『やめなさーい!』
突如、周辺に甲高い声が響き渡った。
空中庭園のスピーカーから女性の声が響き渡る。頭がビリビリと震え、ヒカルは思わずその場に手をつき、左手で頭をおさえてしゃがみ込む。湖鐘は顔をしかめて動きを止める。
(この声って)
あまりの声量に動きが怯んだ。わけではなく、音による特殊効果で動きが止められたのだ。さらに空中庭園の出入り口から3つの人影が現れた。
『確保ーッ!』
スピーカーから再び声が響き渡り、湖鐘に人影が2つ接近する。
湖鐘の身体を拘束した2人はどちらもI.De.Aを着ていた。
さらにもう1人、こちらもI.De.Aを着たアイドルがヒカルのもとへ近づいてくる。
「大丈夫? 立てる?」
頭をおさえてしゃがみ込むヒカルへ女性が手を差し伸べてきた。
「……うそ」
ゆったりとウェーブがかかった茶髪よりの黒髪。大きな目と整った鼻。こちらへと差し伸べてきた手は白く細く、見るからに柔らかそうだ。
風に髪が揺れてふわりと匂い漂う。さっきまで戦いの匂いだったのに、彼女が現れただけで花畑の中心に立っているような、そんな錯覚をしてしまう。
背中には白百合の花弁を想起させるスラスター、胸には動力源のチェストコアが輝いている。
何度も見た。I.De.Aも彼女自身も。ずっと見てきた。見間違えるはずがない。
「しろがね、まさきさん……?」
ぽかんと口をあけ、ヒカルは信じられないと瞳を揺らす。
ヒカルにとっての憧れの人、アイドル大戦国時代で誰もがその実力を認めるトップアイドル。
白金真咲がヒカルを守るように立ってくれていた。
「うん、そうだよ。貴女は、えーっと……」
手を差し伸べた状態で真咲が言葉を伸ばす。
名前が出てこないのだろう。当然だ。女神が下界の生き物を憶える必要なんてないのだから。
ただ、憶えられてなかったとしても名乗らなければ。女神に恥をかかせるわけにはいかない。
しかしヒカルが立ち上がろうとしたところで、ぐるっと視界が揺れてまた倒れてしまった。
「いてて……あれ?」
「無理しないでいいよ。ほら、掴まって」
再び手を差し伸べてくれる真咲。白魚のような指に見惚れながらヒカルは逡巡する。
(どうしよう、これいいのかな。手を握るなんて恐れ多いでしょ。いやでも、なんか全然立てないし。そのまんまでもいいっていうか。いや良くない。良くないんだけど、どうすれば~)
素直に手を取るべきか遠慮するべきか。どうすればいいのか分からずヒカルは顔を真っ赤にしてパクパク口を開け閉めするだけだ。
「ほんとに大丈夫? あ、もしかしてあれか。身体動かないのか」
真咲が勝手に納得して盾を背負ってしゃがみ込む。しりもちをついて倒れているヒカルの背中に腕を回し、さらにヒカルの右腕をとって自身の左肩を掴ませた。
(I.De.A越しなのにやわらけぇ~めっちゃいい匂いするぅ~)
今自分の身になにが起きているのか。バクバクと激しく高鳴る心臓の音をBGMにヒカルは真咲に引き上げられる。
立ち上がって同じ目線となり、ヒカルは過去に参加した写真集のお渡し会を思い出す。
(かおちっちゃい。目がクリックリでおっきぃ。まつ毛長すぎ。腰も足も細すぎる!)
真正面から相対するだけでくらくらとしてしまう。
「大丈夫? 立てる? 初めて
「あっ、千倉、千倉ヒカルと申します。すいません、千倉ヒカルです」
「千倉ヒカル……ヒカルちゃんって呼んでもいい?」
「はい、もちろんです。おブスって呼んでください」
「なんで!? 呼ばないよ!?」
「アホちゃんって呼んでください」
「呼ばない呼ばない!」
慌てて否定をする真咲。名前で呼んでもらうなんてあまりにもおこがましいと思ったが故の提案だったのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。
いきなり自虐してきたのが面白かったのか、真咲はクスクスと笑いながらヒカルの肩をポンポンと叩いた。
「ほんとに大丈夫そうだね。湖鐘相手によく――」
「湖鐘っ! 貴女なにやってくれてるの!?」
真咲の言葉を遮って、先程スピーカーから聴こえてきた声の主が叫びながら現れる。
黒髪の女性が綺麗に編み込まれた二本の長い三つ編みを揺らしながら、大きな目をギラギラと光らせて、捕まっている湖鐘のもとへと大股で近づく。
あの人も見たことがある。i─Conの1期生が当たり前のように現れるのを見て、ヒカルはなんだかすごい現場に居合わせちゃったなとトンチンカンな感想を抱いた。
「別に、ただの確認だよ。センセーにも許可貰ってるし」
「それはI.De.Aを使う許可でしょ! 入ったばっかの2期生に使うなんて信じられない!」
「おかげでデータがとれた」
「湖鐘!」
カッと勢いよく叫ぶ黒髪の女性。どこかで見たことあるような光景だと思いながら眺めているとやがてヒカルの視界がぐるりと回転する。
バタンッと誰かが倒れる音。それは紛れもなく自分だと気付くまでなんだかひどく時間がかかった。世界が暗くなっていく中で、白金真咲の顔だけはくっきりと残っていた。