4月7日、千倉ヒカルがi─Conの2期生となり2日が経過した。
必要だった荷物も今朝がた届き、タレントとしての書類上での手続きもひとまず終えることができた。書類を見て、説明を受け、サインをする。それの繰り返しだ。
そして今日のスケジュールはオーディション合格者発表会への出演だ。正式にi─Conの2期生としてメディアに顔見せをする。
初めてのメディア露出になるのでそこそこ気合の入れた服を着なければならないのだが――
「……なんかもうめんどくさくなってきた」
寮の自室でヒカルは自分の服を見下ろして呟く。
発表会には私服か制服で出る。メイクも衣装も用意されず、なんならすっぴんで出ても構わないというのがアナスターシャの言だ。そっちの方が素人感というか原石感があってウケがいいらしい。
そんな大人の思惑はともかく、すっぴんでもいいというのはヒカルとしてひじょうにありがたいお言葉だった。なにせメイクなんてまともにできないのだから。
とりあえず送られてきたものの中で適当な服を見繕って出よう。そう思ったのに準備は遅々として進まなかった。
挙句の果てには服を選ぶのがめんどくさくなる始末だ。ヒカルは服に何の興味も持てない自分を初めて憎いと思った。
「もう時間ないし、ここら辺でいいや」
呟いてヒカルは普段着の黒いストレッチパンツと白の長袖ブラウス。そして上に黒のフード付きパーカーを選んだ。
外に出かけるときは大体この格好だ。2色でまとめた地味な服装。その方が目立たないから。
さっと着替えて母に送ってもらった小さなバッグを手に取る。ゲームパッド型のスマートデバイスを入れて指に引っ掛け、部屋の中にある姿見の前に立った。
「……わからん」
これが正解なのかも分からないままこれ以上考えることをストップして部屋を出る。
誰もいない通路を歩いていると不意に近くのドアが開いて人が出てきた。
「おっ、ヒカルだ」
現れたのは寿崎琴子だった。
今日も彼女は美少女だ。黒髪ロングのストレートは艶々、淡白な表情もいつも通り。
「おはようございます。琴子さん」
「おっはー……おっ、ヒカルの私服初めて見たかも。いいね、シンプルで」
「あ、ありがとうございます……」
生まれて初めて服のセンスを褒められ口ごもってしまうヒカル。無理やり褒められているような気がしないでもないが、琴子がそういうことをする人とは思えない。多分本当にいいと言ってくれてるのだろう。
シンプルを極めたヒカルの私服に対して琴子の私服は少し変わったものだった。
黒のスキニージーンズと白シャツにベージュのカーディガン。一見シンプルだが白シャツにはだるだるのシャツとゆるゆるのハーフパンツを着たヤギがソファでくつろいでいるといった画がデザインされている。
部屋で寛いでいるヤギ。くたびれた服を着ていて――
「……あっ、部屋着ってことですか?」
「そう、へヤギ。さすがだねヒカル。分かってる」
「な、なんとか理解できました」
センスが独特過ぎる。ヒカルが言えたことではないが、今日は発表会だ。そこに部屋着とヤギをかけたダジャレTシャツを着てくるという勇気、やはり琴子は只者ではない。
「実はハッピーバースデーTシャツと迷ったんだけどね。ちょっと狙い過ぎかなって思って」
「なるほど……じゅ、熟練の判断ってやつですね」
琴子の言っていることがヒカルにはちっとも分からなかった。分からなかったが、ひとまずここは同意するしかなかった。
(こんなに美少女なのにちょっと……いや、かなり変な人なんだよな……)
失礼なことを思いながら歩くヒカル。階段を下りて玄関に出ると既に2人のメンバーがいた。
「おはよー」
「おはようございます」
琴子に続いてヒカルも挨拶をする。
「おはよう」
先に返事をしてくれたのは古風な顔立ちの美少女だった。
