涙が骨片に落ち、舞い上がった細かな粉が日向将平のもとへと漂う。
溢れる涙は止まることなくこぼれ落ちた。
かすれた声で日向将平が叫ぶ。
「何億円もする邸宅が欲しかったんだろう?やるよ!結婚式の代理ももう気にしない、だから…起きてくれ!」
昨日まで元気だった人が、ほんの一瞬で無機質な灰になってしまった現実を、彼は受け入れられなかった。
冷たく、散らばる灰。
穴の開いた骨片をぎゅっと握りしめ、手のひらに走る鋭い痛みだけが、これが現実だと彼に突きつけていた。
思い出が次々と脳裏を駆け巡る。
彼女が口にしなかった痛み、自らの手で作り出したすれ違い。
もしもやり直せるなら、どれほど過去を変えたかっただろう。
だが、それはもう叶わない。チャンスさえ完全に失われてしまった。
押し殺した嗚咽が狭い部屋に響く。
そばにいた執事の藤原も、その悲しみに目を赤くしていた。
日向美桜の葬儀が終わった後、日向将平はひどい病に倒れた。
高熱が半月も続き、うわ言はすべて彼女の名前だった。
何度も死にたいと願ったが、その度に夢の中で彼女に突き放されるような感覚に陥った。
目覚めると、空っぽの家で彼女の痕跡を必死に探し回り、ようやく――本当にもういないのだと痛感するのだった。
彼はすっかり痩せこけ、高級なオーダースーツもぶかぶかで、骨ばかりが目立った。
家政婦の松本が、もう合わなくなった服を処分しようとしたとき、日向将平は珍しく怒鳴りつけた。
普段は使用人に温和な彼だが、その厳しさは美桜にだけ向けられていた。
松本は初めての叱責に戸惑い、何もできずに立ち尽くした。
日向将平は自ら、美桜が生前好んで並べていたように服を掛け直す。
指先で並んだ服をなぞりながら、低く呟いた。
「これから、クローゼットのものには触れないでくれ。」
松本は小さく返事をし、夕食は何がいいかと恐る恐る尋ねる。
だが日向将平は、すっかり食欲をなくしていた。病気の後は、何を食べても味がしなかった。
「何か食べないとダメですよ。冷蔵庫には…美桜様が煮てくれたブルーベリージャムがあります。パンに塗ってお出ししましょうか?」
「彼女が作ったジャム?」
日向将平がいくつかのブルーベリージャムの瓶を見つめると、すぐさま彼女がキッチンで忙しくしていた姿が浮かぶ。
ラベルに記された日付は、白鳥紗耶香が屋敷に来た翌日だった。
どんな気持ちで、あの時ジャムを煮ていたのだろう。
ひと口食べると、ちょうど好みの甘さだった。
六つの瓶――自分の時間がもう長くないことを悟っていたのだろう。
しかし、六つあってもいつかは尽きる。
「食べ終わったら……また戻ってきて作ってくれるか?」
返事はない。
苦笑しながら、パンを静かに食べ終えた。
ジャムがなくなる頃、屋敷の花や草も世話する人がいなくなり、次々と枯れていった。
美桜を失った屋敷は魂をなくし、将平自身も同じだった。
外見こそ以前と変わらないが、長年仕えてきた藤原や秘書には分かっていた。
彼は枯れた植物のように、魂の抜けた抜け殻だった。
半年が過ぎた。
日向将平は、ある豪華なプライベートヨットの進水パーティーに招かれていた。
主催者自ら案内役を務め、船内を案内する。
三階のエンターテインメントフロアに着くと、主催者がぜひ体験してくださいと熱心に勧める。
公海上では規則が緩く、賭け金にも制限はない。
多くの招待客がこのために乗船しているのだ。
将平はさほど興味もなく、適当に断ってその場を離れようとした。
だが、その時――視界の端に、見覚えのある姿が映った。
心臓が激しく脈打つ。
彼は駆け寄り、角を曲がろうとしたその人を掴まえた。
相手は痛みに顔をしかめて振り向く。その顔は、毎夜夢に見る彼女――疑いようのない、美桜だった。
一瞬の喜びは、すぐに激しい怒りに飲み込まれた。
彼は細い腕を強く掴み、低く問い詰めた。「美桜、この半年どこに隠れていたんだ?」
「あなた……」
だが、彼女が見せたのは、全くの他人のような困惑した表情。
その視線は、冷たい刃のように将平の胸を突き刺した。
彼女は職業的な距離感で話し始める。「お客様、どちら様でしょうか?」
その言葉は、さらにねじ込まれた刃のように彼を苦しめた。
将平は息を呑み、「美桜、ふざけるな!」
「死んだふりをして、逃げて楽しいか?」
痛みを押し殺しながら、強引に迫る。
美桜はじりじりと後ずさりし、ついに背中が冷たい壁に当たった。
もう逃げ場がないと悟った彼女は、初めて真っ直ぐ将平を見つめる。
「何をおっしゃっているのか分かりません。私はあなたが言う美桜ではありません。」
彼女は胸元のネームプレートを差し出した。
そこにははっきりと「ディーラー 羽田ひかり」と記されていた。
「同僚にも美桜という者はいません。ご案内が必要ならサービスカウンターにお連れしましょうか?」
まるで常連客の勘違いに丁寧に応じるようなその態度に、将平の怒りは頂点に達した。
「まだとぼける気か?」将平は彼女のシャツの右襟を掴み、力任せに引き裂く!
