この後のスケジュールは新東興都市のハウススタジオでアイドル雑誌のグラビア撮影。時刻は現在11時半。向こうでの撮影は13時からだ。
朝っぱらから外ロケ。休憩時間はこの航空機に乗っている間だけ。撮影が終われば寮に戻ってダンスレッスンが待っている。
(普通にしんどい。こんな行動ポイント立て続けに消費して……絶対もたないよ)
座席の背もたれに身を沈め、だっはーっとため息を吐くヒカル。少し前まで適当な生活を送っていたヒカルにとって、この生活は過酷とまでいかないものの、気を休める暇などなかった。
だがそんな忙しい日々よりも、ヒカルにとってはひとりの時間がないことの方が圧倒的に辛かった。信心アイドルに個人での仕事などない。基本的に2期生全員で動く。最低でも3人セットでの仕事が徹底されていて、ひとりになれるのは仕事が全部終わって寮にいるときだけ。
「ヒカル、これあげる」
ずいっと、右側から白米の塊が飛び込んでくる。
琴子がヒカルのケータリング弁当のご飯を乗せてきた。
「あ、あの。琴子さん」
「私、ご飯そんな好きじゃない。スパゲチー派」
だからあげる。そう付け加え琴子が鳥の照り焼きも乗せてくる。
普通パスタ派って言うだろと思いながらヒカルは仕方なく「……どうも」とだけ言って貰った白米を口に入れた。
そう、移動中の食事でさえひとりじゃない。今だって機内で皆それぞれの席に着いたり着かなかったりして食事中なのだ。
(あのラフティングの後なのに皆元気だな……)
食事を進めながらヒカルは機内を見回す。事務所がレンタルしているこの航空機は一般の乗客は存在せず、今いるのはヒカル達2期生とマネージャーである
因みに彼女はアナスターシャと違いれっきとした生身の人間だ。ふわっとした雰囲気ながらもひとつひとつの所作が素早い。
いわゆる敏腕マネージャーというやつなのだろう。出会ってまだ1ヶ月程度しか経っていないが、ヒカルは彼女がなにか失敗しているところを見たことがない。人見知りを発揮して口ごもるヒカルにも優しく接してくれた。
そんな敏腕マネージャーのことはともかく、ヒカルが危惧しているのは同期との関係についてだ。1ヶ月ほど接してなんとなく分かってきたが、2期生のメンバーは皆基本的に明るい。
どんよりと淀んだ曇り空のようなヒカルに対して、他のメンバーはカラッとしているか、サッパリとしているか。初めて皆でお風呂に入ったとき、少し嫌がっていた晴嵐も、今や小鹿や柘榴と楽しそうにお喋りをしているところをよく見かける。
(舞鶴さんは暗いというよりクールだし、えるさんは大人しいって感じだけど笑顔が自然だし。琴子さんは変な人だし。強いて言うなら……)
ヒカルの視線が右斜め前の座席にいる彼女を捉える。
一二三光音。ヒカルより年下の15歳でまだ中学生の美少女だ。
彼女は他のメンバーと積極的には喋らずひとりでジッと本を読んでいたりする。
交流を拒否しているわけではないのだが、ヒカルが観察する限り自分から話しかけるみたいなところは見たことがない。
(自分から話しかけないのは私もだけど)
もしかしたら同類なのかもしれない。なんて思いながらもすぐにそんなわけないと否定する。
あんなアリススタイルの西洋人形みたいな可愛らしい女の子がいじめられてたわけがない。
田舎でのびのびと育った静かだけど活発な美少女――それがヒカルにとっての一二三光音だ。
『皆さんにお知らせがございます』
食事も終わったところで機内のモニターにアナスターシャの姿が突然映った。
普段ならそれぞれのデバイスに連絡がくるというのにわざわざモニターを介して連絡をするということは、それなりに大きなことなのだろう。
皆が注目する中アナスターシャが恭しく頭を下げる。
『つい先ほど、7枚目シングル発売までのスケジュールが決まりました。よって、シングルにおける選抜メンバーを決めるため、第7回
アナスターシャからのお知らせにヒカルは息を呑む。いや、ヒカルだけではない。同期のメンバーも同様に驚いていた。
i─Conのシングルには毎回選抜メンバーがいてVersedayはそれを決めるためのイベントだ。
