私立
第五節 補則
第一条 特待・特進科生(以下、特待生)をはじめとする成績優秀者には各種優待権が確約される
第二条 特待生は、普通科生徒の日常生活における生活態度の見直しに尽力し、学業成績向上の補助に努める義務を有する
補足第三条 次の組織及び団体に所属する会員は特別執行権を有する
一、特待・特進科生
二、生徒会本部
三、評議会・監査委員会ならびに各種執行委員会
「『学園法』は知っているな」
「そりゃまあ」
「知ってはいます。学内成績の差から生まれる、集団差別みたいなものですよね」
「どちらも認識はしているようで結構」
俺と
「お前らも知っての通り、この学校では生徒間の競争意識がやたら強い。結果として特進クラスから普通コースへの迫害、普通科クラス同士の対立、部活動や委員会におけるヒエラルキーの存在が顕著に見られる。はっきり言って、今の
学園法。
海南高校に根付く架空の法律。その実態は、実力主義的な観点を持つこの学校とコースごとの待遇の格差からなるカーストピラミッド。
先の一幕もそうだ。この旧校舎に向かう途中に見た、特待生によるカツアゲ現場――学年が上だろうと気弱い女子であろうと、普通科の生徒は特待生の命令に逆らえない。弱者が強者の意に背くことは、この学園においては許されない。
「そうなるよう助長しているのがこの学校の法律だ。生徒会会則第七章第五節。『特待・特進科生をはじめとする成績優秀者には各種優待権が確約される』。要するに、頭のいい奴が優遇される。強者の言うことは絶対である――いわゆる学園法だ。生徒の不安や差別意識を利用し競争エネルギーを作り出そうとする。クソみたいなルールがクソみたいな現状を作り出したんだ」
廻戸先生の口ぶりからは憤りが聞き取れる。
先生の眼が映しているのは俺たちではない。この部屋を見据える先生の、声色と視線、放つことごとくが、この空間を歪曲させているようで気味が悪かった。
そして、横に立つ少女も。
桜川ひたちのつぐまれた口元から、細められたその瞳から、穏やかでない感情がこぼれ出ていた。
その空気から少しでも逃れたくて、俺は突発的に浮かんだ思考をそのまま口に出すことにした。
「学園法を廃止することが課題ってわけですか」
「簡潔に言うとな。だが、それは同時に生徒の集団意識を変えるという事だ。千人弱の心に干渉するなど、そうできはしない。ただの一生徒ならな」
「つまりどういうことですか」
「大衆を操るノウハウなど、歴史を遡れば分かりきっている。絶対王政、独裁国家。エリザベス一世やルイ十四世らをはじめとする絶対的な支配者だ」
だいぶぶっ飛んでいる。言わんとすることは分からんではないが、たかが高校生においてそこまでの権威を振りかざせる場面などそうそう現れないだろうに。
「たかが高校生、とか思ってるんだろ。認識が甘いな。学校(ここ)は一国家となんら変わりない。努力如何で実力が伴い、正当な評価が付く制度自体は悪くない。だが、人の感情によってそんなものは容易く否定される。権力がはびこる縦社会。スクールカーストで自分の立ち位置が決定する。他人の悪意によって正しきものが淘汰されるような間違った社会となんら変わらない」
「……要するに、俺たちにその支配者になれと」
「話が早くて助かる」
廻戸先生は満足げに頷いた。
「無論、そんな簡単なものではない。障害は振って注ぐし、大勢の人間を蹴落とすことを強いられることになる」
この社会のトップに立てと。
俺にとってはおよそ不可能であろうことを、さも簡単に言ってのけるじゃないか。
だが、魅力的な提案ではある。
