アナスターシャの案内通り、バスは30分ほどで到着した。
とはいえシャッターが下りた状態で走り続けていたので、どこを走っていたのか分からない。
なんだか段々と走行速度が落ちてきて、停まったと思ったらガタガタとバスが揺れ、揺れが収まったと思ったらアナスターシャが現れ、到着したと告げられたのだ。
『荷物を持ってバスを降りてください』
淡々とした命令に皆素直に従う。
ヒカルも自分のバッグを持って、琴子の後ろにつきながらバスを下りる。
そこは、シンプルかつスタイリッシュなデザインの邸宅だった。
バスが停まっている場所はおそらく庭の一角だろう。左側には堅牢なつくりの門があり、右側にはガラス張りの玄関口が見える。
広い造りの邸宅だ。外から見るといくつも窓があってモダンなデザインのアパートっぽくもある。各部屋にそれぞれあるっぽいベランダに広めのバルコニー、テラスの近くにはプールもあるようだ。
一体ここはどこなのだろう。敷地内だけでも最終審査の会場とは思えないほど生活感に溢れていて、まるで大家族の住宅だ。
「ここはi─Conのホームだ」
謎の場所に皆が困惑していると、玄関口から声が聴こえてきた。
なんだか聴いたことがあるような、ないような。男性の声だ。ヒカルはバッグを肩にかけたまま声が聴こえてきた方へ視線をやると、短髪の中年男性が姿を現した。
オーディションの関係者なのだろうか。闖入者の出現にヒカル達はポカンとしてしまう。
男性はカツカツと歩いてヒカル達の前に立ち、ゴホンッと咳ばらいをする。
「えーi─Conのゼネラルマネージャーの
風間と名乗った男性が軽く頭を下げる。風間亮平、彼はi─Conのファンの間で少しだけ有名な人物だ。公式での重大発表やマスコミ対応の際に現れるいわゆる運営側の人間。
言ってみればそれなりに大物なのだが、そんな彼がなぜこの場所にいるのか。そして出てくるときに言った『i─Conのホーム』というのはどういう意味なのか。
なにか不穏なものを感じる。ヒカルは風間の挨拶を聞きながら警戒する。
「それでは、さっそく最終審査に入ります。この邸宅はi─Conの現役メンバーが生活しているホーム、言わば事務所が管理している寮ですね。君たちが2期生となった暁には、地元から引っ越してここ新東興都市のこの寮で暮らしていくことになります」
ぺらぺらと説明をする風間。当たり前のように出てきた寮という言葉にヒカルはびっくりして思わず建物を見上げる。
(ここにi─Conのメンバーが、白金真咲さんがいる? ほんとに?)
確かにこれまでのメディア出演でのトークから、i─Conのメンバーは同じ建物、マンションに住んでいるんじゃないかみたいな噂があったが、まさかそれが本当だったとは。
しかもi─Conに入ればここで暮らすことになる。確かにアイドルの仕事の中心は新東興都市だ。この島にはBLAST.Sのためのライブステージもあるし、研究所もあるし、スタジオもテレビ局もある。ここを活動拠点とするのはなんらおかしい話ではない。
でもそれは最終審査を合格すればの話だ。一体どんな方法で合否が判断されるというのか。
皆考えていることは同じなのか、緊張した面持ちで風間の次の言葉を待つ。
「よし、ということで、移住して芸能活動してもいいよーって人は手ぇ挙げて」
あまりにも軽いトーンで風間がパッと手を挙げる。
(……え? どういうこと? 移住? 芸能活動? 最終審査は?)
言葉の真意が読み取れず、ヒカルは思わずキョロキョロとしてしまう。
すると困惑顔の柴えると目が合って、互いに首を傾げる。
「あの、質問の意図がよく……分からないのですが」
参加者の一人、この中で一番背が高い年上っぽい美少女が困惑した調子で訊ねた。
やはり皆も理解していなかったようで、同じく風間を見つめる。
しかし風間は特に気にする素振りは見せず、手を挙げたままカラッと笑った。
「意図もなにも、言葉通りだよ。まずは君たちの同意。保護者様からの同意もいるけど」
「最終審査はどうするんですか?」
「だから、これが最終審査。君たち、本当にアイドルになるつもりある? i─Conに加入して、芸能活動する気はありますか?」
明かされた審査内容に皆絶句する。
アイドルになるつもりあるのかだなんて、そんなの、当たり前だ。そのためにここまで来た。そのために戦ってきたのだから。
一体この男はなにを言っているのだろうか。ヒカルは呆然としてしまう。
「言っておくけど、i─Conは普通のアイドルじゃない」
どう動くべきなのか、互いに出方を窺っていると、風間が冷たい口調で言い放った。
「世間ではトップアイドルなんて言われてるけど、実際はまだまだ発展途上だ。このままトップにいけるかもしれないし、あっけなくダメになるかもしれない。戦いの場はBLAST.Sだけじゃない。このアイドル業界そのものが、ライブステージであり、命を削る戦場であり、君たちの人生となる。まともな青春は送れない。よくある友人関係は築けない。それどころか自分が思い描いていたことなんてひとつも実現しないかもしれない。それでも君たちはここで暮らし、ここで戦うことを選ぶ?」
ゴクッと、生唾を呑み込む。
半端な覚悟で入ってはいけない世界だ。なんとなく、分かったつもりでいた。
いや、こう言われてもまだちゃんと分かっていない。
アイドル大戦国時代と言われる日本。少女達がアイドルを目指し、夢半ばで散っていく。
千倉ヒカルもその中のひとりとなってしまうかもしれない。
だが、そうじゃないかもしれない。
(……ここまで来たんだ。死に物狂いで這い上がってきた)
そう、ヒカルはあのとき、暴走したアンドロイドと対峙したとき誓った。
絶対に生き延びてアイドルになる。
ヒカルはそのためにここまでやってきたのだ。
だから今さら怖気づいて立ち止まるわけにはいかない。
自分の脚が震えているのを自覚しながらも、ヒカルはギュッと握りしめていた拳を開き、ゆっくりと右手をあげた。
そして、ヒカルが手を挙げたときと全く同じタイミングで、そこにいた最終審査の参加者全員が手を挙げる。
その光景を眺め、風間はスッと手を下ろしてフッと笑った。
「おめでとう、それじゃあ君たちをi─Con二期生のメンバーとして歓迎します」