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【6-2】必要な物語

 あっという間に真咲の楽屋前まで運ばれ、美澄がなんの躊躇いもなく扉を開ける。

「真咲、失礼するよ」

 そういうことは開ける前に言うのでは。心の中でツッコミをいれながらも楽屋内を見回すヒカル。部屋の主は楽屋のソファに寝転がり、横になっていた。

(なっ、なんちゅー格好で寝てるんですかカミサマ……)

 視界に映りこんだその寝姿にヒカルはギョッとしてしまう。

 白金真咲は先ほどBLAST.Sでも着ていたステージ衣装を床へ脱ぎ捨てて、ほとんど下着みたいなグレーのアンダーウェアしか着ていなかった。

 健康的な色合いの腕と足を投げ出して、ソファで豪快に仰向けで寝ている美女。最初は見るのも憚れるほどに恥ずかしいヒカルだったが、段々とこれはこれで綺麗だと思うようになってきた。むしろ女性ファッション誌のオシャレなページと言われてもおかしくない。

(美人はどんなときでも美人だ)

 ほれぼれするような寝顔にヒカルはうんうんと頷きながら心のシャッターを切っていると、ここへ連れてきた張本人である碓氷美澄が「おや」とだけ言って真咲へと近づいていく。

「疲れが出たのかな。寝ているようだね」

 真咲の近くまできて美澄が少し声量を抑えて呟く。

 美澄もまた先ほどまでBLAST.Sで戦っていたというのにあまり疲れの色が見えない。すごいなと思いながらもヒカルはハッとする。

 真咲が疲れて寝ているということは無理して起こさないほうがいいだろう。挨拶に伺ったが睡眠中だったようで、起こすのも忍びないのでそのまま退室した。後日そう話せばいい。

 そうすれば、ちゃんと挨拶もできて気の遣えるいい後輩だと、そう評価してくれるはず。

 ここまで連れてこられた以上お話をしたいという気持ちもあったが、憧れの人の眠りを妨げてまでしたいわけじゃない。

 ひとまず方針が決まり、ヒカルはおどおどしながらも美澄へと話しかけた。

「あ、あの。真咲さん寝てるみたいですし、今日のところは」

「あぁ、大丈夫だよ。すぐに起こそう。ほら真咲、起きたまえ」

 美澄が真咲の長い脚を掴み、ぎゅいんっと上にあげた。

「ぶぃっ! なになにぃ~」

 アイドルとは思えない低い悲鳴を漏らし真咲が目を瞬かせる。先輩の突然の奇行にヒカルは開いた口が塞がらず「へぇ~ん」と掠れた声を絞り出すことしかできない。

「えぇ? 美澄? なんで急に……あぁもう」

「おはよう真咲。君にお客さんだ。それもとびきり可愛らしいお嬢さんだよ」

 片足を掴んだまま美澄が大仰に話す。天井へ斜めに伸びた足は足首やふくらはぎは細くスラッとしていて、膝は少し骨ばっていて、腿のあたりは肉感的で柔らかそうだ。

「お客さんって……もう、それなら起こす前に言ってくれればいいのに」

 長い髪を手櫛で整えながら真咲がゆっくりと起き上がる。ようやく美澄が足から手を離したところで、ヒカルは慌てて姿勢を正しサササッと前髪を整える。

 ヒカルが身だしなみを整えたところを見て美澄は立ち位置をずらした。

「あ、あの。真咲さん、おつかれさまです。えっと、2期生の、ち、千倉ヒカルです」

「……あー、あのときの。ヒカルちゃんだ。観に来てくれてたんだ」

「は、はい。それで、分不相応ながらもご挨拶をと思って。すいません、お休み中だったのに」

「真咲にどうしても会いたいと言ってね。やむをえず起こしたというわけだ」

「えっ、えぇっ! そんなぁ、違うんです! ほんとに違うんです!」

 美澄の思わぬ裏切りにヒカルは涙目になりながら弁解する。

 どうしてそんなことができるのか。コミュニケーション能力が低く、対人関係において圧倒的に経験不足なヒカルは美澄のからかいを受け止めきれず、ただ狼狽えることしかできない。

 そんな風に本気で困っているヒカルと楽しそうに笑っている美澄を見て、真咲ははぁっとため息を吐きテーブルに置いていたヘアクリップを手に取った。

「どうせ美澄が無理やり連れ込んだんでしょ。強引なんだから」

 喋りながら髪をまとめる真咲。プチパニック状態のヒカルへ「座って」と呼びかけてくる。

 誤解が解けた上に座ってくれと言ってくれるなんて。騒がしかったヒカルの心臓が落ち着きを取り戻し、スススッと足を引くように歩いて向かい側のソファの端っこにちょこんと座った。

