【Ⅷ Still, our Heroine is supreme】
何気ない日々の一幕。放課後のこと。
「うまく収集付けたらしいな」
事情を知った
「感謝しなさい? 誰も傷つかずに済んだんだから。これでみんなからの信頼はわたしの総取り。勝負はさらに差が開いたわけね」
それは結果だけだが、収集さえ見栄えが良ければ綺麗に見えるのだから不思議だ。
終わり良ければ総て良し。そういうことに、しておこう。
思えば、全部計算されていたのだろう。
俺と花室が桜川を尾行したあの日。こいつは
作戦――否、次への布石とでも言うべきか。高校生が自然に出入りできて、情報秘匿性の高い実質的な個室空間といえば、カラオケだ。あの日桜川は、一人でカラオケに入っていったわけじゃない。飯田と情報を共有し、計画を練っていたのだ。
だからあの日、飯田は都合がつかなかった。サッカーの試合に関連した用事ではなかったらしい。翌日のあいつの声調から、飯田もその空間に居たことは推測できる。
恐らく
つまり、あの二人も桜川がけしかけて泳がせていたのだ。
この結末を見て、やっとわかった。事前評価の芳しくない二人が、途中までどんな卑劣な手段を使わせても、最後に桜川が直接救いの手を差し伸べてやればいい。それだけで
問題の発生源が、根絶やしにされる。
これは彼女の内心に秘められていたことだろうが、事実両者にとって都合のいい展開となるのだから、後腐れなく遂行できるというものだ。
ただ一つだけ判らないことといえば、桜川ひたち――あいつ自身と俺が恋仲にあるという噂が広まった真相だけは、一連の事件が解決した今に至っても思い至らない。
いやまあ、俺とあいつのことなら、特段気にかける必要もなくなるのだから、やっぱり平和的解決と謳えると言われればそれまででしかないけれど。
問題に関わる全ての人間を気にかけて、丸く収めてみせる。それがこいつのやり方なんだ。
ま、完全に終わってはいないがな。
「で? まさか負け惜しみをしにきたってわけじゃないでしょ」
「ああ、そのことなんだけど」
そう。俺は終わらせにきたのだ。このやかましい一連の一件を。
それもこれも、こいつのせいだ。
「別れよう、桜川」
照れくさそうに言った。
「……はい?」
対する桜川は気の抜けた声を漏らして、それきり表情が固まってしまっている。
しかしそんな様子を気に留めず、俺は続けた。
「かりそめでも、一応、つき合ってた、ことになってただろ。お前の男避けのために。でもその必要はなくなった。誤解は解いたし、飯田の件も、俺たちの件も――これでひと段落着いただろ。皮肉にもお前の助力あってな」
言っていて、恥ずかしさがこみ上げてきて早口になってしまう。
こんなものを真面目に捉えるあたり、桜川からしたら笑いものなんだろうけど、それでも形式はちゃんとすべきかと思った。
「だからこれで終わりだ。お前に守られるのも、お前を守るのも」
守り守られるだなんて、大層な言葉かもしれないけれど。
俺如きを形容するには過ぎた表現だとは思うけれど、なんせ相手はヒロインだ。この学校の
「別れよう」
はたして分不相応にも、俺は校内一の美少女に破局を告げた。
俺から告げた。
こんなところを誰かに見られたら、顔を真っ赤にして憤怒するだろう。あるいは血の気が引いて真っ青になるかもしれない。
たぶん、こんな風に。
目の前で肩を震わせ、なにかをこらえる少女のように、激情に駆られることだろう。
「…………な――に思いあがってんのよ! つき合ってるなんて、フリに決まってるじゃない! そんなのにいちいち別れの言葉なんて、いらないから!」
「――――」
「そんなかしこまって言われると、逆に困るのよ。わたしがフラれたみたいになってるし、あーもう、ほんときつい――」
