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エピソード7

 朝、アイトの目が覚め、ぼーっとしていた気分で目を擦っている。



「『事』がなんたらは今日か。なにも起きなきゃ――」



 階段を駆け上がる音が聞こえて、部屋のドアに目をやると、部屋に入る際にひと言も掛けずにルフィナが入ってきた。あまりに堂々と入ってきたので、アイトはビクッとした。



「ど、どうした。まだ学校は――」

「ミズ・ミキコの呼び出しだ。行くぞ」

「行くってどこに?」

「時空地区だ。すぐに車がくる、早く着替えて外に出ろ」

「わかった、わかったから、部屋から出てってくれ」



 ルフィナは下へ降りて行った。着替え、スマホを持ったときにクオンからのお守りが目に入って気づいた――そっか、クオンの誕生日か。無事終わったら、なにか買っていくか。アイトに考える時間は無かった。車の音が聞こえて、下から「早くしろ」とルフィナが声を上げていたからだ。


 黒い車に乗ったが、スモークガラスで覆われていて周りは一切見えない。考える暇ができたかと思えば、『トシ』の資料を見せられ、目を通せ、とルフィナに言われた。車も止まり、ドアが開けられるとミキコが立っていた。


 時空保安局の建物の前だった。黒基調のポストモダン建築、壁には小さなガラス窓が散りばめられている。出入り口の階段は広く大きく、職員が階段を移動している。造形は一、二階部分が土台のようにあり、長方形のビルのようなものが上から見るとその中心にある。土台が張り出したビルのようだが、黒の色合いや丸いガラス窓のせいで、異質な雰囲気を出していた。



「SI5としての生活はどうだいアイト?」

 ミキコの質問にアイトはこう答える。

「最初より印象は悪くなった。ひどいことするなって」

「それはよかった。お前さんにはあともうひとつ仕事を頼もうか。資料は読んだかい?」

「『凋落の輝き』のトシってやつのだろ。見つけたのか?」

「そりゃあね。ただ、いまの時間じゃない」



 それは現代にいないみたいな言い方をしていたのだった。顔を空に向け、過去を思い起こすような格好だった。アイトは聞いた。



「時間ってどういう……」

「過去にいるのさ、一九六三年十一月二十二日の金曜日――ケネディ暗殺の日。お前さんとルフィナには過去に行ってトシを捕まえてきなさい」ミキコはアイトを見る「私の当てが外れたか、時のひずみの原因はお前さんだと思ったんだがね、桔梗ききょうアイト」



 自分が原因じゃないのは、安心感があった。ただ、過去に行くというのがアイトにはよくわからなかった。



「なあ、行くってどうやって? それにどうしてトシってやつは――」

「早く行ってきな、ルフィナ」



 はい、とルフィナは答え、アイトの近くまで寄った。ルフィナの手には、前に家で曲を聞いていたレトロな音楽プレイヤーがあった。ミキコは黒ではない青色のカセットテープを渡した。



「アメリカ、テキサス州ダラス。十一時半に指定してある。わざわざあの時代に行くということは、暗殺の阻止だろう。なにを考えているのか――いままでにもいたけどね、そういうバカな連中は」

 受け取ったルフィナはカセットテープを音楽プレイヤーに入れた。

「では、トシを捕まえてきます。アイト、私の近くから動くな、死ぬぞ」

「お、おう」



 なにをするのかわからないからこそ、アイトは少し恐怖を感じ、ルフィナの言うとおりにピタッと止まった。

 ルフィナがプレイヤーの上部にあるオレンジのスイッチを押す。カチッっと鳴ると、地面から上に向かって青い光が飛んでいき、ノイズが響いて、アイトとルフィナの周りを囲んだ。完全にふたりだけで、周りは見えなくなってしまった。



「――これは」

 アイトの問いに、ルフィナが答える。

「テンプス・フギト――時を飛ぶことを意味する。私たちはいま過去に向かっているところだ」

「その音楽プレイヤー、そういうの物だったのかよ」

「カセット限定だが音楽も聴ける。小型で過去に飛んでも違和感なく、持っていけるからな。時空地区の名前の由来は、時空地区自体が別空間にあることと、時間移動ができることに由来している。一般には知られてないがな」

