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第十四話 そういえば、名乗っていませんでしたね

「ご主人、やはりここは自分が持つべきではないか?」

「却下だ」

「トールさん、それなら私が! トールさんに荷物を持ってもらっていると思うと、どうにも落ち着きませんから!」

「トゥイリンドウェン姫、それはさすがに無謀だ」

「そんな!?」


 グリーンスライムの沼をあとにしたトールたちは、早足で森の中を移動していた。トールが、惚れ薬の瓶を大事そうに抱えながら。


 もちろん、まだ惚れ薬だと決まったわけではない。ただの熟成されたワインだという可能性も、充分に残されている。


 しかし、希望的推測にベットするつもりはトールにはなかった。

 現在の非常事態はそれはそれとして、誰にも任せるつもりもまた。


「俺のことは、リンとアルフィが守ってくれるんだろ?」

「もちろんです!」

「当然だ」

「そうやって、ストレートに返されるとリアクションに困るんだが……」


 かなりの移動速度だが、トールに息が上がった様子はない。《耐久》や《旅行》のルーンのお陰だが、それだけではない。

 矢――ボルトの絵が描かれたトールの靴は、短距離でも速い。しかし、今は雨避けシートの限界を越えて移動することはできなかった。


「なるほど。ご主人は率直な言葉に弱いと」

「ど、どど、どどど、どうしましょう!? 私の嘘偽りのない言葉って、かなりあれな気がするんですが! 土下座!? 土下座を続けていけば!?」

「ともかく! 二人が俺のことを守ってくれるんなら、この惚れ薬(仮)にとって最も安全な場所は、俺の腕の中ということになるよな?」


 トールの言葉に、白と黒のエルフは顔を見合わせた。


「……負けられない理由がまたひとつできたな、トゥイリンドウェン姫」

「負けられない……。いいえ、絶対に勝ちますよアルフィエルさん!」

「気合いが入ったんなら良いけど、なんだこの釈然としない感」


 そもそも、どこでスイッチが入ったのかトールには理解ができない。単に事実を口にしただけではないか。


 ――という具合に、無意識に無条件で全幅の信頼を寄せるところが悪いとは気付かないトールだった。


「まあ、惚れ薬はいいんだ。とりあえず、通信の魔具でウルに報告をしたあとは、あいつの方針に従うからな」

「……随分と、ウルヒア王子を買っているのだな」

「俺の素人判断よりは、ましだろうからな」

「それって、もしウルヒア兄さまが、家を捨てろって言ったら……」

「……命には代えられないだろ」


 トールの返答を聞いて、リンは呆然と立ち止まった。雨避けシートの範囲から出てしまい、雨に濡れる。


 だが、動こうとしない。


「そんな……」


 トールがルーンで、生活環境を整えて。

 探検気分で、中を見て回って。

 毎回、美味しい食事を食べて。

 アルフィエルと一緒に寝て、トールと一緒に寝ることはできなくて。


 楽しく過ごした家。


 最悪、それを捨てなければならない。


「リン……」


 慌てて戻ったトールが、同じ気持ちだと濡れた髪や顔を拭いてやる。


「あっ、そうです! こう、私を入り口に縛り付けて置いておいてくれれば、命ある限り斬って斬って斬りまくるので! 絶対にやらせはしません!」

「できるかッ!」


 気持ちは、半分も理解できていなかった。そもそも、リンの気持ちを理解できるという前提がおこがましいことなのかもしれない。


「トゥイリンドウェン姫、まだ、そうなると決まったわけではないのだ」

「……うう、でも。……はい、そうですね! 急ぎましょう」


 なんとか気持ちを切り替えたリンとともに、斬り裂くように森の中を走り抜ける。ぬかるんで移動が困難な地形になっても、今のトールたちには関係ない。


 20分以上、休憩も取らずに走り続け……そこで、グリフォンと再会した。


「クラテール!」


 グリフォンは、モンスターをやり過ごすのでもなく、王都へ帰還するのでもなく。


 隠れ家を守っていた。


 周囲には何体ものモンスターの死体が散らばり、家の入り口にグリフォンが立ちふさがっている。


「ぐるるるるるっっ」


 威嚇するグリフォンの前には、背後にゴーストを従え、顔中に包帯を巻き付けた謎の男がいた。

 灰色のローブに身を包み、正体は分からない。だが、少なくとも、


「モンスター風情が、私に逆らうのですか……」


 男の声はひび割れ、世界への怨嗟に満ちていた。


「《甘き、死の沙よ!》」


 包帯の男の背後に控えていたゴーストが一体、見る間に黒い砂となり果てる。それが意思あるもののように飛び、グリフォンの全身を覆った。


 グリフォンは苦しむように悶え、砂が晴れる頃には、ぴくぴくと痙攣するだけの存在となる。


 呪霊師ソーサラー


 ゴーストを使役し、それを憑依させることによって様々な呪いを与えるスペルキャスターの一派。

 より強いゴーストが、より強い呪いを生み出す。熟練の術者であれば、即座に死を与えることも可能だ。


 今、この場でそうしたように。


 その存在は悪ではないが、悪を為す者が好む職業クラスでもあった。


「クラテールッッ!!」


 リンの悲鳴が、雨音をかき消す。

 グリフォンが泥濘に倒れ込むのが、スローモーションに見えた。


「って、惚けてる場合じゃねえ!」


 雨避けシートを掴んで包帯の呪霊師ソーサラーへ投げつけ、トールはワインの瓶をその場に放り投げて走った。


「大丈夫、衰弱しただけだ。まだ助かる!」


 命は大切だ。

 けれど、平等ではない。


 クラテールが倒したのだろうモンスターの死体を踏み台にして、トールは全力疾走した。まさに、ボルトのような速さ。


 一緒に空を飛んだこともあるグリフォンを、こんなところで死なせるわけにはいかない。絶対に。絶対に、だ。


「トールさん、一人じゃダメです!」


 そのトールの後を、リンも追う。

 結果、アルフィエルと包帯の男が正面から対峙することとなった。


(問題はない)


 無意識に、アルフィエルはイヤリングに触れた。《反呪》のルーンが刻まれた、契約のイヤリングを。

 まさかこの状況を予期していたわけではないだろうが、自分のご主人は最高だと、アルフィエルは不敵に微笑んだ。


「ようやく会えましたね、白鳥の娘」

「お前のことなど、知らないのだがな」


 本気で分からないと、にらみつけるアルフィエル。雨に濡れるダークエルフのメイドに邪眼の力があれば、包帯の男は死んでいたはずだ。


 それほどまでの殺意を向けられゴーストを従えた男は足を止めるが、それも一瞬。すぐに、余裕を取り戻した。


「そういえば、名乗っていませんでしたね」


 元は美しかったのかも知れない、ひび割れた声。

 ローブのフードを取り去り、顔が露わになる。背後のゴーストが、主人をたたえるように周囲を飛び回る。


 包帯が巻かれていて、ほとんど顔は分からない。


 だが、わずかながら肌が露出しており、その肌は褐色。


 アルフィエルと同じ、褐色だった。


「私の名は、メルギリス。血縁上では貴女の兄ですよ、アルフィエル」


 包帯の男――メルギリスが笑みを浮かべた。


 アルフィエルと似た、整った口元に。

 似ても似つかない邪悪で歪んだ笑顔を。

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