目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第九話 ファンタジーなら、一晩ぐっすり寝たら全快しているべきなんだよ

「ここが、アルフィの部屋になる」


 そこは、トールの感覚だと8畳から10畳ぐらいの広さがあった。

 部屋の奥には広々としたダブルサイズのベッドが設置され、隣接する出窓からは柔らかな陽光が降り注いでいる。


 ベッドと並んでワードローブ。それとは別に私物を保管するチェストも置かれ、収納は充分。

 この部屋でマンガを描くつもりだったのか。隅にルーンが描かれた、かなり大きめの机も運び込まれていた。


 明かりは他の部屋と同じく天井に刻まれた《燈火》ルーンで賄われるため、全体的にすっきりしていた。


「一晩寝かせてもらってから言うのも、今さらなのだが……」


 恐らく、これもルーンの力なのだろう。快適な温度を保つ室内をぐるりと見回し、アルフィエルは遠慮がちに口を開く。


「本当に、自分がこの部屋を使っていいのだろうか?」

「ああ。まあ、他は準備ができていないというか、特殊すぎるからな」


 だから、自分の部屋にするつもりだったのだが、かといって師匠の部屋を使わせるわけにもいかなかった。上級者向けすぎる。


「いやしかし、広すぎる。元の自分の家がすっぽり収まってしまうぞ」

「それは逆に狭すぎのような」


 それでは、創薬術の作業スペースを考えると、寝ることしかできそうにない。

 アルフィエルの住環境が気になったが、こちらからは聞かないことにしている。


「とにかくこの部屋を使う様に。寝袋で廊下に寝るとか言い出したら、一週間を待たずに解消だ」

「ご主人がそう言うなら……」

「それに、快適さは保証するぞ。例えば……」


 トールは部屋を見回し、机へと移動した。

 そして、その隅に刻まれたルーンに手をかざす。


「……音楽が聞こえてきたぞ。幻聴か?」

「音楽を鳴らしてるんだよ」


 落ち着いたBGMを流しながら、トールは片手を振って否定した。


「《演奏》のルーンが刻まれてるので、手をかざすとなんかいい感じの音楽が勝手に流れる……オルゴールみたいなもんだ」

「オルゴール?」

「こっちにないのか」


 無音で作業するのもなんだなと、軽い気持ちで刻んだルーン。

 しかしまた、こちらの常識に存在しないものだったようだ。


「だが、うん。手軽に音楽が聴けるというのは、素敵なことだな」

「気に入ってくれたのなら、なによりだ」


 けれど、アルフィエルには好評だった。ルーンで隠れ家劇的改造計画で、初めてのことではないだろうか。


 素直に嬉しい。


 調子に乗って、トールは次にワードローブへと移動する。

 扉を開けるが、当然、中身は空。


「ワードローブ……タンスだな、タンス。リンからもらう服は、ここに仕舞うようにしてくれ」

「そのつもりだが……なぜわざわざ指定するのだ?」

「このクローゼットには、《浄化》とか《滅菌》のルーンが刻まれているからな」


 服を吊しておくだけで、洗濯しなくていい。

 トールは、事も無げにそう言った。


「ルーンで洗濯機を作るつもりだったんだけど、組み合わせが複雑で――」

「――ご主人」


 先ほどまでの感動はどこへ行ってしまったのか。

 ダークエルフの少女が、怜悧な美貌で大恩ある主人を真っ直ぐ見つめる。


 こんな予想は当たって欲しくなかったと、真顔で。


「洗濯は、自分が、する」

「なんで?」

「なんでもだ。もちろん、ご主人の服もだぞ」

「いや、それは……」

「機能としてはルーンで充分なのだろうが、せっかく水が無尽蔵に使えるのだ。しっかり洗って太陽と風で乾かしたほうが、気分が良い」

「……まあ、一理あるか。ルーンで強化しておけば、洗濯をしても痛まないし」


 本当に一理あった場合、アルフィエルを手放せなくなるのだが、そこは気付かなかった。

 最後のベッドの仕掛け。

 トールの意識は、そちらに向いていたから。


「でも、このベッドは絶対に気に入るから」

「いや、自分としては普通のベッドというか、床にそのままでも充分――」

