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第八話 ただのモップは、自分で決まった時間に掃除を始めないぞ

「ところで、ご主人」

「……なんだ?」


 台所から出たトールとアルフィエル。

 その直後にダークエルフの少女が立ち止まり、小声で聞く。


「トゥイリンドウェン姫は、あのままでいいのか?」


 その視線の先には、台所でひざまずき、なにかに――というか、トールになのだが――祈りを捧げたままのリンがいた。

 さすがにあのままにするのはどうなのかと、アルフィエルは良心が咎める。


 一国の姫への扱いではない……という以前に、リンの将来が心配になってしまう。


「ああ……」


 言わんとするところは分かると、トールはリンへ目をやる。


「30分もすれば戻って来るだろ」


 だが、それだけで済ませてしまった。

 リン上級者のクールさを見せつけつつ、リビングを横切っていく。


 まさか、慣れっこなのだろうか。


 そこはかとない戦慄を感じつつ、アルフィエルは主人であるトールの後を追い――


「なんだ……これは……」


 ――その目の前を、モップが通過していった。

 リビングの片隅に立てかけられていた、柄に巻かれた布以外、特になんの変哲もないモップが。


「いや、ただのモップが動くわけがない! 騒霊の類か?」

「ああ。掃除の時間だから、動き出しただけだな。先に説明しとくべきだった」

「すまない、ご主人。理解が追いつかぬ」


 目覚めの時とは立場が逆転。


 アルフィエルは、呆然と布をたなびかせ独りでに移動するモップを見つめる。

 障害物を器用に避け、重力に逆らって壁を移動し、天井から掃除をするモップを。


 掃除の基本は分かっているようだが……そういう問題ではない。


 モップは動かない。動くはずがないのだ。


「ご主人、ご主人。ど、どうなっているのだ、これは?」

「《清掃》のルーンを刻んだ、ただのモップだったんだけど……」

「ただのモップは、自分で決まった時間に掃除を始めないぞ」

「ああ。洒落で、ハチマキの絵を追加したら、やたら高性能になってな」

「絵……?」


 天井を掃き清めているモップ。

 言われてそちらに目をやると、確かに、布は垂れ下がったりはしていなかった。


 モップが稼働している証として、魔力が実体化しているらしい。


 しかし、ハチマキがなぜ掃除の象徴になるのか、アルフィエルにはまったく理解できなかった。


「俺的には、この上なく分かりやすいんだけどな」

「なるほど。異界の物語か」


 しかも、白鳥の時と違ってあらすじを説明しようとしない。ということは、個人的なこだわりはあるが、一般的ではないらしい。


「ちょっと前のマンガだからなぁ……。それに、アニメが終わったのも結構前だし」


 第一、デブリのことを、どう説明したものか……と、トールは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


 そういうところがかわいいご主人だなと、耳をぴっこぴこさせながら、アルフィエルは思ったりもする。


 しかし、いくら可愛いご主人様でも、これはいけない。


「ご主人。とりあえず、掃除は自分がする」

「……ハチマキがするけど?」

「自分がする」


 もう一度断言してから、アルフィエルは問題点を指摘する。


「だいたいモップ……ハチマキでは、掃除の時に窓を開けることもできないだろう」

「あ、家全体に《空調》のルーンが働いてるんで、常に換気されてるような状態になってるよ。台所も含めてね」

「それでも、だ」


 仕事が取られる。

 という思いもあるが、それだけではない。


「これでは、精神が堕落するぞ」

「う~ん。ロボット掃除機と、本質的には変わらないはずなんだけどなぁ。この世界には、まだ早すぎたか……って、俺はSFの宇宙人か」


 トールは与しないが、労働こそ人間らしさを担保するという主張も一理ある。その意味では、アルフィエルの懸念も、分からないではなかった。


「まあ、そこは上手く折り合いを付けてくれ。ハチマキも、自分の仕事が奪われるわけだし」

「むむむ。確かに、自分のほうが新参ではあるな……」


 もちろん、ルーンで動くだけの魔具に意思などない。

 それでも、アルフィエルは律儀に相手の立場を慮ろうとする。


「手が届かない場所は、ハチマキ。それ以外は、自分がハチマキを使う……」


 妥協点を模索するアルフィエルに、トールは任せることにした。

 こちらはやってもらう立場。

 その服装通りメイド扱いするつもりはないが、ダークエルフの少女が納得できるやりかたが一番だ。


「……ご主人。他にもこういった道具があれば、事前に教えておいてもらいたいのだが」

「勝手に動いて家事をするようなのは、他にないよ」

「そうか」


 疑うことなく、アルフィエルは納得した。

 かといって、全面的に信じたわけでもない。


 勝手に動く物はないかもしれないが、とんでもないアイディアで、家事を省力化してしまうことはありえる。

 今の流れだと、洗濯辺りが怪しい。その時に備えて、心の準備はしておこうと決意するアルフィエル。


「そういえば、まったくの別件なのだが、もうひとつ質問をいいだろうか?」


 ふと思いついたように言うアルフィエルに、トールは黙ってうなずく。


 直後、後悔した。


「このメイド服? というのは、ご主人からすると今ひとつなのだろうか?」

「は……い……?」


 緊張に顔を強ばらせ、やや伏し目がちで聞いてくるアルフィエル。

 告白でもされているかのようだ。されたことはないが。


「ちょっと、なにを言われているのか分からないんですけど……」

「だって、あの裸ワイシャツという格好の時は、じっくりちらちら見てくれていたではないか」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 見ている方はさりげないと思っていても、見られている方は別。

 そう正面から指摘されて、トールはその場に崩れ落ちた。


 リンのように。


 ……とはいかない。滑らかさの欠片もなく、無様に。


「いや、まったく悪いことなどひとつもないぞ。むしろ、自分としては嬉しい」

「これ、どうリアクションしろってんだ……」

「自分としては、元の裸ワイシャツに戻すことも、やぶさかではないのだが」


 それを聞いて、トールはすっくと立ち上がった。まるで、敗北から再起する英雄のように。

 そして、肩を掴んで真っ正面から見つめた。


「アルフィエル、人は贅沢に慣れる生き物だ」

「お? うむ。まあ、そうだな……そうか。そういうことか」

「そういうことだ」


 インスタント主従は、無言で分かり合った。

 後ろで、ハチマキが元気よく掃除している。


「このメイド服は、普段の食事。裸ワイシャツは、祝いの料理というとだな。確かに、新年の料理を毎日食べるわけにはいかない」

「わざわざ言葉にしなくても、分かり合えてたよねぇ!?」

「言葉にしたほうが、確実ではないか?」


 おかしなことを言うと、アルフィエルが怪訝そうにする。

 正論は、常に正解とは限らない。


 これ以上の傷を負うことは避けたいと、トールは昨晩アルフィエルを寝かせた部屋へと逃げ込んだ。

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