「たしかに、一苦労しそうですね。特にこの学校は厄介な人間だらけだし」
思い当たった一つの思惑に、俺の口元は吊り上がっていた。
言葉を繋ぎながら、視線を隣の少女へと向ける。
「特に、どっかのヒロインなんかは骨が折れそうだ」
含みのある言い方で吐き捨てると、桜川は表情を変えずにこちらを向いた。
「わざわざ呼び出してなにかと思えば……。そんなもの、わたし一人で充分です。もともと自分の力で学園法を撤廃するつもりでしたから」
突っぱねるようにそっぽを向く桜川。
この女は、俺と同じように『課題』をこなしてきただけじゃない。海南に存在する社会で暗躍しながら、その法律すらを変えようとしていたというのだ。
こいつにとっては、あるいはヒロインという立場すら、その野望を叶えるための道具に過ぎないのかもしれない。
「てか、なんでそんなに乗り気なのよあんた」
「いやいや、こんなまたとない機会、逃すほうがバカだろ」
俺にとっては好都合だ。
この学校でカーストの頂点に位置すること。
それはつまり、そいつの意志ひとつで全生徒を動かせるということだ。影響力のある人間の意向はもはや号令となる。ルールを作ること、変えること。人の好感度すらも、操れる。
会ったばかりだが、俺と桜川ひたちは壊滅的にそりが合わない。こんな不遜なやつが学園のヒロインなどと呼ばれているだなんて、詐欺もいいとこだ。今はヒエラルキーのトップに座するこいつを引きずり降ろし、その無様な姿を見下ろしてやるのも悪くない。
そしてなにより? 地に堕ちた桜川を好き放題できるってことだろ?
身も心も思いのまま…………。即ち、俺のそばにこいつを侍らせることができるというわけだ。こいつの高校生活残り二年の青春をすべて俺に費やすことを強要できる。
そう、青春。俺が長らく追い求めてきた、本懐とも呼べる記憶の宝箱に到達できるかもしれないのだ。
桜川だけじゃない。高嶺の花と呼ばれる美少女に取り囲まれて、ハーレム青春生活――俺の積年の野望が果たされるのだ。願ってもない好機なれば。
「……絶対ろくでもないこと考えてるでしょ」
じっとりした視線が突き刺さる。俺の計画がこいつにバレでもしたらただじゃ済まないだろうな。
「そもそも、普通科の生徒になにができるって言うんです? かえって邪魔ですよ」
「おいおい、これは競争だぞ。邪魔も妨害もルールの範疇、むしろ推奨だよ」
桜川の嫌悪感あふれる声色をものともせず、廻戸先生は愉快そうに桜川を煽り立てている。
「腐っても天川は俺が目に掛けている生徒の一人だ。あまりこいつを見くびると痛い目を見るぞ」
なぜか俺の評価が異様に高い。先生、絶対に適当こいてますよね?
そして俺を引き合いに出さないでくれ。言葉を交わして間もないが、そういう風に挑発されると、たぶん桜川は……、
「――……そんなコト、わかってるし」
「なんだ? 聞こえないぞ」
「なんでもないです! なんなんですか、脅しのつもりですか?」
「ビビってんのか?」
「そんなことないです。分かりました。その挑発に乗ってあげますよ」
ほらぁやっぱり乗ってきた。日頃から他人に持ち上げられて身に着いたプライドは相当なものだろう。刺激されればこうなるわ。
「そうと決まれば話が早い。内容は今の通り、期限はお前らが卒業するまで。ルールなんてもんは存在しない。お前らなりのやり方で、この学校を変えてみせろ」
最後に仰々しく語りかけて、廻戸先生はその場を後にした。
……や、そんなデスゲーム開催! みたいなノリで言われても。
「……え、なにこれどう収集つけるの」
勢いに任せて出ていったが、その後のことは投げっぱなしかよ。あとは自分らで勝手にやれって感じ?
