「ここが、アルフィの部屋になる」
そこは、トールの感覚だと8畳から10畳ぐらいの広さがあった。
部屋の奥には広々としたダブルサイズのベッドが設置され、隣接する出窓からは柔らかな陽光が降り注いでいる。
ベッドと並んでワードローブ。それとは別に私物を保管するチェストも置かれ、収納は充分。
この部屋でマンガを描くつもりだったのか。隅にルーンが描かれた、かなり大きめの机も運び込まれていた。
明かりは他の部屋と同じく天井に刻まれた《燈火》ルーンで賄われるため、全体的にすっきりしていた。
「一晩寝かせてもらってから言うのも、今さらなのだが……」
恐らく、これもルーンの力なのだろう。快適な温度を保つ室内をぐるりと見回し、アルフィエルは遠慮がちに口を開く。
「本当に、自分がこの部屋を使っていいのだろうか?」
「ああ。まあ、他は準備ができていないというか、特殊すぎるからな」
だから、自分の部屋にするつもりだったのだが、かといって師匠の部屋を使わせるわけにもいかなかった。上級者向けすぎる。
「いやしかし、広すぎる。元の自分の家がすっぽり収まってしまうぞ」
「それは逆に狭すぎのような」
それでは、創薬術の作業スペースを考えると、寝ることしかできそうにない。
アルフィエルの住環境が気になったが、こちらからは聞かないことにしている。
「とにかくこの部屋を使う様に。寝袋で廊下に寝るとか言い出したら、一週間を待たずに解消だ」
「ご主人がそう言うなら……」
「それに、快適さは保証するぞ。例えば……」
トールは部屋を見回し、机へと移動した。
そして、その隅に刻まれたルーンに手をかざす。
「……音楽が聞こえてきたぞ。幻聴か?」
「音楽を鳴らしてるんだよ」
落ち着いたBGMを流しながら、トールは片手を振って否定した。
「《演奏》のルーンが刻まれてるので、手をかざすとなんかいい感じの音楽が勝手に流れる……オルゴールみたいなもんだ」
「オルゴール?」
「こっちにないのか」
無音で作業するのもなんだなと、軽い気持ちで刻んだルーン。
しかしまた、こちらの常識に存在しないものだったようだ。
「だが、うん。手軽に音楽が聴けるというのは、素敵なことだな」
「気に入ってくれたのなら、なによりだ」
けれど、アルフィエルには好評だった。ルーンで隠れ家劇的改造計画で、初めてのことではないだろうか。
素直に嬉しい。
調子に乗って、トールは次にワードローブへと移動する。
扉を開けるが、当然、中身は空。
「ワードローブ……タンスだな、タンス。リンからもらう服は、ここに仕舞うようにしてくれ」
「そのつもりだが……なぜわざわざ指定するのだ?」
「このクローゼットには、《浄化》とか《滅菌》のルーンが刻まれているからな」
服を吊しておくだけで、洗濯しなくていい。
トールは、事も無げにそう言った。
「ルーンで洗濯機を作るつもりだったんだけど、組み合わせが複雑で――」
「――ご主人」
先ほどまでの感動はどこへ行ってしまったのか。
ダークエルフの少女が、怜悧な美貌で大恩ある主人を真っ直ぐ見つめる。
こんな予想は当たって欲しくなかったと、真顔で。
「洗濯は、自分が、する」
「なんで?」
「なんでもだ。もちろん、ご主人の服もだぞ」
「いや、それは……」
「機能としてはルーンで充分なのだろうが、せっかく水が無尽蔵に使えるのだ。しっかり洗って太陽と風で乾かしたほうが、気分が良い」
「……まあ、一理あるか。ルーンで強化しておけば、洗濯をしても痛まないし」
本当に一理あった場合、アルフィエルを手放せなくなるのだが、そこは気付かなかった。
最後のベッドの仕掛け。
トールの意識は、そちらに向いていたから。
「でも、このベッドは絶対に気に入るから」
「いや、自分としては普通のベッドというか、床にそのままでも充分――」
