千倉ヒカルが突如意識を失ったのは緊張感からくる精神的疲労、I.De.Aを使用した際の肉体的疲労、そして空腹によるものだった。
病院で栄養剤を注入され、そこから1時間ほど経って意識が回復、そこからi─Conのマネージャーである女性に付き添ってもらい、寮へと戻ってきたのだが。
「ほんっとごめん! ごめんなさいっ!」
寮に着いてすぐ食堂に連れられて座らされそして謝られた。
目の前には大量の作り置きの料理が並べられ、向かいの席には1期生の先輩――先ほどの黒髪の女性、i─Conのリーダーを務める
奇妙な状況だ。正直今お腹が減ってるので早くご飯を食べたいのだが話が終わるまでは待たなければならない。
「湖鐘のせいでこんな目に……怖かったでしょ。本当にごめんね? ほら湖鐘も謝りなさい!」
毅然とした態度で美夜が詰める。しかし湖鐘はうんざりといった表情で顔を逸らすだけだ。
さっきからずっとこうだ。寮の玄関で美夜に出迎えられ、自己紹介をされながらも食堂へと連れてかれ、先に湖鐘が座っていたのだが、拗ねた子供のような態度で一向に軟化しない。
「なんで私が謝らなきゃいけないんだよ。許可とってたんだからやいやい言われる謂れはない」
「人ひとり病院送りにしておいてなに言ってるの!」
「あ、あの……私は別に、そんな、気にしてないので……」
「ほら、千倉もこう言ってる」
「ダメ! ちゃんと謝って!」
少しも隠すことなくうるせーという顔をする湖鐘。対する美夜も綺麗な形の唇をヒクヒクと歪ませ湖鐘を睨みつけている。
一体どうすればいいのだろう。ヒカルとしては湖鐘にやられたことは正直そんなに色々思っていない。全くないというと嘘になるが、そういうことを思う暇すらなくて、ようやく事態が落ち着いたと思ったら途端にお腹が空いてもうそれどころじゃなかった。
ゆえに今はもういいのだ。そもそも流され巻き込まれ体質のヒカルにとってこんなトラブルはもはや日常茶飯事となりつつある。
(それよりもお腹空いた。このご飯食べていいのかな……)
隣のテーブルに並んでいる料理へ視線をうつす。作り置きとはいえまだまだ温かそうで冷めないうちに食べてしまいたい。
どうやって話を切り上げればいいのだろうか。視線を戻すと不意に湖鐘と目が合い、彼女がジッとヒカルの瞳を覗き込んでくる。
前髪とカラコンで隠した右目。なんだか見透かされているような気がしてスッと少しだけ顔を逸らすと湖鐘がスクっと席を立った。
「ちょっと湖鐘、どこ行くの。まだ話終わってないけど」
「さっきの戦いのデータ、渡さなきゃいけないんだよ。どうせ撮ってるだろうけど、データは多い方がいいでしょ」
コツコツと足音をたてて湖鐘が歩き出す。
美夜は湖鐘の言葉を咀嚼しながらも、すぐにハッとして彼女の後を追う。
「ちょっと待ちなさい! 湖鐘!」
「あぁ、それと」
追いかける美夜を無視して湖鐘がドアに手をかけて立ち止まる。
くるっと振り向いてこちらを見てくる。ヒカルと目を合わせ、クイッと顎をあげた。
「そこにある料理、千倉のために作ったやつらしいから。好きなだけ食べていいよ」
そう言って、湖鐘が食堂を出ていく。それを追って美夜も出ていき、ヒカルは食堂にひとり取り残される。
自分のために作ったもの。そういうことならと思い、ヒカルは箸を取った。
「いただき――」
「ヒカル!」
手を合わせて食べようとしたところでバンッと大きな音が鳴り、食堂にまた人が入ってきた。
振り向くとそこには2期生が全員いて、皆神妙な顔でヒカルを見ている。
「あっ、どうも。おつかれさまです」
ぺこっと軽く頭を下げると、8人が一斉に近づき、皆がヒカルの周りの席につく。
「もう退院してもいいの? ほんとに大丈夫?」
ヒカルの右隣の席に座ってすかさず手を取ってきたのは雨野小鹿だ。ヒカルと首に提げたハートブレイカーを交互に見てくる。
「は、はい。もう大丈夫なので、その、戻ってきました」
ヒカルはドギマギしながら答える。彼女はどうにもスキンシップに躊躇いがない。
「ヒカルさん、あのI.De.Aってヒカルさんのなんですか?」
パッと手を挙げて質問してきたのは最年少の美少女、太刀川晴嵐だった。小鹿の隣の席に座り、上体を傾けて覗き込んでくる
ハートブレイカーのことだろう。晴嵐からの質問を皮切りにそれぞれが口を開いた。
「あのI.De.A右腕しかなかったよね? なにか理由があるの?」「あれって強いの? 性能は?」「使った後倒れたよね? 使用にリスクが生じるのは良くないんじゃないかな」「そもそもどうして倒れたの? 湖鐘さんとの戦闘のダメージじゃないよね?」
「あ、あの……えっと……」
ひとりずつ聞いてくれ。ヒカルは視線を右往左往させながらなにから答えればいいか分からなくて口ごもってしまう。
「ほらほら、みんな。一気に質問したらヒカルがまたフリーズしちゃうから」
ヒカルがアワアワしていると、赤城舞鶴がパンパンと手を叩いて流れを止める。
他のメンバーもそれを思い出したのか、顔を見合わせてジッとヒカルの顔を見つめてきた。
(いやこれはこれで答えづらい! 静かになんないで!)
「すっごいたくさんあるけど、これ全部食べるの?」
誰が先に聞こうか探り合っていると、寿崎琴子から質問が飛んできた。全く関係ない角度からのクエスチョンに皆がポカンとして琴子を見る。
無論ヒカルも同様だ。向かい側の席に座っている琴子の、恐ろしく整った小さな顔を見ながら「えーっと……」なんて言ってると、不意にギュルルルルッとお腹の音が鳴り響いた。
突然の爆音にその場にいる全員の思考がストップし、ヒカルは顔を赤くする。
(や、やばいやばいやばい! やらかした! お腹鳴っちゃった! 自転車でドリフトしたみたいな音出ちゃった!)
「誰か自転車でドリフトした?」
シンクロした琴子の呟きに殆どのメンバーがブッと噴き出す。
ヒカルは恥ずかしくてたまらなくなり、半泣き状態で俯く。
「まぁまぁ、とりあえずさ、ちょっと食べようよ。わたしもなんだかお腹空いてきちゃって」
ニコニコ笑いながら全体のフォローをする柴える。彼女の優しさに他のメンバーも便乗し、「そうだよね」とか「食べよ食べよ」なんて言って各々動き出す。
結局、用意された大量の料理は2期生全員で食べることにした。