「虎の兄貴! しっかり!」
「救急車呼べ!」
周囲で怒号が飛び交うのを、青年は冷静かつぼんやりと聞いていた。
体はまったく動かない。痛みは分からないが、首一つ動く気がしない。
(あっ、俺死ぬのか……)
そんな事を呆然と、だが確信をもって理解する。
家業柄、それなりに修羅場は潜ってきたのに。呆気ない。
青年は代々ヤの付く自営業の家に生まれて、色んな武術の訓練をしてきた。
柔道、空手、合気道。ドスの使い方から薙刀までやってきた。
さぞ喧嘩三昧かと思えばそうでもなく、性格的には平和主義だったのだが、父譲りの鋭い目つきと眉間の皺、母譲りの整った顔というアンバランスさで、初見は「睨んでる!」と言われ友達は皆無。
ただ、絡まれるので相手をしているうちに舎弟は数十人に増えた。
大学を卒業後は他のシマの奴等とかち合う事も多く、左目と頬、首の後ろ、体にも刃物傷なんて更に近寄りがたい見た目にもなってしまった。
「ゴフッ」
「兄貴!」
一番若い舎弟が手を握って涙を浮かべている。チャラい見た目してるのに、案外気さくでいい奴だった。動物番組見ながら一緒に泣いた仲だ。
「坊ちゃん、どうしてネコを助けようなんてっ」
年上の、お目付役みたいな黒スーツの奴が辺りを見回している。堅物だけどチビの頃から面倒みてくれた律儀な奴だ。
「あのクソ猫、何処行きやがった!」
(ネコたんを虐める野郎は粛正だぞバカ野郎!)
と、サングラスを掛けた奴を怒鳴りたいが声がでない。
そしてふと、助けたネコは無事だろうかと不安な思いがこみ上げた。
青年が現在死にかけている原因。それは路上に飛び出したネコを助けたからだ。
今日は数人の舎弟と共にペットの餌を買いに出ていた。なんせ仕事柄カチコミが多く、庭にはそれなりの数のドーベルマンを放し飼いにしている。時々、月のまとめ買いじゃ足りなくなる時があるのだ。
世話になっている店で大量に買い付け、重い物は数日中に発送してもらい、手には彼らが好きなお菓子だけを持って帰路についていた。
そこに、横合いから一匹の茶トラが路上に飛び出したのだ。
二車線の道路は幅こそないが大型のトラックが走る抜け道でもあり、結構スピードを出す輩もいる。その為「危ないな」と思い目で追っていたのだが、そこに運悪く大型のトラックが蛇行しながら結構なスピードで走ってきた。
「なっ!」
ノンブレーキでクラクションも鳴らさない暴走トラックに驚いたネコが足を止めてしまう。それを見て青年は咄嗟に走ってネコを抱え上げてしまった。
そのまま持ち前の運動神経で渡りきれるのがヒーローだが、青年はそうは出来なかった。背中から解体現場の鉄球でもぶつけられた衝撃に息が詰まり、体中が軋む音が耳についた。
そのまま十数メートル弾き飛ばされた体はゴム玉みたいに数度跳ねて止まった。
直後、トラックが民家かなんかに突っ込んだんだろう轟音がして、周囲が一気に騒がしくなる。
舎弟達の声がする。ネコが、ペロペロ舐める感触がかろうじてある。ザリザリの舌で一生懸命にしていたそいつは舎弟の剣幕に驚いたのかサッといなくなった。
そうして、今にいたる。
救急隊らしい人が視界に入って、何かを言いながらもストレッチャーに青年を乗せる。それにも青年は反応できない。誰の目から見ても、もう助からないのは明白なんだろう。
一緒に来ていた舎弟にサツが事情を聞いている。
遠くで「運転手救護完了! ストレッチャー!」「大丈夫ですよ!」という声をぼんやりしたまま聞いて、(死んでなきゃいいけど……)なんて思って目を閉じた。
こんな終わり方、あるんだな。一応、老後の夢くらいはあったんだが……まぁ、何十年も先の夢だしな。