「――絶対にノゥ」


 それは許せないと、トールはベッドから布団をどかす。


「ご主人、自分が持とう」

「……頼む」


 布団一式を抱えるアルフィエルの目の前で、トールは愛用のGペンを手にした。


 軽く目を瞑り、頭の中で構図を確認して、息を吐く。


 静から動。


 まるで立ち合いをするかのような迫力で、ベッドに乗ってGペンを振るった。


 ルーンは《安眠》。

 それを手早く刻み終えると、続けて茨に囲まれた城の絵を描いていった。モチーフは、言うまでもなく、眠り姫。


 その見事な手並みと真剣で楽しそうな横顔を見ていると、アルフィエルまで嬉しくなる。


 自堕落なのは良くないが、あまり否定するのも良くないなと、ダークエルフの少女は反省した。

 なにより、不遜ではあるが、自分のためにやってくれていることなのだ。嬉しくないはずがない。


「……こんなもんかな」


 10分もかからず描き終えると、トールはベッドから降りた。汗こそかいていないが、本当に集中していたようだ。わずかに息が上がっている。

 それを気にした様子もなく、アルフィエルから布団を受け取り、ベッドに戻す。


「さて、どんな効果だと思う?」

「分かったぞ、ご主人」


 ベッドを前に、ふふんと大きな胸を張って自信満々に言った。


「わずかな睡眠時間で休息できる。そういうルーンなのだろう」

「残念」

「なんだとご主人!?」


 あっさりと不正解を言い渡され、アルフィエルは抗議の声を上げた。


「では、どういう効果だというのだ?」

「余程のことがない限りは、目を醒まさない。しかし、目覚めたときにはハッピーエンドが約束される。そんなルーンだ」

「……それは呪いと紙一重ではないか?」

「まあ、茨姫自体が、そういう話だからな」

「茨姫?」


 王女が生まれたとき、大いに喜んだ国王夫妻は12人の魔女を祝宴に招いた。

 王女は魔女たちから数々の祝福を与えられるが、宴に呼ばれなかった13人目の魔女が、王女が15歳のとき紡ぎ車の錘が指に刺さって死ぬという呪いをかけた。


 嘆く国王夫妻。


 まだ祝福を授けていなかった12番目の魔女は、呪いを無効化することはできないが、死の代わりに100年の眠りの後目覚めると告げる。


 そして、13人目の魔女の呪いの通り、王女は車の錘が指に刺さり、しかし、死ぬことはなく城の人々すべてを巻き込んで眠りに落ちる。


 同時に、茨が城全体を覆った。


 それから100年。


 王子様が城を訪れ、茨をかき分け王女――茨姫を見つけると、キスをして目覚めさせる。


 城の人々も同時に目覚め、茨姫は王子と結婚して幸せに暮らしました。


「と、茨姫。眠れる森の美女とも呼ぶけど、だいたいこんな感じの話だ」

「つまり、ご主人にキスされないと目覚めないルーン……?」

「いや、普通に100年経って目覚めたという説もあるんで大丈夫だぞ」


 実際には8時間前後で自然と目覚め、体力も気力もやる気も全快している。そんな効果を持つルーンだ。


「そもそも、俺は一人暮らしのつもりだったんだが?」

「トゥイリンドウェン姫がいるではないか」


 ちょっと拗ねたように、アルフィエルが現実を指摘する。長い耳が、わずかに垂れていた。


「リンか……。むしろ、一緒に寝そうなんだが……」

「いや、まさか。そこまで……」


 トールが真顔でアルフィエルを見つめ返す。


 そこまでらしい。

 咳払いをして、ダークエルフの少女は話題を変える。


「しかし、ご主人。今までの傾向からすると意外な効果だな。無論、しっかりと睡眠を取るのは重要だが」

「創薬術を修めた薬師に言われると、説得力があるな」

「まず、健康であること。それが根本ゆえ」

「まあ、そんな大層なことを考えてたわけじゃないけどな」


 トールは肩をすくめて、ベッドに座る。


「ファンタジーなら、一晩ぐっすり寝たら全快しているべきなんだよ」


 真面目くさった顔で、そうトールは断言した。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?