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第三十六話

「いたっ……! 」


清蓮せいれんは驚きと痛みで、また思わず声を上げた。清蓮が自分の胸元を見ると、光聖こうせいは傷口から膿を吸い出し、唾壺だこに吐き出している。


清蓮は痛みと恥ずかしさで光聖を押しのけようとするが、光聖はその手を握って離さず、痛いのは最初だけだと言った。


清蓮は落ち着いた声で話す光聖の言葉を信じてはみたものの、光聖が皮膚をつまんでは膿を出し、吸いつかれるたびに、ひりひりとした痛みが清蓮を襲う。


「いっ! くっ! 」


痛むたびに清蓮は身を捩り、光聖に握られた手を強く握り返した。清蓮は顔を背けた。皮膚をつまみ上げ、膿を吸い出す光聖を見ていられなかった。


痛みで心臓の鼓動は速くなり、呼吸もその度苦しくなってきて、もはや自分ではどうにもならない。

清蓮の顔は痛みと恥ずかしさも相まって真っ赤に染まり、赤い牡丹のように優美ですらあった。


光聖は美しい花を愛でるかのように清蓮を見つめたまま、「もう痛くないから」と囁くように言った。

その言葉に嘘はなかった。

痛みが極限に達すると、潮が引くように痛みも遠のいく。


代わりに清蓮を襲ったのは身悶えするほどの恍惚だ。光聖は握っていた清蓮の手を解放すると、清蓮の背中と腰に手を回し、軽く抱きしめるようにして、膿を吸った。


「あっ! 」


清蓮は身を反らすと、気を失った。光聖はぐったりとした清蓮を支えたまま、最後にもう一度皮膚をつまんだ。膿はなくなり、代わりにうっすらと血が滲み出した。


ぽたぽたと流れ落ちる血が、清蓮の肌衣を赤くじわりと染めた。


光聖は桶の湯に浸して絞った手拭いで傷をきれいにし、滲む汗も拭き取った後、薬を塗り、布を当て晒しを巻く。


無駄のない動きを見せる光聖に対し、ぐったりとした清蓮はされるがままになっていた。光聖は水差しの水で自らの口をすすいだ後、店の者を呼びんだ。


清蓮が着ていた肌衣と唾壷を渡した後、清蓮のところに戻ってきて、新しい肌衣を清蓮に渡す。清蓮は虚な表情でそれを受け取るが、着替えもせずばたりと横になってしまった。


光聖は清蓮を優しく抱き起こすと、「着替えを手伝ってもいいかな? 」と尋ねた。

「うん……」


清蓮はもう精も根も尽き果てて、まともな思考は期待できない。光聖は手早く清蓮の着替えを手伝うと、袖口から小さな巾着を出した。その中から灰緑色の小さな丸い粒を一つ取り出して、清蓮の手のひらにのせた。


「これを飲んで」


「ん、なに? 」


「熱に効く」


「熱? 」


「うん。傷のせいで熱が出ているだろう……」


清蓮はその小さな粒を口に運ぼうと思ったが、あまりの気だるさに口にするのも億劫なようだ。すると見かねた光聖が、清蓮の口に入れようと清蓮の手から粒をとる。


光聖はとろんとした目で自分を見つめる清蓮の口にそっと粒を入れ、湯呑みに入れた水を一口飲ませる。清蓮は粒とともに喉元を通り過ぎていく冷たい水は、熱を帯びた体に心地よく染み渡った。


「もう一口、欲しい? 」


「うん。欲しい……」


光聖はもう一度湯呑みの水を清蓮の口に運ぶ。清蓮はごくりと水を飲むが、勢いあまって水は口の端から滴り、顎をつたってこぼれ落ちた。


「おいしい……」


光聖は清蓮の口から水のこぼれ落ちた軌跡をそっと指で拭うと、清蓮は、「ありがとう」と言って光聖に微笑んだ。清蓮の熱を帯びた目は光聖をとらえ、視線を逸らすことなく何度か瞬きすると、森のなかで見たあの光景が甦ってきた。


瞬きするたびに、白い鹿と光聖が交互に現れたのだ。清蓮はその幻影に触れようと、そっと手を伸ばした。


「君は、何者なの――」


清蓮はその幻影に触れたかどうかわからぬまま、深い夢に落ちていった。光聖は自分の顔に添えられた清蓮の手に自分の手を重ね、肩にもたれて眠る清蓮に話しかける。


「ゆっくり眠るといい」


清蓮を横にすると、掛け物をかけてやる。光聖は躊躇いながらも清蓮の顔をそっとなぞり、消え入りそうな声で言った。


「清蓮。早く、私を思い出して……」




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