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第三十五話

男は蝋燭に火をつけると、炎が部屋を仄暗く照らした。清蓮せいれんは男の言う通り、怪我の手当をしてもらうことにした。豪奢な衣装を脱ぎ肌衣だけになる。

清蓮は男に背を向け、さらに肌衣を脱ぐと、短剣が清蓮の手前に落ち、手拭いに包まれた米が二つ、男の近くに転がっていった。二人は同時に転がった米の包みを見つめた。


「あっ、これはね、そのなんというか……」


慌てふためく清蓮をよそに、男は清蓮の肌の温もりが残る米の包みを拾うと、手のひらで軽く握りしめ、「もう必要ないだろう」と傍に置いた。清蓮は短剣を枕元に忍ばせると、

「君には恥ずかしいところばかり見られてるな。その米は、少しでも女性にょしょうに見えるようにと思ってやったんだ。そんなことで誤魔化せるはずないんだけどね」


「それなりに女性に見えたよ」


「それなりに? 」


「うん。それなりに……。他の者たちを誤魔化せるくらいにはね」


清蓮は男に背を向けているため、男の表情を窺い知ることはできない。だがその声の調子はことのほか楽しそうだ。


「はは……。少しでもそう見えたのなら、良かったというべきかな」


清蓮はすっかり安心しきって、男と背を向けたまま話を続ける。清蓮の背中にある傷は、かさぶたが残るだけだった。男が薬を塗り、手でゆっくり塗り広げていく。


光聖こうせい……」


「えっ? 」


「名前……。私の……」


「こう……せい、こうせい……殿。いい名前だ。君にぴったりの名前だね」


男は、「光聖でかまわない」と言った。清蓮はやっと男の名前を知ることができて嬉しくなった。


「うん、分かった。こう……せい」


清蓮も、「もう知ってるかもしれないけど」と前置きし、自分の名を告げる。


「私のことも清蓮と呼んでくれ。親しい人はそう呼んでるから。それに今殿下と呼ばれるのは困るから」


清蓮が言った最後の言葉を聞くと、光聖と名乗った男は一度手を止め、小さく「うん」と頷いた。背中を向けている清蓮からは、男の表情が見えなかったが、清蓮は余計なことを言ってしまったと思い、慌てて話を逸らす。


光聖も余計なことは言わず、薬を塗り、傷口に手をかざしていく。清蓮の背中を撫でる、ひんやりとしたその手は、火照った清蓮の体温と溶けあい一つになっていく。

そのうち傷は消え、清蓮の引き締まった背中と透き通った白い肌が、光聖の目の前に現れる。腕の傷も同じように手当を済ませると、光聖はこちらに向くよう清蓮に言う。


清蓮は素直に振り返り、光聖と向き合った。清蓮の首には水晶の首飾りが、蝋燭の灯りで柔らかく煌めいていた。清蓮が水晶を見る男の視線に気づき、「これは君がくれたものかな」と、あらためて尋ねる。


「うん」


素っ気なく答えるが、男の表情は柔らかい。


「一目見て気に入ったんだ。光にかざすと綺麗なんだ」


清蓮は水晶を目の前に掲げると、二人はその水晶を静かに見つめ、そのかざした水晶を通して、二人の視線は絡み合う。清蓮はその男を見つめたまま、「ありがとう」と心から言った。


「君が気に入ったのなら、それでいい」


男は控えめに清蓮の言葉を受け止めたが、表情はまんざらでもないようだ。傷の手当を続けようと、男が話題を変える。清蓮の左胸には大きな傷があった。垂直に切れた傷はじくじくとしており、傷も塞がっていなかった。


その傷を見た光聖は、眉間に皺を寄せ表情を曇らせた。清蓮もこの胸の傷が気になっていて、盗みに入った家で薬を探しては、塗ったりしていたのだ。ただ逃亡の身とあっては、できることにも限界があった。


「時間がなくてちゃんと手当できなかったんだ」


「君のせいじゃない」


光聖の表情は依然として堅かったが、「心配しなくていい、すぐに治る」と落ち着いた声で清蓮に言った。光聖は傷周辺の皮膚をつまみ、ぐいっと押した。傷口から薄緑色の膿がぬるりと滲み出てくる。


「いっ! 」


清蓮は思わず清蓮の右手は光聖の肩をつかみ、力いっぱい握りしめる。清蓮がふいに光聖の肩をつかんだことを謝ろうとしたその時、光聖が自らの唇を清蓮の左胸に押し当てた。

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