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第十話 それ、普通は願いが叶ったって言うからな

「トールさーん。どーこーですかー」


 扉の向こうから聞こえてくる声。


「お、リンが復活したみたいだな」


 ベッドに座ったばかりのトールが立ち上がり、部屋から出て行こうとする。

 仕方がないことだが、いささか残念だ。


 アルフィエルの耳がわずかに下がる……が、すぐに、名案が思い浮かんだ。


「いや、ご主人はそのままで。自分が、呼んでこよう」

「どうせ、次の部屋に行くし……」

「いいのだ。いっそ、寝ててくれても構わん。否、寝ててくれ」

「アルフィのベッドなんだけど?」

「だからだ」


 有無を言わせず、アルフィエルは部屋から出て行った。


「別に、疲れてるわけではないんだけど……」


 過保護な仮採用メイドの言う通り横になるわけにもいかず、トールは居心地悪そうに周囲を見回す。


「ちょっと、殺風景だったかな……」


 絵画なり、観葉植物なり。なんらかの飾りを用意しておくべきだったかもしれない。引っ越し前は、いや、今の今までそんなことは考えていなかった。


 しかし、ここがアルフィエル――女性の部屋だと考えると、飾り気がなさ過ぎる。


 そんなことを考えていると、扉が勢いよく開いた。


「あうわばば。トールさん、とーるさぁん!」


 それと同時に姿を現し、駆け寄ってくるリン。

 涙目で、足をもつれさせながら、長い耳を動かして、両手を突き出しながら。


 危うい。


「あああ、リン。転けるな――」

「ぶふあっ」


 トールの不安は的中し、リンが、またしても転んだ。

 ピンクブロンドの髪と、若草色の薄布を重ねたワンピースが舞う。


 昨日の再現。


 だが、そのまま同じではなかった。


 トールから贈られた剣を鞘ごと抜き、空中で一回転。絶対死守し、リンは後頭部から落下した。


「まったく……。どうして、その運動神経を転ける前に発揮できないのか……」

「ご主人、すまぬ」


 止められず申し訳なさそうにするアルフィエルと一緒に、トールはリンを抱き起こす。さらに、トールは慣れた手つきで髪を整え、汚れを払ってやる。


 シチュエーションだけなら、完全に、幼子とその両親だった。


「はあぁ……。少しお祈りしてたら、トールさんたちがいなくなっていたので、びっくりしました!」

「少し……」


 アルフィエルが、時空の歪みを発見したような表情でつぶやいた。

 甘い。まだまだ、リン初心者だ。


「なので、毎朝パンを運んでくる話は、てっきり私の夢かと思ってしまいました」

「もちろん、夢だぞ」

「やっぱり!?」

「落ち着くんだ、トゥイリンドウェン姫。紛れもない現実だぞ」

「そんな!?」


 ダークエルフからお墨付きを与えられ、逆に、エルフの末姫は愕然とした。


「いえいえ、だって、私に都合が良すぎる話ですから。そんな、この私が厚遇を受ける理由なんてありませんし。やっぱり、私の願望が生み出した妄想というのが妥当な結論なのでは!?」

「まあ、パンを運ぶとかはともかく、好きなときに遊びに来ればいいじゃん」

「え? 本当ですか!? 私の勝手な期待が現実を侵蝕したのではなく?」

「それ、普通は願いが叶ったって言うからな」


 トールとしても、リンに懐かれて嫌でも嫌いでもないのだ。

 ただ単に、依存されすぎて、たまに不安になるだけで。


「とりあえず、次は風呂と洗面所の仕上げをするか」

「分かった、ご主人。心の準備はできているぞ」

「そもそも、心の準備は必要だろうか?」

「トールさんですから」


 二対一。

 トールは、反論を放棄した。


 妙に悟ったようなダークエルフの少女とエルフの末姫を連れて、台所の隣にある風呂場へと移動する。


「風呂は、まあ、普通だな」

「普通だろうか?」


 見たこともない大きさの鏡がある洗面所兼脱衣所から、風呂場をのぞき込むアルフィエルは首を傾げた。


「今までの流用で、目新しいのは特にないと思うんだけど……」


 家全体に刻まれている《空調》のルーンで、湯気がこもることはない。


 浴槽の側には、台所にも設置したミスラルの蛇口。洗い場には、加えてシャワーが設置されている。いずれも、《創水》と《温水》のルーンを組み合わせたものだ。


 換気扇と水道と給湯器。その程度である。


 広さも、それほどではない。二人はともかく、三人も入ったらいっぱいいっぱいだろう。浴槽だって、足は伸ばせるが、二人で入れるほど広くはなかった。


 ただ、浴室自体にはトールのこだわりがあった。


「確かに、総檜の浴室は、ちょっと豪華かなって思うけど。リフォームの時、職人さんにだいぶわがまま言ったし」

「いや、家に風呂があるのが普通ではないと言いたかったのだが」


 しかも、トールが言った通り、排水溝の蓋まで総檜の浴室はほのかにいい香りがし、風情もある。

 エルフ、ダークエルフともに、豪華ではなく贅沢に感じることだろう。


「トールさん、お風呂大好きですもんね」

「風呂は命、命は風呂だ」


 風呂のない生活など絶対に耐えられない。これは、エルフの宮廷にいた頃から同じ。捨てられない、日本人としての性だった。


「そういえば、トールさん。お風呂のお水は川に流すんですか?」

「ん? 最終的にはそうだけど、一度地下のタンクに流して、そこで《分解》のルーンで綺麗にしてから流すようにしてる。これは、台所やトイレなんかも同じだな」

「なんだかよく分かりませんが、綺麗にしてるから問題ないってことですね!」

「さすが、トゥイリンドウェン姫。ご主人のことをよく理解しているな」

「そっ、そんな畏れ多い!? えへっ。トールさんのことを理解しているだなんて、ふへへ、おこがましいですよっ。うふっ、うえへへっっ」


 褒められて嬉しかったらしく、気持ち悪い笑い声をあげながら、バンバンとアルフィエルを叩くリン。羽ばたきそうなほど、長い耳が上下に振れていた。


 リンの笑い声さえ聞こえなかったことにすれば、なかなか微笑ましい光景。


 しかし、トールの表情は晴れない。億劫そうに、天井を見上げる。


「次は、師匠の……いや、俺の部屋か」


 そして、物憂げにつぶやいた。

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