白の襟つき黒ワンピースに白のハイソックス、シンプルなデザインのハイカットスニーカー、あまり主張しない、言ってしまえば保守的な服装だ。
艶のある黒い髪もフェイスラインにそって切り揃え、しっかり前髪も作っている。どうにも化粧っ気を感じず、素朴な印象が窺える。
(この人のことは憶えてる。
ヒカルは光音に対してどことなく親近感を抱いていた。
自分にはない美少女っぷりはともかく、物静かで人見知りな性格。昨日の皆でお風呂のときもずっと恥ずかしがっていて、頬を赤くしながらタオルを離さなかったことを憶えている。
きっかけさえあれば仲良くなれる気がする。無論こちらから歩み寄ることはできないのだが。
「おはよ」
遅れて返事をしたのはエキゾチックな顔立ちの美少女だった。
今日も今日とて彼女は抜群のスタイルで、厚めのスニーカーにレギンス、ショートパンツにシャツと、どこかの海外ブランドっぽいおしゃれなブルゾンを羽織っている。ここにいる4人の中ではかなり活動的なファッションだ。
(この人も憶えてる……というか、色々あって忘れることはできない。ヴァザーリ
小さなバッグを指にひっかけて壁に寄りかかり、足をクロスさせて立っている萌。アイドルというよりモデルみたいな立ち方にヒカルは心の中でひっそりため息をつく。
ヒカルは萌に対して明確に苦手意識を抱いていた。
彼女はなんと3次審査で自分からアンドロイドに立ち向かっていき、暴走した後も周りのサポートを受けながら大立ち回りをして倒したらしい。
向こうがこちらをどう思っているのかは知らないが、とにかくヒカルは苦手なのだ。ああいった『世界は自分を中心に回っている』と思っている人が。
「琴子そのシャツで出るの?」
外出用の靴に履き替えながらさりげなくヒカルは光音の方へにじり寄っていると、萌が呆れたような調子で切り出した。
チラッと視線をやると萌が驚いたように口を開け、呆然としている。対する琴子は『お気づきになりましたか』と軍師みたいなしたり顔をして靴を履き替えてスクっと立ち上がる。
「お気づきになられましたか」
(言った! その顔したうえで口でも言うんかい!)
心の中でヒカルはツッコミをいれる。角度的に見えなかったのか、隣にいた光音がテテテと回り込み、琴子のシャツを確認した。
「はわっ、琴子そのシャツ……シャツ?」
頬を赤くして両手で顔を隠す光音。照れてるのではなく、少しでも感情が昂ると赤くなってしまう体質らしいのだが、それほどまでに琴子のダジャレTシャツは刺激的だったのだろうか。
「これはね、最新作。オーディション合格記念に開けたんだ」
「最新作って、それどっかのブランドなの? 自分で作ったんじゃなくて?」
「うん、プチプラだけどね。『とっぴんぱらりのぷう』ってとこ」
「……そうなんだ」
あまりの奇怪さに萌は言葉を失う。いつも強気な彼女でも琴子の雰囲気にはなすすべもない。
(プチプラかハイブラかは気にしてないと思うけど……てか『とっぴんぱらりのぷう』っておしまいって意味じゃん。ブランド名としてそれでいいの?)
心の中でツッコミを入れまくるヒカル。勢いを削がれた萌とドヤ顔の琴子に、穏やかな笑みを浮かべている光音。三者三様の表情をヒカルは1歩引いた位置で眺める。
(ていうか琴子さんのあのセンス、やっぱ変だったんだ……良かった、私だけじゃないんだ)
言いたくても言い出せなくてどうしようか悩んでいたが、間違ってはいなかったらしい。
そんな風に安堵していると、廊下の向こうから人がやってきた。2期生の残り5人が現れた。
「おはよーくぁ~……4人とも早いね~……」
あくび交じりで声をかけてきたのは雨野小鹿だ。顔はまだかなり眠そうだが服や髪はバッチリで、9人の中でも一番決まっている。
「おはよう小鹿」
「あぁ、おはよ琴子……ってなにそのシャツ! うそでしょ!?」