涼太は思わず落ちかけた遥の手首をしっかりと掴んだ。温泉の湯がふたりのあいだで静かに渦を巻く。
「ごめん、同僚が呼んでるみたいで」
薄暗がりの中、遥の涙ぼくろが蝋燭の光に一瞬きらめく。彼女はかすかに笑い、「優しい人ですね」とささやいた。手を離すとき、指先が涼太の手のひらをかすめるように撫でた。
【選択が有効になりました:麻衣に応じる】
【特性獲得:自制の報酬——今後登場する女性キャラクターの初期好感度+10%】
涼太は慌てて浴衣を羽織り、温泉から飛び出す。廊下の角で救急箱を抱えた麻衣と鉢合わせた。
「か、課長が転んじゃって!」麻衣は目に涙を浮かべて訴える。「床が滑りすぎて、旅館を訴えるって…」
***
翌日、帰路のバスの中で、涼太はこめかみを揉みながらシステムの通知を確認する。
【霧島遥の好感度ロック85】
【特別アイテム獲得:温泉旅館VIPカード(いつでも宿泊可能)】
突然、スマホが震える。大学の同級生・森山からメッセージが届いた。
『急用!家庭教師のバイトに行けなくなった。代わりに東大附属高校で数学を二コマ教えて!時給2倍!』
返事をする間もなく、もう一通。
『相手は財閥のお嬢様。絶対に失敗しないで!』
【期間限定ミッション発生:天才少女の挑戦】
【目標:星野葵の認定を得る】
【失敗ペナルティ:取得済みスキルのいずれかをランダムで失う】
***
午後三時。涼太は私立桜丘高校の数学教員室で教案を前に頭を抱えていた。内容はどう見ても高度な微積分だ。
「あなたが代講の先生ですか?」
背後から澄んだ声がした。振り返ると、セーラー服をアレンジした制服姿の少女が立っている。膝下までのソックスと短いスカートのあいだに、白い肌がのぞく。片手で鉛筆をくるくる回し、もう一方の手には齧りかけのメロンパン、口元にはクリームがついていた。
【星野葵】
【評価:SS】
【現在の好感度:-10(疑念状態)】
「森山先生から聞いてます。私は手抜きの大人が一番嫌いです」彼女は突然問題集を机に叩きつけた。「この問題が解けないなら出て行ってください」
紙には手書きの偏微分方程式。インクがまだ乾ききっていない。
涼太が問題を一目見ると、システムが即座に通知を出す。
【交換可能スキル検出:数学精通(好感度50消費)】
パネルを見ると、早川千雪(45)+神宮寺綾(25)+霧島遥(85)。迷うことなくスキルを交換する。
「ここはラプラス変換を使います」涼太はチョークを取って黒板に素早く式を書き始めた。「境界条件を代入すると、こんな波形になるんです」
チョークが折れた瞬間、教室の後ろから紙くずが飛んできて葵の頭に当たる。
「また怪物少女が目立ってるし」
教室の隅には三人の女子生徒。机の上にはファッション誌、教科書は開かれていない。リーダー格の金髪の子がガムを膨らませながら言う。「どうせ星野家が校舎を寄付したから、先生も満点くれるんでしょ?」
葵は鉛筆を握る指に力が入り、関節が白くなるが、ただ黙って計算を続ける。
涼太は折れたチョークの半分を金髪の子のガムに的確に投げ入れる。「そんなに暇なら、君が次の問題に挑戦してみれば?」
相手が顔を真っ赤にしたのを見て、涼太は葵の机を軽く叩く。「放課後、残って。もっと簡単な解き方を教えてあげる」
【星野葵の好感度+30】
【現在の好感度:20】
***
夕暮れの教室で、葵は目を丸くして涼太の説明を聞いていた。漫画のキャラクターを例にトポロジーを解説する涼太。
「つまり…ベジータの戦闘力の上昇カーブは典型的なフラクタル構造ってこと?」
「その通り」涼太は問題集を返しながら言う。「君には抽象的な概念を具体的にイメージする方法が足りなかっただけだよ」
そのとき、窓の外からバイクのエンジン音が響いてきた。特攻服を着た不良少年たちが校門を取り囲む。先頭の赤髪の少年が声をかけてくる。
「星野家の車、まだ来てないの?お兄さんたちが送ってやろうか?」
葵の体が明らかに強張る。「あれ、隣の学校の子たち…いつもバス停で待ち伏せされて…」
そのとき、涼太のスマホが震え、システムから赤い警告が表示される。
【暴力的なトラブルのリスクを検知】
【一時的スキル付与:総合格闘術(残り時間00:29:59)】
涼太はバッグを持ち上げ、葵にウインクする。「行こう。実戦数学の授業だ。たとえば、拳が方程式より説得力があるって証明してみせるよ」
校門では、赤髪の不良がタバコに火をつけた瞬間、涼太のバッグが彼の顔面に直撃した。涼太は片手で鉄門を飛び越え、着地しながら回し蹴りで二人を倒す。
「第一講」背後から襲ってきた相手の腕をねじり上げながら言う。「乱暴な解法だけど、効率は抜群だ」
パトカーのサイレンが近づく頃、涼太は最後の不良をゴミ箱に突っ込んでいた。振り返ると、葵がスマホで彼を撮影していた。破れたシャツから覗く腹筋もしっかり映っている。
「証拠です」葵は無表情で言うが、耳は真っ赤になっている。「…ついでに父にも送って、優秀な家庭教師の基準を教えます」
【星野葵の好感度+40】
【現在の好感度:60】
【特別な関係獲得:財閥家族からの注目】
夜の校門前に、黒いロールスロイスがゆっくりと停まる。窓が下がると、後部座席には金縁メガネの中年男性がいた——朝のニュースで見た製薬大手・星野財閥の当主だ。
「先生を家まで送ってさしあげて」彼は執事に指示し、涼太に意味深な視線を投げかける。「来週の補習も、どうぞよろしく」