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第8話 豪雨の足止め

亮太が病室のドアを開けると、麻衣が慌てて何かを枕の下に隠そうとしているのが見えた。


「熱、下がったのか?」亮太はわざとベッドサイドのコップを倒し、麻衣が身をかがめて拾おうとした隙に、枕の下から『オフィス恋愛必勝ガイド』をさっと抜き取った。


「あっ!」麻衣はすぐに取り返そうとしたが、点滴スタンドが大きく揺れた。亮太は片手で彼女の肩を押さえ、もう一方の手でページをめくる――ちょうど「スキンシップのきっかけを作る方法」の章。ページの端には小さなハートマークがぎっしり描かれていた。


「なるほどね。」亮太は蛍光ペンでマークされた部分を指差した。「先週コピーを頼んだ時、わざと手を触れたのも、これを読んだからか?」


麻衣の耳たぶは透けるほど赤くなり、突然激しく咳き込んだ。亮太が慌てて彼女を寝かせようとすると、枕の下からさらに驚くべきものが出てきた――会社に置き忘れた自分の万年筆。キャップには長い髪の毛で編んだ小さな結び目が巻き付けてある。


「それは……私の髪……」麻衣は布団をかぶって小さな声で言った。「神社の巫女さんが、こうすると……」


突然、モニターが警告音を発し、亮太は彼女の心拍が120まで跳ね上がっていることに気づいた。その時、神宮寺澪が勢いよく部屋に飛び込んできて、亮太が持っているものを見て目を細めた。


「まぁまぁ、これは“縁結びのおまじない”だよ~」


澪は背伸びして亮太の耳元で囁いた。「さっきお姉ちゃんから電話があってね、もしあなたが患者さんとイチャイチャしてたら……」小さな手で首を切る真似をする。


【神宮寺澪好感度+10】

【現在の好感度:30】


***


夕暮れ時、突然の豪雨が東大附属図書館を包み込んだ。亮太は入口に立ち、降りしきる雨を睨みつける――星野葵との補習の時間が迫っている。


「先生、この雨の中を突っ切るつもりですか?」


振り向くと、葵が分厚い『量子物理学入門』を抱えて立っていた。制服のスカートが風に揺れている。今日は膝下のソックスを履いておらず、白い足には新しい擦り傷ができていた。


「転んだのか?」亮太はしゃがんで傷を確かめる。


葵はそっぽを向きながら、「剣道部の練習中に……不意打ちでやられました」と答えた。


突然、館内の照明が何度か点滅したあと、完全に消えた。豪雨の影響で停電となり、職員が慌ただしく閉館を告げる。


「非常口から退出を……星野さん?」


葵はすでに亮太の腕を引き、古書修復室に引き込んでいた。暗闇の中、彼女は鍵を取り出す。


「父が寄付した特別閲覧室なら、予備電源があります」


密室で発電機の音が鳴り響き、窓を打つ雨音も消えない。葵がアルコール綿で傷の手当てをしながら、ふと問いかける。


「先生は、なぜ私を助けてくれたんですか?」


「ん?」


「先週の校門の前です。本当は、見て見ぬふりもできたのに……」


亮太が答えようとした瞬間、システムのメッセージが現れる。


【星野葵の心理状態に変化あり】

【スキル交換可能:心理学マスター(消費40pt)】


交換した瞬間、亮太の脳裏に葵の幼い頃の記憶が流れ込む――広すぎる屋敷、ずらりと並んだボディーガード、バースデーケーキには「星野家の後継者へ」と書かれた札。


「君のお父さん……」亮太は慎重に言葉を選ぶ。「よく“さすが俺の娘だ”なんて言うのかな?」


葵の瞳が一瞬大きく見開かれる。


「図星だった?」亮太は机の上に置かれた彼女のスマホを手に取る。ロック画面には複雑な数式が表示されている。「本当に褒めてほしいのは、難問を解いた瞬間じゃなくて……」


写真フォルダの隠しアルバムを開くと、そこには葵がこっそり撮った学園祭の写真が並んでいた。女子たちがたこ焼きを分け合い、肩を組んで自撮りしている。


「……友達とお菓子を分け合う、そのときなんだよね」


葵はテーブルを拳で叩き、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。


「最低!なんで……そんなの、勝手に見て……」


亮太は彼女の拳が自分の胸を叩くのを黙って受け止め、やがて疲れきった葵が肩にもたれてくる。外では雷光が走り、彼女の赤くなった鼻先を照らした。


「先生に初めて会った時……」葵は小さな声でつぶやく。「なんだかコンビニの匂いがしたんです」


「は?」


「悪い意味じゃない!」葵は亮太のネクタイを握りしめる。「おでんの大根みたいな……ほっとする匂いです」


【星野葵好感度+50】

【現在の好感度:110(上限到達)】

【警告:100pt消費で親密イベントを発動できます】


亮太の指先が「確認」ボタンに触れかけた瞬間、スマホのバイブが割り込む――霧島遥から、温泉工事現場で作業員が豪雨で孤立したという写真が届いた。


「先生……」葵がふいに顔を上げる。「今、私がキスしたら、子どもっぽいですか?」


雷が再び部屋を照らし、葵の瞳にはっきりと自分の姿が映り込んでいた。


【選択】

【A. キスを受け入れる(100pt消費)】

【B. ポイントを温存する(“自制の証”バッジ獲得)】

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