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【3-8】余裕のそれ

 着いた場所は新東興都市北エリアにあるテレビ局『NTCF』の本社ビルだった。

 テレビで時々見かける曲線で構成された背の高いビル。3階部分には円盤型の広場があり、今もそこではなにかしらの撮影だったり、イベントだったりが開催されているらしい。

「あそこ、あの丸いところ。i─Conが新曲披露とかで特番のステージで使ってたよね」

 ビルへ入りながら鈴木柘榴が懐かしそうに言う。

 後ろを歩いているヒカルも円盤型のステージへと視線をやって、かつて見た映像を思い出す。

(あれは確か3枚目シングルの『おやすみ明日のきみと』初披露で使われたステージだった。生放送で雨が降ってたけど、ステージが始まる直前にぴったり止んだんだよね……)

 夜空をバックにセンターポジションで歌う白金真咲はまさに女神様だった。ヒカルはあのときの真咲の優しい微笑みを今でも鮮明に憶えている。

「おやきみの初披露だったね。当日すごい天気悪くて。でも出番のときは綺麗な夜空が広がってて、すごい話題になってた」

 あのときの映像をヒカルがしみじみ思い出していると、前を歩く光音が軽やかに語りだした。

 先ほどヒカルも思い出したことだ。隣を歩いている柘榴が「そうだった!」なんて言いながらきゃらきゃらと楽し気な様子で会話を広げていく。

(私も思ってたけど……まぁいいや)

 いまさら同じことを言って話の輪に加わることはできない。ヒカルは早急にコミュニケーションを諦め、2人のやりとりを聞きながら無言で歩く。

 さすがにi─Conのオーディションを受けているだけあって、皆i─Conについて詳しい。ヒカルだって色々知ってはいるけど、一番の関心は白金真咲だ。他のメンバーに関しては名前と顔が一致するくらいで詳しいエピソードは知らない。

 先輩のことをあまり知らないなんて良くないかなと思いながらも、ヒカルは勉強して調べるみたいなことができなかった。

『発表会は5階のパーティーホールで行われます。昨日もお伝えしましたが、各メディアも取材として参加しているので、発言には十分留意してください』

 エレベーターの中でアナスターシャが説明する。ヒカル達が持っているスマートデバイスには既に彼女のOSがインストールされていて、彼女の名前を呼べばいつでもどこでもサポートを受けることができる。

 そうしている間にも5階に着き、ヒカル達は目的のパーティーホールへと向かう。途中何人かスタッフらしき人とすれ違い、アナスターシャが挨拶をして、ヒカル達もそれに続く。

「おっ、全員来たな。時間通り」

 ホール前の入り口に1人の男性が立っていた。

 皺ひとつないスーツ姿ではあるものの、どこかくたびれた印象を抱く中年男性、i─Conのゼネラルマネージャーを務める風間だ。

 生身の知っている人間に会うのは久しぶりだなんて思いながらヒカルは皆と一緒に「おはようございます」と言いながら軽く頭を下げる。

「あい、おはようございます。とりあえず貴方達はこっちの入り口から入ってください。進行に関してはアナスターシャから説明があるから」

 すらすらと説明をしながら、風間は視線を巡らせてくる。

 探るような眼差しにキュッと口を引き結んで固まる。すると、ヒカルと隣にいる琴子。2人の間を行ったり来たりして、何か言おうと口を開き――ゆっくりと頷いた。

「じゃあ頑張って」

 一言だけ告げて、風間がホールへと入る。

 ヒカルは琴子と顔を合わせ、すぐにまた動き出す。

 ホールの控室に入る。ヒカルは自分の服装を改めて見て、そそくさと琴子の元へ向かう。

「あ、あの。琴子さん」

 誰にも聞かれないよう小さな声で琴子を呼ぶと、彼女はすぐに反応して小首を傾げた。

「どしたのヒカル」

「その、私の恰好なんですけど……やっぱ地味すぎますかね?」

 声を絞りながら訊ねるヒカル。琴子は変わらず平坦な表情のままヒカルを見て、上から下まで見て――ぽんっと肩を叩いた。

「全然いいと思う。素材の味100パーセント。私目玉焼きはなにもかけずでいく人だからヒカルのそれは結構好き」

「ほ、ほんとですか? 大丈夫ですかね?」

「余裕。なんなら小慣れ感あっていい」

「よ、よかったぁ……」

 琴子の褒めちぎりに安心するヒカル。近くで2人の会話を聞いていた柴えるはなんともいえない表情でその場をやり過ごしていた。

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