俺は見た。
見えた。彼女の頬を伝う、一筋の雫を。
いつの間にか。振り落ちる桜の花弁の一つのように落ちていった。
ほんの一粒、にじみ出た微かな水滴だけれど――瞬けばそれは消えていて。
「でも、あんたにそのセリフを言われるのは癪だから、あえてわたしから言うわ! 別れましょ!」
風が頬を撫でた。
目の前の少女の髪が揺れる。
小さく震える女の子が、いま俺に、別れを告げた。
「…………ああ。末永くお幸せにな」
「言われなくても。幸せまっただ中なんだから」
不本意にも結ばれた、不誠実な関係性。
それでも最後は不敵に笑い合って、やっと断ち切ることができたのだ。
「…………ふんっ」
心にもやを抱えながも、しかし晴れやかな風で、桜川ひたちは旧生徒会室を後にした。
「あなたって、残酷なのね」
やがて声をかけてきたのは、ずっと静かに文庫本と見つめ合っていた花室
「お前まで俺を非難するのか。いつのまに桜川に籠絡された?」
「そんな身の毛のよだつ事象が起こり得るはずないでしょう。分からないの?」
相変わらずの桜川嫌いだ。この一件が終わってもそれは治ることはなかった。いや、改善されるきっかけなどありはしないから当然なのだが。
ならなんで、と無言で訴える俺の意を汲み取って、花室は答えた。
「女心というものよ」
花室は答えた。
彼女に対する俺の認識からは及びもつかないような。あるいは一周回って、予想外といった単語が飛び出た。
だが。
そう言われても、なおさらピンとこない。桜川のあの態度のどこに女心を考慮する要素があったというのだ?
「んなもん分かるわけねえだろ。彼女なんていたことねえんだから」
「でしょうね。あまねのような女の敵にそれが理解できていれば、今頃立場を弁えてこの学校から去っているでしょう」
「俺のこと、そんな風に思ってくれてたんだ」
こうもざっくばらんに言われるがままというのもいかがなものか。
なるほど女性の心理というものを、しかしきちんと考えたことはなかった。
俺は人と仲良くしたいがために、他人に嫌われない、悪い印象を抱かれないようにだけを考えて立ち回っていた。真に女の子の気持ちを考慮したことがあるかと言われるとだんまりするしかない。
青春を望む者として、あるまじき失態だ。
ならば。
だとすれば俺は、知る必要があるのではないか。
花室の言う女心というものを。
知らないものを知るのには、理解するには、結局のところ、体験するのがいちばんだと思ったから。体で覚えるのが手っ取り早い。
浮かんだ言葉を、そのまま口にした。
「付き合わない? 俺たち」
「……もう刺されなさいよ」
夏の始まりを感じさせる気温に、雪より冷たい冷気が差し込んできた。
俺の告白を受けた花室は憐れみさえ孕んだ目で俺に一瞥やると、すぐに手に持った本をバッグにしまい足早に部屋から出て行ってしまった。
「――女の子ってのは、難しいな」
人気のない校舎の、誰もいない教室の真ん中に、ぽつんと一人、少年が立ち尽くす。
……結局、これが俺の思い描いた青春なのだろうか。
この狭い部屋で、男女三人、しかし青春の気配など微塵も感じさせないような形相で、噛みつき合う光景が目に浮かぶ。
天川周はきっと、厄介にも彼女らに振り回されるのだ。
花室冬歌はきっと、事あるごとに彼女に食ってかかる。
桜川ひたちはきっと、大胆不敵に佇んでいるのだろう。
勝ち誇った顔で。
大人げなく、年甲斐なく――年相応の、眩しい笑顔で。
くそ、結局だ。
俺がどんなに策を講じて陥れようとも、あの女はそれを跳ね除けて平然としていやがる。
こんなにも横暴で、心が狭くて、不器用で、笑っちまうほどに弱点だらけなのに。
ダメなところなんていくらでも降って湧いてくるのに、それでも。
それでもウチのヒロインが最強すぎる。