メンバーだけで
らしい、というのは、ヒカル自身よく分かっていないのだ。勝ち負けが絶対的な基準ではないという話もあるし、Verseday期間中のお仕事にも関係あるみたいな話も聞くし、単純に個人の売上成績なんて話も。とにかくなにが基準で選抜メンバーになれるかは分からないのだ。
(まっ、いきなりのことでちょっとびっくりしたけど。とはいえ私達に出番はないよね。2期生だし、入ったばっかだし)
最初こそ目を丸くしたヒカルではあったが、かといってこれからやることは大して変わらないだろう。すでに全員
大体i─Conのファンだって新人がいきなり選抜メンバーに入ることを好く思わないはずだ。
『当初は1期生メンバーのみでBLAST.Sを執り行う予定でしたが、スタッフ間での協議の結果2期生も参加することになりました』
今度こそ、ヒカルは大げさに目をかっぴらいて驚いた。
完全に先輩たちのBLAST.Sを観覧する気でいたのに自分たちも参加だなんて。そんな無謀な話あっていいのだろうか。
「私達も参加なんだ。あんま盛り上がんなさそう」
モニターを見上げながら隣の席の琴子が呟く。
確かにファンが見たいのは1期生のメンバー同士での手に汗握るBLAST.Sであって、そこに2期生が加わっても一方的にやられて大して盛り上がることなく終わるだけだ。
あまりにもバランスが悪すぎる。いくら戦績が選抜には関係ないからと言われても、わざわざ負けに行くのも不愉快だ。i─Conを運営している『大人達』は一体何を考えているのか。
『Versedayのスケジュールを皆さんのデバイスに送信しています。ご確認ください』
それではと最後に言ってアナスターシャの姿が消える。
そしてすぐにメンバーそれぞれのスマートデバイスがブルブルと震えだした。
先ほど言っていたVersedayのスケジュールだろうか。確認するとBLAST.Sの日程が記載されていて、3回BLAST.Sをやることになっている。
(1回戦の相手は琴子さん……2回戦の相手は……うわっ、萌さんだ)
チラッと視線を動かすと丁度隣にいる琴子と目が合う。
彼女もまたスケジュールを確認していたようでヒカルを見るなりパッと手を開いて見せた。
「1回戦、ヒカルとだね」
「みたいですね。えっと……ラッキーですよ琴子さん。1勝は確定です」
「……そうかな。2回戦はえるだ。ヒカルは?」
「私は萌さんです……はい」
「手強いね」
琴子からの言葉に力なく頷くヒカル。視線の奥、斜め前の席にいる萌はスケジュールを見ながら楽しそうに笑っていた。
ヒカルにとっての天敵だ。明るく活発で挑戦的、強気で自信家。イタリア人の血が流れている彼女のビジュアルはエキゾチックで、巷にあふれる量産型のカワイイとは一線を画している。
なにより運動能力が著しく高い。バラエティ番組の企画で運動能力テストをやったときもほとんどの科目でトップだった。
正直負けるよりも相手が萌という方が嫌だ。かなり面倒なことになる気がする。
(せめて3回戦はやり易い相手がいいけど……3回戦は……)
「はぁ?」
対戦相手の名前を見て、ヒカルは思わず声をあげた。
ざわめきの隙間を縫って入り込んだその声に周りにいるメンバーから視線を向けられる。
突然見られたことにヒカルはハッとしながらも、スマートデバイスを両手で持って顔を隠す。
「どしたのヒカル。なんかあった?」
隣の席の琴子が淡々とした口調で心配してくる。
「あ、いや、その……琴子さんの3回戦の対戦相手って誰でした?」
「私? 私はね、美澄さん。
「1期生、なんですね」
「うん、なんか皆そうみたいだよ。必ず1回は1期生とあたるっぽい。ヒカルは?」
「……
視線を落としながら言うと、琴子は無表情のまま「ありゃりゃ」と答えた。
四ノ宮湖鐘。現アイドル業界で最強と称されているアイドルで、その実力はついこの間戦ったヒカル自身が痛いほどによく分かっている。
絶対に勝ち目がない。いくらヒカルのI.De.Aが特別製だとしても湖鐘には通用しないだろう。
大勢の観客が見ている中でボコボコにされる自分を想像し、ヒカルはガクッと肩を落とした。