ボタンが飛び、肩が露わになった。だが、そこに彼が知っているはずの銃創の痕はどこにもなかった。
肩どころか、他に古傷がありそうな場所にも、一切の痕跡はない。
美桜は羞恥と怒りに震え、思わず将平の頬を平手で打った!
乾いた音が廊下に響き、頬の痛みで将平は我に返る。
彼女が顔を真っ赤にし、シャツの胸元を必死に押さえているのを見て、
ようやく自分のしたことを理解した。
――こんなこと、するべきじゃなかった。
償うように、彼は自分のジャケットを脱いで彼女の肩に掛けようとしたが、
美桜はそれを振り払うと、そのまま足早に立ち去った。
床に落ちたのはジャケットだけでなく、彼女の「羽田ひかり」という名札もだった。
将平はすぐに名札の写真を撮り、秘書に送った。「この羽田ひかりについて、すべて調べてくれ。」
もしくは、美桜がどうやって羽田ひかりになったのかも。
主催者は美桜の死を知っていたので、静かに諭す。「確かにその女性は美桜様によく似ていましたが、あくまで似ているだけです。美桜様はもう……」
「彼女は死んでいない!ついさっき、俺の目の前にいた!」将平はジャケットの埃もない部分を何度も払う。暗い瞳は嵐の前の海のように静まり返り、不気味なほど冷静だった。
「今度こそ、絶対に彼女を逃がさない。」
主催者はその狂気じみた言葉に、ただため息をつくしかなかった。
これまでは、将平が美桜の死でおかしくなったという噂を信じていなかった。
本来、美桜は日向家ではただの飾り物に過ぎないはずだった。
だが、今の彼を見ると――噂もまんざら嘘ではないのかもしれない、と思わざるを得なかった。
美桜はカジノフロアを離れると、スタッフ用区画には向かわず、
監視カメラを避け、貨物用エレベーターを使ってこっそりVIPフロアへと向かった。
彼女の任務は、富豪・古市一久のスイートルームに忍び込み、彼が携帯している機密書類を盗み出すこと。
クルーズ船はVIPフロアの警備に多額を投じている。
古市の部屋に入るには、専用のカードキーが必要だった。
システム侵入、外壁を伝って進入、通気口からの侵入……いずれも危険すぎる方法しかなかった。
一度失敗すれば、命はない。
どうすればリスクを減らせるか悩んでいたところに、日向将平が現れた。
招待客の筆頭である彼なら、VIPフロアのカードキーを持っているはず――。
彼女は将平に襟を掴まれ、揉み合っている最中、誰にも気づかれずに彼のポケットからカードキーを抜き取った。
気づかれる前にカードを返さなければならない。時間はわずかしかない。
美桜は無事に古市の部屋までたどり着き、金庫の暗証番号を解析している最中、足音が近づき、ダイヤルの音をかき消した。
古市の声がドア越しに聞こえる。
「急用だ。ヘリがすぐ来る。後日改めてお詫びに伺う。」
――予定より早く船を降りるつもりのようだ。