寮で暮らす以上自分のことは自分でやらなければならない。
施設内の家事のほとんどがオートメーション化されてはいるものの、全て自動というわけではない。その最たるものが炊事、つまるところ食事だ。
アイドルが生活する場所という特殊性ゆえに、寮の住所は秘匿されており当然外部の人間も雇えない。なのでやはり自分のことは自分でやるしかない。
日々の食事へありつくには自分で用意しなければならないのだ。
「……これと、これ。今日はこれくらいにしておこう」
夜、寮のキッチンでヒカルは冷凍庫から買ってきた冷凍食品を取り出し、中央のキッチン台に並べて腕を組んで頷いた。
冷凍ドリアとフリーズドライのオニオンスープ。本当はもっとたくさん食べたいけれど、無計画に消費してはあっという間に金欠となってしまう。
ゆえに、今日は我慢。というより今日も我慢だ。幸い仕事中に空腹でぶっ倒れるなんて粗相はまだしていないので、このペースを維持できれば大丈夫だろう。
電子レンジに冷凍ドリアを入れてスイッチを押す。さらに電気ケトルでお湯も作っておく。
すぐに手持無沙汰となり、ヒカルはキッチン台に手をついて室内を見回す。
「……でけー部屋」
寮のキッチンはかなり本格的でなにもかもが大きい。過去に1期生がネット配信で料理企画をやっていたのだがそのとき使われていた場所はまさしくここだった。
そしてキッチンから見えるカウンターといくつも並んでいるテーブル。スウィングドアで隣接された食堂もまた、ネットの配信で見たことのある背景だ。
あのとき見ていたあの場所に自分がいるということにヒカルは未だ実感が湧かない。
オーディションの合格も、真咲との出会いも、BLAST.Sも全部、夢みたいで信じられない。
そんな風にボーっとカウンター越しに食堂を眺めていると不意にドアが開いた。
食堂に入ってきたのはヴァザーリ屋久萌だった。スキニーデニムと肩出しニット、今日も惜しみなくスタイルの良さを前面に押し出している。
彼女とは5日後にVersedayで対決する。ヒカルにとっては天敵とも呼べる相手の登場に少しだけ固くなってしまう。
スウィングドアが開き、萌がキッチンに入る。ここで初めてヒカルがいたことに気付いたようで、顔をあげてこちらを見て「おつかれ」とだけ言った。
「お、おつかれさまです」
少し口ごもりながら挨拶を返すと、萌は一目散に冷凍庫の戸を開けた。共用のポケットからペットボトルのコーラを取り、さらに2期生のスペースからシリコン製の保存容器を取り出す。
「こっち、使うね」
萌が空いている方の電子レンジを顎でさす。ヒカルは自分の電子レンジと電気ケトルに視線をやりながらも「あい」とだけ答える。
「ヒカルのそれ、なに?」
お湯ができたのでスープを作ろうとしたところで、萌が準備をしながら話しかけてきた。
これではなくそれと言ったということは近くにある冷凍ドリアのことではないのだろう。ヒカルはお湯をかけるのを中断してフリーズドライが入った器を萌に見せる。
「これですか?」
「そう、それ。それなに?」
「えっと、オニオンスープです。あの、フリーズドライの」
「……フリーズドライって? なに?」
思わず口を開けて固まってしまうヒカル。まさかフリーズドライを知らないなんて。
1ヶ月ほど彼女と一緒に活動してきて分かったが、彼女はあまり頭が良くない。特に知識が偏っていて、知らないことが多い。
今回もそれなのだろう。ヒカルは「えーっと」と言葉を濁しながら器をキッチン台に戻し、電気ケトルを手に取る。
「お湯をかけるとできるやつです。こうギュって濃縮してて、お湯をかけて溶けてみたいな」
「へぇ~インスタントとなにが違うの?」
「なにが違う……えーっと、フリーズドライは製法なので、厳密に言うとインスタント製品のくくりというか……」
「……どっちも同じってこと?」
「そう……ですね。どっちも同じってことです。そういえば、萌さんのご飯はなんですか?」
これ以上説明しても理解できないだろう。ヒカルは早々に見切りをつけて話題を変えた。
萌が今温めている料理、チラッと覗いた限りではグラタンっぽく見えたがこの前も同じものを食べていたような気もする。
「これ? これはねラザニエ……あーラザニアだっけ?」
「……ラザニア。あーあの、グラタンみたいな、イタリア料理の」
ヒカルの曖昧な知識に対して「そう、そんな感じ」と萌が適当に答えた。
もう少し情報が欲しい。ヒカルはお湯を注いだ器をくるくるとかき混ぜながらさらに訊ねる。
「萌さんが作ったんですか? その、ラザニアってやつ」
「ううん、ママだよ。送ってもらったの。アイドルになってから食べてなかったし」
「あれ? この前同じやつ食べてませんでしたか?」
「あれはこっちで買った冷凍のやつ。あんま美味しくなかった」
「あっ、なるほど……アレですか、手作りじゃないとみたいな。萌さんの大好物だったりとか」
「うん、ちっちゃい頃から食べてたの。なんていうんだっけ、懐かしの味みたいなやつ」
「……もしかして、おふくろの味ってやつですかね」
「そう、それ。良かったらヒカルも食べる? ママのラザニエ、美味しいよ?」
ふふんと自慢げな表情で萌が腰に手を当てて振り向く。ヒカルと同い年ながらもその笑みはどこか子供っぽくて、思わず「かわいっ」と呟いた。
「ん? 今なんか言った?」
「いえいえ、なにも。ラザニアはまた今後いただきます。萌さんの好きなものですし」
「そう? 遠慮しないでいいのに」
ははははっと乾いた笑い声で返事しながら、ヒカルはそそくさと動いて電子レンジを開ける。解凍まであと少しだったが、問題ないだろう。
着ていた上着の袖を鍋掴みにして冷凍ドリアの器を取り出す。
「――っと、じゃあ私はこれで、部屋に戻るので」
「え? ここで食べないの?」
「は、はい。そっちの方が楽なので」
「部屋まで遠くない? いいじゃん、ここで一緒に食べようよ」
萌が口を尖らせて提案してくる。思ってもいなかったお誘いにヒカルは器を持ったまま固まり、パチパチと眼を瞬かせた。