1期生の先輩へ挨拶するのはまた今度とのことだった。
まずは寮への荷物の搬入。といっても生活に必要な家具家電は部屋に備え付けのものがあるので、持ってくるのはもっぱら私物だけでいいのだが。
「――ってことなので、今度私の服を送ってもらってもいい? 後で住所送るから」
『そ、それは構わないけど……ヒカルあんた本当に受かったの?』
「受かったって。事務所からも連絡来てたでしょ?」
『いや来てたけど……そう、本当に……本当に?』
真っ白な壁に映っているのは、本土である東京の実家の居間と、驚きっぱなしの母親の姿だ。
風間から指示されたのはまず親への報告だった。スマートデバイスを使い、寮の自室の壁をスクリーン代わりにしてテレビ通話で親へオーディションに受かったことを報告したのだが、これが中々信じてくれない。
合格した段階で事務所から連絡を入れてくれたらしいのだが、それでも本人から報告があるまで信じられなかったらしい。今もあまり信じていないようだが。
『それで、しばらくはそっちで暮らすの? 学校とかはどうするの? ご飯とか大丈夫なの? お金は? 生活費とか、ちゃんと管理できるの?』
「一気に色々聞かないで……多分そういうのは近いうちに事務所から説明があるらしいし」
『近いうちっていつなの?』
「いや私もよく知らない……」
目線を逸らしてのヒカルの返答に母ははぁっとため息を吐く。
母親らしいその態度を見てヒカルもまた子供らしくムッとした。
「大丈夫だよ、おっきい事務所なんだし。そこら辺はちゃんとしてると思うよ」
『事務所じゃなくて、あんたのことが心配なの……大丈夫? 共同生活だって初めてなんでしょ?』
「……だいじょぶだよ、たぶん」
不安なところを衝かれ、ヒカルは視線を落とす。
寮に入ってすぐヒカル達は談話室に集められ自己紹介をした。
皆が普通に自己紹介を済ませていく中、ヒカルだけ名前を噛んで支離滅裂な話をしてしまったのだ。絶対舐められたに違いない。
マイナスからのスタートだ。不安じゃないわけがない。
しかしもう始まってしまったのだ。今さら辞めますとは言えないし言う気もない。少なくとも白金真咲に自分の存在を認知してもらうまでは絶対に辞めないと心に誓っている。
『とにかく、荷物は送っておいてあげるし、他にもなにか必要なものがあったら言いなさい。ずっとそっちにいるわけじゃないんでしょう?』
「うん、お仕事で本土に戻ることもあるかも……あっ、そうだ。お母さん、あれ送って、板タブ。机の上に置いてあるから」
『はいはい、すぐ欲しいものはそれだけ?』
「あとは……うん、大丈夫。私物って言われても……特にないし」
『……そう、後でお父さんにも連絡しておきなさい。気にしてたんだから』
「はーい」
『ヒカル』
母がヒカルの名前を呼ぶ。
顔をあげて画面を見ると、母が嬉しそうな寂しそうな、不思議な表情を浮かべていた。
『合格、おめでとう』
一言、ただそれだけ伝えられ、通話が終了する。
ヒカルはそのまま後ろに倒れてベッドに寝転がり、ぼんやりと天井を見上げた。
寮の部屋は皆同じ間取りらしい。特別なメンバーもいるらしいが、ヒカルにとってそれは特に気にならなかった。そもそもこの部屋自体、ヒカルの実家の部屋よりも広い。ベッドもモニターもテーブルもクローゼットもエアコンも冷蔵庫も――どれもいいものだ。
「さすがトップアイドル……」
天上を見上げながら呟く。ヘッドボードの充電パッドにスマートデバイスを置いて起き上がり、窓に近づいて外を眺める。
寮から見える景色は自然一色で、新東興都市中心部の都会的な風景が嘘のようだ。
だが、よくよく目を凝らすと遠くにビル群が見える。あれはおそらく新東興都市の東エリアにあるオフィス街だろう。
「本当に私、i─Conになったんだ。2期生として……ほんとに?」
自分で言って自分で疑ってしまう。グイっと頬を引っ張ると確かな痛みがあり、これが夢じゃないことを確信する。
あそこでしっかりとアイドルになると宣言したものの、未だに信じられない。今頃実家がある本土に帰ってモソモソとご飯を食べていると思っていたのに。
「……それも全部これのおかげってことかな」
カチャッと、首に提げたI.De.Aを手に取る。
正体不明のオブジェクト。なぜ自分がこんなものを持っているのか、皆目見当もつかない。
知ってるとしたらこのI.De.Aをヒカルにプレゼントした親戚の叔母だろう。彼女がなんの仕事をしているのかヒカルは知らないが、少なくともこのI.De.Aに携わるなにかのはずだ。