時間というものはあっという間に過ぎていく。
レッスン、トレーニング、テレビの番組出演、インターネットチャンネルの番組出演、インタビューにグラビア撮影などなど、仕事の数自体は大してないものの、それでも高校生であるヒカルにとっては十分すぎる忙しい毎日に心と体はすぐに悲鳴をあげた。
ただ、それでも次にやるべきことは容赦なくのしかかってくる。言われたことを無心でやり続けていると、気付けばVerseday当日、5月27日となっていた。
「相手は琴子さんか……どうすればいいのかな……」
楽屋のソファに寝転がり、ヒカルは天井に向かって呟く。
新東興都市に点在するBLAST.Sのためのイベント会場『
対戦相手である琴子の楽屋は反対側だ。昨日まで一緒に活動していた相手とBLAST.Sで戦わなければならないなんて。未だに違和感が拭えない。
一応今日のために色々トレーニングをしてきたが上手くいくのだろうか。ヒカルはチラッと楽屋の壁にかけられているモニターへと視線を向けた。
放送中継用のドローン。カメラ越しに見える会場内の観客はまばらで空席が目立つ。
i─ConのメンバーのBLAST.Sといえば現地でのチケットは即完売、オンラインでのチケットも会場収容人数の倍以上だ。テレビで放送されたときは常に40パーセント台をキープ。最高60パーセント越えだったらしい。
だというのに、今日はガラガラだ。飯綱競技場自体、新東興都市の中では比較的小さなハコなのにそれすら埋まっていない。この分だとオンラインチケットなど目も当てられないだろう。
「結局私達ってまだまだアイドルじゃないんだな」
「ほーかな?」
なにもない空間に向かってぼやくと突然返事が聴こえてくる。
ガバッと起き上がって首を振るヒカル。テーブルを挟んで向かい側のソファに、
「ピカちゃん、おっはー」
「……お、おつかれさまです。
突如楽屋に現れた美少女。i─Con一期生の
床まで届く長い髪は深い緑色でその大きな目は爛々と輝いている。小脇に大量のポップコーンチキンが入ったバケツを持っていて、ヒカルの前にいてもなお気にせず、はちみつがかけられた小さなチキンをパクパクと口の中に入れていた。
i─Conに加入して数日後にヒカル達2期生は1期生の先輩方と顔合わせを兼ねた挨拶を行った。そのとき咲良とも接触があったのだが――
「ピカちゃん的にはお客さんが全然入ってないように思えるけど、デビューしたてのアイドルのBLAST.Sにしてはかなりの数だと思うよボクは」
挨拶をした時のエキセントリックなキャラクターっぷりを思い出していると、不意に咲良が口の端に揚げ衣をつけながら話を進めてきた。
一体何の話だろうと思いながらも、ヒカルはすぐに理解する。そういえばヒカルの独り言に反応するような形で現れたのだ。
(そもそもこの人どっから入ってきたの……)
神出鬼没な先輩にヒカルは怯えながらも「そ、そうなんですかね」なんて適当な返事をする。
「そりゃそーだよ。そもそもデビュー戦を新東興都市でできるって時点で大サービスだね。ボクらのときなんて……まぁ新東興都市だったし、ドームだったけど」
「そ、そっちの方が大きくないですか」
「まぁこまけーことはいいじゃない。そもそもボクは出てないし」
きゃらきゃらと笑いながらチキンを食べる咲良。相変わらずつかみどころがないというか、肩透かし喰らってばかりというか。端的に言えば変人だ。
世界一の天才I.De.A開発者。どんな奇天烈人物だろうと思ったが想像以上だった。
I.De.Aの開発や調整を行う
「それよりハートブレイカーの調子はどうなの? 今日は勝てそう?」
ぴょこぴょこと足を動かしながら咲良が訊ねる。ヒカルはドキッとしてテーブルの上に置いてあるハートブレイカーを見下ろす。
「ハートブレイカーの調子は悪くないと思います。私自身がアレですけど」
「じゃあ勝てるじゃん。戦い方にもよるけどボクのデルフィニウムじゃハートブレイカーには勝てないからねぇ」
ぽいっとチキンを口の中に放り込み、咲良が淡々と語る。
自分が作ったI.De.Aに自信がないわけではない。あくまでも純然たる事実として彼女は語っているだけ。少なくともヒカルにはそうとしか思えなかった。
ゆえに余計咲良の言葉が気になってしまう。じゃあ勝てるという言葉の真意。
「あ、あの……BLAST.Sってアイドルの実力は関係ないんでしょうか? 着ているI.De.Aの性能だけなんですか?」
「実力なんて言葉をどっからどこまで定義するかにもよるけど、まぁそうだね。概ねそうだよ。I.De.A開発者であり世界一優秀な
あまりにもハッキリとした答えにヒカルは黙り込んでしまう。
強いI.De.Aを着ているアイドルが勝つ。笑ってしまうほど救いのない言葉だ。
逆に言えば、今回ヒカルが勝ってもそれはヒカル自身の実力ではなく、ハートブレイカーのおかげということになる。
だとしたら千倉ヒカルがステージに立つ意味はあるのだろうか。
「あっ、今ピカちゃん思ったでしょ。あたちがステージに立つ意味あるんですの~って」
黙り込んで考えていると、咲良がしたり顔で指摘してきた。
そんな変な喋り方ではないけれど、突然図星を突かれヒカルは思わず顔をあげる。
右へ左へと黒目を動かして、やがて咲良と目を合わせふーっと鼻で息を抜いた。
「まぁその、大体あってます。全部I.De.Aのおかげなら別に私が戦う必要もないかなぁって」
「んなこたぁないよ。BLAST.Sはエンタメなんだから。勝ち負けが全てだけど、全てじゃない」
「……えーっと」
どっちなんだ。回りくどいセリフにヒカルは先輩の前にも関わらず眉を顰める。
「ピカちゃんは曲がりなりにもアイドルなんだから。これを着る意味を考えなきゃねーってことかな。それが分かればどうにかなるかもね?」
「ほ、本当ですか?」
「ならないかも?」
ガクッと肩を落とすヒカル。なんだかさっきからずっと遊ばれているような気がする。もう本番だというのに。
「まーまーピカちゃんなりに悩みながら頑張れば? ボクはI.De.Aのデータが取れれば勝敗なんてどっちでもいいし」
じゃーねーと言って、咲良がソファから立ち上がり、髪を乱雑に丸めてこれまた小脇に抱えて部屋から出ていった。
「……なんだったのよ」
楽屋のドアが閉まったところで、ヒカルはひとり呟く。
視線の先にはハートブレイカーがあり、チェストコアの青白い光が覗いていた。