「美澄、お茶淹れて。変な起こし方したんだから」

 ヒカルに話しかけるときとは違う、冷たい声色で真咲が美澄を顎で使う。

「構わないよ。次の仕事までまだ時間はあるからね」

 フッと短く笑い、美澄が素直に動き出す。

 ラジオや配信で時折聴くことができる真咲の冷たい声にヒカルは少しびっくりしながらも、美澄が動じていないことに安心する。

(2人にとってこういうの普通なんだな。やっぱ1期生って仲良いんだ……)

 特別な関係性にヒカルはドキドキしながら視線を前に戻す。

 今目の前にはあの白金真咲がいる。それもなぜかアンダーウェアだけという妙な格好で。

 あんな乱暴に起こされたというのに、真咲の髪も顔もコンディションは抜群で、相変わらずの美しさだ。

「そういえばヒカルちゃんは? もうVersedayバースデイやったの?」

 テーブルを挟んで向かい側の女神に見惚れていると、まさかの相手から話題を投げてくれた。

 Versedayという単語にヒカルは数日前まで記憶を探り、急いで引っ張り出す。

「は、はい。やりました。えと、琴子さん、同期の子が相手だったんですけど」

「そうだったんだ。勝てた?」

「な、なんとか。勝てました。I.De.Aのおかげというか……」

 話をしながら、ヒカルは余計なことまで思い出す。

『BLAST.Sちゃんと見てないけど明らかにI.De.Aの性能勝ちだろ』

 ネットのニュースに寄せられた匿名コメント。熱くも冷たくもない心無い乾いた言葉。ヒカルはそれを呑み込むことも吐き出すこともできず、未だにそれを口の中に溜め込んでいる。

 確かにそうかもしれないけどそうじゃない部分だってある。だけどそんなこと言うわけにもいかないし言ってもどうにもならない。

 ならばさっさと忘れてしまえと自分に言い聞かすのだがやっぱりどうにもならなかった。

「……ヒカルちゃん? 大丈夫?」

 途中で言葉を切ってフリーズしてしまったヒカルへ、真咲が小首を傾げて呼びかけてくる。

 いけない、今は真咲と話しているのだ。過去に沈んで憧れの人を無視するなんて言語道断だ。

「は、はい。大丈夫です。ただちょっと、よく分かんなくて。勝ったはいいけど素直に喜べないというか、なんというか」

「BLAST.Sの最中になにかあったの?」

「いえ、そういうわけでは……多分、よく分かんないんです……勝ちたいのか負けたいのか。なにが正解なのか」

 自分で背負ったはずの重圧に堪えきれずヒカルは自身の想いを吐き出す。

 自分はただ強いI.De.Aを偶然持っていただけ。琴子に勝てたのもI.De.Aのおかげ。この前の勝利は実力じゃない。身の内から出た無数の言い訳が自身を責め立て追い詰めていく。

「BLAST.Sに正解などないよ」

 ずぶずぶと思考の沼へと再び沈みかけたところで頭上から声が聴こえてきた。

 ひんやりと涼しげな声にヒカルが顔をあげるとそこには美澄が湯呑を持って立っていた。

「飲みなさい」

 スッと、ヒカルの前にお茶が煎れられた湯呑が置かれる。

 香ばしい匂いにドロついていた心が落ち着いて固まっていくような気がして、ヒカルは「ありがとうございます」と呟いて湯呑を両手で持った。

「BLAST.Sにあるのは勝者と敗者のみ。それも純粋な実力ではない。パフォーマンスとしての勝敗だ。だがね、それでも勝ちたいと君が望むなら物語が必要になる」

「物語、ですか?」

 ズズッとお茶を啜る。真咲は特に口を挟むことなく、美澄が煎れたお茶を飲む。

「グループでトップへと昇りつめるため、納得のいく勝利を手に入れるため、大切な人達のため、故郷のため、お金のためという者もいる。可愛らしいお嬢ちゃん、君はなんのためにアイドルとして、あの戦場ステージ戦うおどるんだい?」

 シンプルな問いかけにヒカルは湯呑を置いて黙り込む。そんなこと考えたこともない。アイドルになったから、そしてヒカルにはI.De.Aがあったから。ただそれだけだ。

 千倉ヒカルには勝ち負けに拘れるほどの覚悟も決意も持ち合わせていない。目の前のことにがむしゃらになって取り組むことしかできない。

 それでもだめだというのだろうか。芯が欠けている人間はステージに出て負けることすらも許されないのだろうか。

 美澄からの問いかけにヒカルはとうとうなにも答えることができず、彼女がお茶を飲む姿を眺めることしかできなかった。

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