結果として、学校一の美少女と放課後の教室で二人きりという夢のような空間が完成した。
夢にまで見た状況だが、いざ体験すると居心地悪いったらありゃしねえな。
ついこぼれ出た独り言と桜川への問いかけ半々、スルーされると気まずくなるからなにか返してくれないかな。
「そんなの知らないわよ」
少し間を置いて返ってきた彼女の声色からは、僅かばかりの怒気が感じられた。いや、圧というべきか。
ともかく、俺のことを見下していることは分かった。
これよ、この目。生ゴミでも見るかのような典型的なカースト上位女子の態度。誰だよ、こいつのことヒロインとか言い出したやつ。
「本気でやる気なの?」
「は?」
「あんなの、どだい無理な話でしょ。なにがあんたを突き動かすの」
桜川が冷たく問う。
そう言われてもな。先生がやれっつったから、としか言いようがない。
というのも、俺はこの学園じゃ廻戸先生に逆らえない。そうせざるを得ない理由があるのだ。
だが、それを他人に口外するわけにはいかない。
俺がこうしている事情、素性も…………それら全てを知る廻戸先生が俺を買いかぶる理由。その遠因となった
「強いていうなら、俺のためだな。俺の信条でな、俺は自分の思い描く青春を作るためなら自分の身をなげうってでも叶えてみせる」
「なにそれ」
俺の行動指針は利益だけだ。俺が得をするためならどんな苦行でも受け入れる。俺が不利益を被るならどんな誘いでも切り捨てる。いつだって自分のために生きてきた。
「カーストのてっぺんに立てば、理想のハーレムを作れるんじゃねえかなって思うわけよ。実際そんなことできなくてもいい。そこに至るまでの過程で、友達だとか、怖い担任教師、憧れのオトナな先輩にやかましい後輩、口うるさい委員長に元気ハツラツな幼馴染――そんなやつらと関われたら、それが俺の高校生活を彩る青になる」
その青を描くためなら、法律さえも変えてみせる。
「なんてーの。俺はこういう、ザ青春って感じの雰囲気が好きなわけよ」
「相反する信条が同居してない? そもそも、信条ってそんなに何個も持ち合わせてるものだっけ」
「信条はいくつあってもいいってのが俺の信条だ。ちなみに俺が抱えてる信条は主に『万物は己がため』『青春を謳歌する』『みんななかよく』の三つだ」
「めちゃくちゃじゃん」
「芯ともいえるな。どんなに腐っててもいい、そこにまっすぐ芯が通ってれば、それが理想の生き様だ」
「屁理屈じゃん。気持ち悪い」
「お前ってやつは、いちいち俺を蔑まなきゃ気が済まないの?」
俺の熱弁は彼女には届かなかったようだ。
「そんなこと言うなら、わたしにも相応の態度が必要なんじゃないの? むしろわたしにこそ気を遣うべきでしょ」
「お前はなんか別だ。そういう感情が湧かない」
「なんでよ!」
すごい剣幕で吠えてきた。
怒りの裏にショックが垣間見えた気がするが、俺の言葉はそんなに堪えるものだったか?
いやだって、こいつに至ってはもう、芸術品みたいなもんだろ。変に整いすぎてエロティシズムが感じられないというか、リビドーを刺激されない。
なんて、自分に言い聞かせてはいるが、だからこそ自覚している。
恋愛感情を抱くことすらおこがましい。本能的にこいつに遠慮してしまっているという、憎たらしい事実ゆえ。
「そもそも、わたしに敵うなんて本気で思ってるの?」
「んなの俺に聞くなよ。第一、俺はそんなこと考えたことはねえ」
すっげ自信。ま、仕方もないか。こんだけの魅力を持ちながら周囲に持ち上げられてちゃ、そりゃ立派な自意識が芽生えても仕方のないことなんだ。
とはいえ、その態度が気に食わないのは事実なので、少し意地悪をしてやろう。
「ま、やれってんならやるけどな。自意識過剰もほどほどにしろよヒロインサマ」
不敵な笑みで挑発してみると、目の前から小さく舌を打つ音がした。
「こいつ吊るす。ぶっ潰す。二度とわたしに歯向かえなくしてやる」
……やっぱり手を引こうかな。こいつ怖すぎる。