「――絶対にノゥ」
それは許せないと、トールはベッドから布団をどかす。
「ご主人、自分が持とう」
「……頼む」
布団一式を抱えるアルフィエルの目の前で、トールは愛用のGペンを手にした。
軽く目を瞑り、頭の中で構図を確認して、息を吐く。
静から動。
まるで立ち合いをするかのような迫力で、ベッドに乗ってGペンを振るった。
ルーンは《安眠》。
それを手早く刻み終えると、続けて茨に囲まれた城の絵を描いていった。モチーフは、言うまでもなく、眠り姫。
その見事な手並みと真剣で楽しそうな横顔を見ていると、アルフィエルまで嬉しくなる。
自堕落なのは良くないが、あまり否定するのも良くないなと、ダークエルフの少女は反省した。
なにより、不遜ではあるが、自分のためにやってくれていることなのだ。嬉しくないはずがない。
「……こんなもんかな」
10分もかからず描き終えると、トールはベッドから降りた。汗こそかいていないが、本当に集中していたようだ。わずかに息が上がっている。
それを気にした様子もなく、アルフィエルから布団を受け取り、ベッドに戻す。
「さて、どんな効果だと思う?」
「分かったぞ、ご主人」
ベッドを前に、ふふんと大きな胸を張って自信満々に言った。
「わずかな睡眠時間で休息できる。そういうルーンなのだろう」
「残念」
「なんだとご主人!?」
あっさりと不正解を言い渡され、アルフィエルは抗議の声を上げた。
「では、どういう効果だというのだ?」
「余程のことがない限りは、目を醒まさない。しかし、目覚めたときにはハッピーエンドが約束される。そんなルーンだ」
「……それは呪いと紙一重ではないか?」
「まあ、茨姫自体が、そういう話だからな」
「茨姫?」
王女が生まれたとき、大いに喜んだ国王夫妻は12人の魔女を祝宴に招いた。
王女は魔女たちから数々の祝福を与えられるが、宴に呼ばれなかった13人目の魔女が、王女が15歳のとき紡ぎ車の錘が指に刺さって死ぬという呪いをかけた。
嘆く国王夫妻。
まだ祝福を授けていなかった12番目の魔女は、呪いを無効化することはできないが、死の代わりに100年の眠りの後目覚めると告げる。
そして、13人目の魔女の呪いの通り、王女は車の錘が指に刺さり、しかし、死ぬことはなく城の人々すべてを巻き込んで眠りに落ちる。
同時に、茨が城全体を覆った。
それから100年。
王子様が城を訪れ、茨をかき分け王女――茨姫を見つけると、キスをして目覚めさせる。
城の人々も同時に目覚め、茨姫は王子と結婚して幸せに暮らしました。
「と、茨姫。眠れる森の美女とも呼ぶけど、だいたいこんな感じの話だ」
「つまり、ご主人にキスされないと目覚めないルーン……?」
「いや、普通に100年経って目覚めたという説もあるんで大丈夫だぞ」
実際には8時間前後で自然と目覚め、体力も気力もやる気も全快している。そんな効果を持つルーンだ。
「そもそも、俺は一人暮らしのつもりだったんだが?」
「トゥイリンドウェン姫がいるではないか」
ちょっと拗ねたように、アルフィエルが現実を指摘する。長い耳が、わずかに垂れていた。
「リンか……。むしろ、一緒に寝そうなんだが……」
「いや、まさか。そこまで……」
トールが真顔でアルフィエルを見つめ返す。
そこまでらしい。
咳払いをして、ダークエルフの少女は話題を変える。
「しかし、ご主人。今までの傾向からすると意外な効果だな。無論、しっかりと睡眠を取るのは重要だが」
「創薬術を修めた薬師に言われると、説得力があるな」
「まず、健康であること。それが根本ゆえ」
「まあ、そんな大層なことを考えてたわけじゃないけどな」
トールは肩をすくめて、ベッドに座る。
「ファンタジーなら、一晩ぐっすり寝たら全快しているべきなんだよ」
真面目くさった顔で、そうトールは断言した。