「……アリスさん?」
「はい?」
このやりとり、今日だけで何回するんだろう。
そう思ったけど俺は彼女に聞かずにはいられなかった。
元王家の別荘とはいえ、長らく放置されていた屋敷の外壁はあちこち痛んでいた。
だから室内も雨風がしのげれば十分、くらいの気持ちでいたのに。
そんな茫然自失ぎみの俺にアリスが追い打ちをかける。
「あぁ、申し訳ありません。マーライウォン画伯の絵が届くのは再来週なんですの」
「うん! そこじゃないかな――?!」
なんだ? 天然か? 天然なのか?!
なんで絶海の孤島といわれるジーリン島に、今王都で一番人気の画家の絵が届くんだよっ!
しかも、問題は絵だけじゃない。
一歩踏み入れた室内は、壁紙から調度品、設備に至るまでど――みても質がいい。
「あら? それ以外に何かありまして?」
「何っていうか、家からの援助は禁止されてるはずなのに、こんな辺鄙な島で一体どこからこんな予算が……」
そう言った時、ひゅっと冷たいものが俺の背中を伝った。
アリスが微笑んでいる。
それなのにその美しいルビーレッドの瞳は全然笑っていなくて、内心こわぁぁぁぁ! と震えたけどなんとか男の矜持とらで耐えてみた。俺ってば超えらい。
「うふふ、援助など必要ありませんわ。この屋敷にあるものは全て――――わたくし達、自ら手に入れたものですもの」
その愉悦にも近い瞳を見て思い出す。
――そうだ。
彼女はかつて、婚約者の王太子が懸想した平民を手にかけようとして追放された――"悪役令嬢"なのだ。
そして俺は、これからその悪役の本領を見ることとなる。
*
「…………アリスさ――――ん」
「もう、今度は何ですの?」
そんな冷たい目で見ないで欲しい。
だって、彼女から渡された二枚の収益報告書がどう見てもおかしいのだ。
一枚目に渡されたやつは、まぁ妥当だ。
こんな絶海の孤島で収益を上げろというほうが無茶な話で、働いたこともなけりゃ、自分の世話さえまともにしたことがない貴族が、細々と定期船経由で島のフルーツや貝殻で作った小物なんかを販売して収益があるだけで大変素晴らしいことだと思う。
恐らく、王都へはこの収支報告が届いているんだろう。
だが、問題は二枚目。
かつて公爵家嫡男として領地経営を学んだ俺でも、おっかなびっくりしそうな金額がずらりと並んでいる。
「あの、さ? これって計算合ってる……?」
「…………まぁ嫌ですわ、申し訳ございません。二つほど記載漏れですわね。…………本収益はこちらになります」
「おっと増える方向ね?!」
ただでさえ桁がおかしいと思ったらもっとおかしくなった。
絶海の孤島なのに、軽く男爵領を超える金額が動いてるとか本日二度目の眩暈案件だ。
「王都には一枚目の収益で報告を上げておりますわ。こんな辺鄙な島ですもの、わたくし達が生きるだけで精一杯、という
「あ、
まぁそれはこの領主邸を見れば納得できる。外観は古びているが、中は見事な貴族屋敷。
それなりの金がなければこうはならないだろう。
「本命は二枚目。わたくしとザックバラン様を主導に、貴族御用達の香水やアロマの精製、宝飾加工、幻果酒の製造。いずれも今人気急上昇中のブランドですわ。ちなみに流通には我が公爵家がこっそり絡んでおります」
「あー……そっかー……ナルホドー……?」
もう衝撃の数なんて覚えてやいない。
国の方針としては、彼女らに苦労というものを味わせて更生させようとでも思ったんだろう。
そんで俺の"領主"っていう立場は、きっと彼女らを監視するためのもの。
それなのに蓋を開けたら、俺の領地はびっくりするくらい潤ってて改革の余地なんて一ミリもない。
汗水垂らしてこの孤島を開拓し、必死で生きる必要もない。
だって金があるし、住み場もあるし、設備も揃っているし。
それこそ新進気鋭の画家の絵を飾れるくらいには生活にゆとりがあるのだ。
俺が領地経営なんてする前に、この島はすでに完成されてる……ってことは?
「えーと、じゃあ俺、は……一体何をすれば……?」
「特段何も。月に一度、偽の報告書にサインさえして頂ければ他は好きにして頂いても構いませんわ」
アリスの甘い囁きは、まさに俺の夢みたスローライフ。……と思いたいが、今、さらっと虚偽報告書の提出を求められたので平穏なスローライフからはかなり遠いと確信する。
――やれやれ。
まさか初日からニート領主確定とは思わなかったが、どうやら俺に拒否権はないらしい。
あー……やっぱ、さっさと帰っとけばよかったー……というか帰らせて――……