本日、藤原家から長らく行方不明だった長女・藤原遥が、ついに家へ戻ってきた。
藤原家の親族の一部を除き、ほぼすべての主要メンバーが彼女の帰還を迎えるために集まっている。
現在の当主・藤原健介とその妻・美智は玄関先を何度も行き来し、落ち着かない様子でたびたび門の方を見つめていた。期待と不安がその表情に色濃く表れている。
「ねえ、遥はいまどんな姿になっているかしら? 私たちを恨んでたりしないかしら……嫌われたりしていない?」美智の声はわずかに震えている。
まだ赤ん坊だった娘が、敵対者の策略でさらわれてしまい、それ以来、行方知れずのままだった。藤原家は十年以上も必死に探し続け、ようやく数日前、フランスの荒廃したスラム街で手がかりをつかんだのだ。
そこは、想像するだけでも胸が痛くなるような場所だった。
娘がどんな苦難を乗り越えてきたのか、考えるだけで心が締め付けられる。
身元が確認できると、すぐに信頼のおける執事・佐藤を派遣し、迎えに行かせた。
彼女の過去を調べようとしたものの、何も情報が残っていなかった。写真一枚すら出てこない。藤原家ほどの力があれば、これほどまでに情報が少ないのは不自然だった。
だが今は、細かいことを気にしている余裕はない。
まずは無事に迎えて落ち着かせることが先決だ。
「大丈夫だよ。たとえ恨まれていたとしても、できる限りのことをして償えば、きっと分かり合えるさ。」健介は妻を慰めるが、その心の中にも不安がなかったわけではない。
三人の息子たちは少し離れたところで静かに座り、時折スマートフォンに視線を落とす。幼い頃の記憶もなく、実感のわかない妹の帰還に、ほんの少しの興味が残るだけだった。
無事に戻ってきたのは、確かに良いことだ。
だが、藤原家という巨大な家に戻ることが、本当に幸せと言えるのか――
そんな思いを巡らせていると、玄関の外から物音がした。ついにその時が来た。
一同が立ち上がる。
……
佐藤執事は遥をフランスから直接迎え、車のドアを開けて本邸の主屋まで案内した。
「お嬢様、ご主人と奥様が中でお待ちです。」佐藤は玄関で足を止め、遥に中へ入るよう促す。
遥はふと顔を上げて尋ねた。「佐藤さんは一緒に入らないの?」
「家のことは家族だけの問題です。私は自分の役目を果たせれば十分です。」佐藤は静かに手で「どうぞ」と示した。
遥は軽く頷き、それ以上は言わず、玄関の扉を踏み越える。
まず目に入ったのは健介と美智だった。視線がぶつかり、言葉にできない何かがその間に漂う。
遥は黙って立ち尽くし、ただ二人を見つめていた。
美智の目には涙が溢れそうになり、一歩一歩、遥に近づいた。しかし、距離を慎重に保ち、まるで壊れ物に触れるような動きだった。
「遥……やっと、やっと帰ってきてくれたのね。」声は震えている。
遥は質素な服装ながら、その顔立ちは隠しきれない美しさがあり、どこか冷たさを感じさせる端正な骨格が印象的だった。
左目の下にある赤い泣きぼくろ。それは藤原家の三兄弟と同じ位置にあり、しかもより鮮やかだった。
それだけで、藤原家の血を間違いなく受け継いでいることが分かる。彼女は家系の美しさを完璧に体現していた。
「お母さん……」遥は目の前の美しい女性を見つめ、かすかに不安と緊張をにじませながらも、素直な声でそう呼んだ。
「それから、私が父親だよ。」健介もすぐに前へ出る。普段は感情を表に出さない彼の顔にも、はっきりとした期待が浮かんでいた。
「お父さん……」遥はおとなしく応じた。
「よく帰ってきてくれたな、遥。」
「ありがとうございます、お父さん、お母さん。」遥は二人の背後に立つ三人に目を向けた。
上品で凛々しい雰囲気の三人が、彼女の兄たちだろう。
「遥、俺は雅人だ。」長男の雅人が一歩前に出る。
背筋がすっと伸び、顔立ちは彫刻のように整い、鼻筋が高く、目尻の泣きぼくろが印象的だった。深い眉と冷たい白い肌、口元にはやや影があり、どこか威圧感を感じさせる。
「涼です。」次男の涼が続いた。
薄い唇と細身の体、静かで落ち着いた雰囲気を持ちつつ、どこか距離を感じさせる冷たさがあった。声は低く、澄んでいて、どの言葉も感情を込めずに発せられる。
「俺は光だよ。」三男の光は手を挙げて、少し明るい声で言う。
銀色に染めた髪、どこか自由奔放な空気、流し目と対称的な泣きぼくろ、引き締まった腰。笑うときに見せる八重歯が少年らしさを感じさせた。
遥は三人の名前を順番に呼んだ。
その素直で柔らかな声に、兄たちの心も自然と和らいだ。
藤原家に、こんな愛らしい妹がいたとは――。
もし、幼い頃から一緒に暮らせていたなら……。
和やかな空気を、突然の女性の声が破った。
「あら、ごめんなさい、時間を間違えちゃって。すぐに迎えに出られなくて、お姉さん、怒ってない?」
遥が声の方を向くと、優雅な女性が螺旋階段を降りてくるところだった。微笑みながらも、その目には冷たさが残っている。
近づいてきた彼女の顔立ちは、血の繋がりこそないが、やはり美しかった。ほんのり色づいた唇、自然と上がる口角、冷たい表情の中にもどこか柔らかさがあった。つややかな肌、育ちの良さを感じさせる上品な所作。
まさに名門の娘と呼ぶにふさわしい。
藤原家の養女、知世。遥よりわずかに年下。
その謝罪の言葉は、むしろ牽制のように感じられた。
「大丈夫です。」遥は目を伏せ、柔らかく答えた。
「そんな上辺だけのこと言っても仕方ないだろ。」光が鼻で笑い、急に表情を険しくした。
遥の心臓が跳ねる。自分に向けられた言葉かと一瞬身構える。
本物と偽物の“姉妹対決”が、もう始まるのか?
これまで十年以上も一緒に過ごしてきた養女への兄たちの思いも強いはず。妹を守ろうとするのも当然だ。
けれど、あまりにも早すぎないだろうか――。
まだ、何も始まっていないのに。