(とにかく逃げて時間を稼がなきゃ……)

 この審査での合格条件は5分間耐えること。

 決してあのアンドロイドを倒すことではない。無理して戦う必要なんてないのだ。

 他の参加者もなんとなくそんな空気を察しているのか、無理に戦おうとはせず、ジリジリと距離をとるだけだ。

 しかしアンドロイドに搭載されているプログラムはそんな平易な展開を許さない。

 次々と参加者に襲い掛かるアンドロイド。ショートソードを振るい、近くにいた参加者がまた脱落する。

 さらにもうひとり、下から上へショートソードの切っ先が迫り――パァンッとなにかが弾けた音が鳴った。

 戦っている位置から少し離れたところに、武器を構えた少女がいた。対I.De.A用のライフルを両手で構えている。

 暗い茶髪を三つ編みでふたつにまとめた小柄な美少女。その体躯には不釣り合いなサイズの武器で、アンドロイドの右手に見事命中させたのだ。

(うわっ、あんなところに命知らずが……)

 助太刀に入った三つ編みの美少女を見て、ヒカルは口角をヒクつかせる。

 そりゃ1人で相手をするようなものではないとは思うが、だからといって助けたらこちらがターゲットになるだけだ。

(まだ1分ちょっとしか経ってないし)

 バイザーに表示された時間を見てヒカルは密かに舌打ちをする。

 とにかくここは戦いたい人達に任せて自分は逃げた方がいい。ジリジリと後ろに下がって、戦っている位置から距離をとっていく。

 しかし、ひとり、またひとりと戦う参加者が現れたことで審査の流れが少しだけ変わった。

 同じように武器を構え、アンドロイドと戦い始めたのだ。

 各々が支給された武器を持って、アンドロイドに立ち向かう。

 無論ヒカルは見ている側だ。なにせヒカルはこれまで誰とも戦ってこなかったのだから。

(私の人生、逃げてばっかだ)

 戦っている参加者を眺めながらヒカルは過去を思い出す。

 小学生の頃、千倉ヒカルはいつの間にかいじめられていた。

 なにか決定的なことがあったとか、トラブルを起こしたとか、そういうことではない。なんとなく、気付いたときには周囲に味方はおらず、どうでもいい理由で迫害されていた。

 そしてヒカルは逃げた。周囲を取り巻く脅威から、痛みから、悪意から――逃げて逃げて、戦うことからも逃げて、辿り着いたのが、アイドルだった。

 いじめられている日々をどうにか生き延びていたのはi─Conのセンター、今やこのアイドル大戦国時代の頂点に立つ正真正銘のトップアイドル、白金真咲がいたからだ。

 この世のものとは思えないほど綺麗で、この星の女の子の中で一番可愛いアイドルである真咲はヒカルにとって希望だ。毎日を生きる糧だ。

 真咲に会いたくて、仲良くなりたくて、ずっと一緒にいたくて、ただそれだけの理由でi─Conに入ろうと思った。

 だというのに、今ヒカルは逃げている。戦わなきゃいけない場面で逃げている。

 せっかくI.De.Aを身に着けて、戦うための力を手に入れたというのに、他の人に任せて、自分は隅っこで縮まるばかり。

 もちろん、戦いたい気持ちはある。それにおそらくこの場所はモニタリングされているはずだ。積極的に戦わない人間が審査でどう判断されるのか、想像に難くない。

 だけど、ヒカルは今さら近づいて戦うことなんてできなかった。

『5分経過しました』

 過去を回想しながら戦闘を眺め、6人目の脱落者が出たときアンドロイドの動きが停止した。

 ヒカルは少し離れた場所でバイザーに映っている5分のタイマーがゼロになったことを確認する。

 耐えきった――といってもヒカルは一定の距離を保ちながらただぼんやりと戦闘を眺めていただけなのだが。

 とはいえ脱落者は6人だ。30人の参加者でたったの6人。落ちた人は気の毒だが、アナスターシャの言葉が本当ならここにいる生き残った参加者は全員3次審査通過となる。

 参加者がそれぞれ顔を見合わせる。少しだけ笑っている子や、まだ信じられないとでも言いたげに警戒している子もいた。

『終了です』

 アンドロイドの目の前にアナスターシャの姿が浮かび上がる。

 音もなく近づいて参加者の1人の前に立ち、にっこりと笑った。

 その笑顔を見てヒカルは安心する――と同時に、右目の瞼がピクピクと痙攣した。

『最初に説明した通り、耐久値が残っている皆さんはひとまず合格となります。つづいて別の施設への案内を――』

 行います。という言葉だけが聴こえてくる。

 だが、ヒカルにはその言葉の意味が理解できなかった。

 音声が乱れたとか、要領の得ないことを言ったわけではない。

 ただ単純に、目の前の信じられない光景に意識を持ってかれただけだった。

 投影されたアナスターシャの一部に穴が空いたのだ。

 腹部に空いた丸い穴、彼女の腹部を貫いた一筋の青い弾丸はアナスターシャの目の前にいた参加者をも撃ち抜く。

「……なんで?」

 疑問の声をあげたのは参加者であった誰かだった。

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