「俺だって知らなかったよ。変な名前なのは、目的を曖昧にするためだと思ってたところだ」

「無論、それもある。一九九五年のP.G.調査機関から時空地区のへの改名の主な理由がそれだ。着くぞ」



 ノイズが小さくなっていき、青い光も薄くなっていくと、見たことない景色が映っていた。大勢の人が道路を囲み、ガヤガヤと英語で会話していた。


 三車線の道路に歩道の横には短く刈られた芝、クリーム色の建物が目に入った。男性はベージュのチノパンにシャツをタックインして着て、女性はひざ丈ワンピースを着ていた。老人のような服装に思えたが、これがこの時代の服装なのだろう。アイトはついそんな街並みに目を奪われていると、ルフィナが声を掛けた。



「観光してる場合ではない。早くトシを確保する」

「そうは言ってもどこにいるんだ。詳しい場所までわかるのか」

「ミズ・ミキコが言っていただろ、この時代に来るということは目的はただひとつ」

 ルフィナの視線が正方形の形をした七階建てレンガ色の建物に移った。

「ケネディ暗殺の阻止だ」



 ルフィナの後を追い、アイトは七階建ての教科書倉庫に入っていった。木の床を歩いて、階段を上った。大量の箱が部屋にあり、そのせいか妙に蒸し暑かった。



「それにしたって、なぜ暗殺なんだ」

「過去にもSI5の職員がケネディ暗殺を止めようとしたのがいた。理由はつまらんものだ。彼が生きていれば、こんなことにはならなかった――他者に何かの救いを求める人間の戯言だ。今回のトシも、そういう考えに近いものだろう。テロが起きた時にSI5が持っていたテンプス・プレイヤーが――音楽プレイヤーのことだが、これが一つ消えていたらしい。あいつはそれを使って、ここまで来たんだろう。六階だ、いるかもしれない」

 ルフィナは銃を取り出した。部屋のドアに近づき、ルフィナは素早く開けた。

「手を上げろ、動けば撃つ」



 だが、そこに誰の姿もなかった。三段ほど積まれたダンボールが何個か置かれているが、パッと見てトシの姿はなかった。スキンヘッドの小柄な男性らしいが、誰ひとりも人はいない。銃を構えたルフィナが前に行き、アイトも部屋に入っていった。警戒しつつ周りを見た。



「誰もいないな」

「油断するな、ダンボールの裏に隠れている可能性がある。一つずつ見て――」

 ルフィナの言葉を遮るように、ドアが閉まった。人影がドアから、ダンボールの裏に移動した。ルフィナが一発放つが、当たった様子ではない。

「アイト、追い詰めるぞ!」



 身を隠したダンボールに近づこうとすると、そのダンボールから煙が出てきた。それは、火事の煙のようではなく、ドライアイスのような白い煙が噴出するようだった。すぐに密閉された部屋は煙だらけになり、アイトの視界にはルフィナも見えなくなった。



「ルフィナ! どこだ!」



 そう叫んだあと、突如として拳が飛んできて、アイトは殴られた。「いってぇ……」と殴られた先を見ても、煙で何も見えない。それにこの拳はルフィナではない、仮にルフィナだったら蹴りだろうと、経験則が物語っている。



「大丈夫か」

 声を聞きつけてルフィナがやってきた。

「大丈夫、殴られただけだ。トシってやつの能力は煙か?」

「ああ、大した能力ではないと思ったが、厄介なものだな」

「室内だし、一旦引くか?」

「それはできない。十二時にはケネディを暗殺する人物がここにやってくる。過去が変われば未来も変わる――ここで食い止めなくてはならない」



 アイトとルフィナは背中を合わせ、死角を無くしてみたものの、警戒してか相手は一向に手を出してこない。アイトはルフィナに耳打ちする。



「私に撃たれるなよ」

「そっち次第だ」

 アイトはルフィナから離れた。煙の中では三十センチ先すら見えない。アイトは大きめに声を出す。

「トシ、どこだ!」

 数秒後、また拳がアイトに飛んできた。避ける余裕もなく、くらいそのまま倒れつつアイトは叫ぶ。

「ここだ!」



 銃声が響いた。殴られるということは、その場にいるということ。アイトはわざとトシから攻撃を受けて、位置をルフィナに知らせたのだった。殴られた瞬間に勢いのまま倒れることで、弾も避ける算段。