そんなことをぼんやり思いながら、青年は最後の息を吐き出した。
◇◆◇
「もしもし、聞こえますか?」
そんな、緊張感のない少年の声が直ぐ側でする。
青年はまだ寝ぼけた様にむずがって、煩わしく寝返りを打つ。これに大げさな「わぁ!」という声がした。
「もぉ、起きてよぉ。椎堂虎之助さん!」
「あぁ?」
不機嫌極まりない声を上げ、青年・虎之助は目を開けた。凶悪な目つきが更に凶悪になり、人相だけで逮捕されかねない低気圧。
だが虎之助はふと、動く自分の体を不思議に思い体を起こした。
辺りは夜を散りばめたような空間だった。濃紺の周囲に煌めく瞬きは空間中に広がっていて、地面はあるのにその境界線は分からない。まるで異空間だ。
そこに一人の少年がいる。薄い金色の髪に大きな金色の猫目で、色は白い。顔立ちは整っているが可愛いよりは生意気。背はあまり大きくなく、体も細く思えた。
その彼がこちらを見て、ニッコリと笑った。
「体、痛くないでしょ?」
「え? おっ、おぉ……。でも、俺は……」
「死んだの、覚えてるんだ」
あぁ、やっぱりか。どこかで理解はしていたが、改めて聞くと少しショックだ。親父やお袋を悲しませてしまっただろう。
体を起こしあぐらをかいたまま項垂れる虎之助に、少年は申し訳ない顔をして近づき、腕に触れた。
「ごめんね、ボクを助けたから」
「……あ?」
「あれ、気づかない? ボクはあの時のネコだよ」
可愛らしく首を傾げる少年に、目を点にして見つめる虎之助。だがその表情は徐々にいいようのない複数の感情で歪んでいった。
「無事で良かったけど、ネコたんじゃなかったのかよぉぉ」
「あははっ、ごめんね。でも、本当に助かったんだ。だからちょっとだけ、お礼がしたくてさ」
そう言って、少年は徐に片手を差し出した。
「ボクの名前はネオ。椎堂虎之助さん、ようこそボクの世界に」
小首を傾げ悪戯っぽい調子で言われ、虎之助はその手を取った。
「さて、地球の日本人ならあまり詳しい説明をしなくても良さそうだけど……定番のアレって言えば、分かる?」
その言葉を聞いて、虎之助はピン! とくるものがあった。
「異世界転生、か?」
「ビンゴ! いやぁ、本当の日本人は話が早くて助かるなぁ。履修してる物が違うと詳しい部分は違ってくるけれど、概ねここまでは理解してくれるんだもん」
腕を組み、うんうんと頷いているネオに虎之助は期待の眼差しを向ける。何故なら彼もオタクだから。
異世界転生物は数多く読んできた。俺最強とか無自覚無双とかもあるが、虎之助の心を掴んで離さないのはスローライフやクラフト系。なんせ現実世界だと無縁過ぎたんだ。
そして虎之助の老後の夢はまさに、この路線だったのだ。
「実は、ボクの世界は色々と問題を抱えていてね。それを解決できる逸材を探して地球まで行っていたんだけれど。虎之助さん、いい素質してて良かったよぉ。流石に今回はボクが悪いし、君をこの世界に受け入れる事については決めていたんだけれどね」
広がる夢。
ウッド調の可愛らしい店内に漂う甘い蜂蜜の匂いや可愛らしい花。数席の小さな店のカウンター近くにはリボンやお花の小物を並べ……。
「ほーんと、ボクついてる!」
ふっくら二段のホットケーキや、焼きたてのマフィンに季節のジャムを添えて。紅茶とコーヒーは勿論、冬限定でホットココア・マシュマロを添えて。とか!
「虎之助さん、是非勇者に!」
「俺は可愛らしいふわふわもふもふのぬいぐるみに囲まれたカフェで、甘いお菓子と可愛い小物を売って生活がしたい!」
この瞬間、転生者と神は明確に方向性が分かれたのであった。