 功を奏したのか「くっ……」発せられた声が聞こえた。ただ、相手が倒れたりよろけたりするような音は聞こえなかった。かすった程度かもしれない。ルフィナがアイトのもとに来た。



「当たったか」

「きっと当たったと思うが、ダメだったっぽい」

「警戒されては、このまま時間を潰されるだけだ。どうにか早めに決着をつけなくては……」



 アイトは手を伸ばして、意識を集中させた。煙が僅かに揺れるだけで、大量の煙に対してどうすることもできなかった。それを見たルフィナは言う。



「無理だろうな、貴様の能力は――」

「……いや、いけるかもしれない」



 絶対の自身があるわけではない、いけるはず――アイトはルフィナを見る。三秒ほどだろうか、考えているのかもしれない。アイトの目を見ていたルフィナは銃の方に目線を戻す。



「好きにしろ」

「ああ、まかせろ」

 アイトは周りを見た。

「窓ガラスあったよな、一枚壊して欲しい」

「それは、いいが――部屋のどの位置にいるのかすら、わからない状況だ。どうする」

「ならさっきと同じ手段で行こうぜ。合図したら声の方向に数発撃ってくれ」

「わかった」



 煙によって視界が見えないなか、窓を探しにアイトは走り出した。その足音に反応して、トシがどこからともなく攻撃を仕掛けてくる。前方だけではない、右から左から、後ろから――さっきの反撃を恐れて一発ずつしか殴ってこないが、着実にアイトにダメージが蓄積している。


 口は血の味がする、右脇腹も痛い。曇った世界から急に飛び出してくる拳は常に恐怖がつきまとう。目の前に一瞬出てきて、殴られ、消える――これが何度も繰り返されるせいで、嫌気すら差す。

 どうしてこんな目に合わないきゃいけなんだ、とすら思えた。時空地区の連中は都合よく利用してるだけ、劣等感みたいのが出てくる。それが嫌で暴れる過激なP.G.らの気持ちも少しはわかってくる。


 時空地区に協力する自分の行動が正しいのかはわからない、むしろ正しくないとすら考えている。けれどもSI5になった以上、やることはやらなきゃいけない、アイトはルフィナの気持ちが星の光程度ではあるがわかった気がした。窓ガラスに手がついた。アイトは意識を集中させた。窓ガラス付近の煙が震え出した。小さく、早く、ピリピリと空気が振動している。アイトは叫ぶと同時に伏せた。



「撃て!」



 その声に呼応するようにルフィナからの銃弾が窓に向かって送られた。ガラスを突き抜ける音が聞こえた次の瞬間には、部屋の空気が一気に外に逃げ出した。普通ではない、ジェット機のエンジンに巻き込まれたぐらいに強く、空気は飛び出し、煙も凄まじい速さで外へと排出されていった。


 アイトの能力は『空気を振動』させること。割れた窓ガラス付近の空気を振動させ圧力を高めていたのだった。窓ガラスが割れたあとは室内と外の圧力差で、一気に煙が出ていった形となったのだった。

 視界がどんどんよくなっていった。濃かった煙も薄くなっていき、離れているルフィナも見えた――そして、小柄なスキンヘッドの男、トシも捉えられた。トシが走り出そうとした瞬間、ルフィナの銃弾は彼の足を貫いた。「ちきしょう……」と痛む彼にルフィナは近づき、言った。



「よくも手こずらせてくれたな。覚えておけ、貴様に黙秘権などない。懺悔する時間もな」



 ルフィナは思いっ切りトシの顔面に蹴りを入れた。これまで手が掛かった恨みを晴らすように、豪快な一撃。

 それを見たアイトはいままでのルフィナの蹴りは手加減してたということを理解した。気絶したトシに手錠を掛けたルフィナは割れた窓ガラスの近くにそこらじゅうに置かれていたダンボールを置いて、隠すようにした。本来の歴史が変わってしまう可能性を考慮したものだった。



「戻るぞ」



 ルフィナは音楽プレイヤーもといテンプス・プレイヤーを取り出した。アイトは気絶したトシを抱え、ルフィナの傍まで寄った。テンプス・プレイヤーに入っていたカセットテープを反対にし、ふたを閉め、オレンジのスイッチを押した。過去に戻った時と同じく、青い光に包まれていった。

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