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ep.5金貨 情報は時に、金よりも

狭い路地裏に、重たい靴音が響いた。


古びた石畳の上を、黒ずくめの男たちが無言で取り囲む。その中心、堂々と歩み寄るのは、筋肉質な体躯と短く整えられた髭面の男──


グレオ=バートン。商会ギルドの幹部にして、帝国高官たちと繋がる裏社会の実力者。


「探し物を見つけてくれて、感謝するよ。ミルディアの小娘」


グレオが不敵に笑い、ノエルとメルを見下ろすように言った。


ノエルは震える手でペンダントを握りしめ、後ずさる。だが、メルは相変わらず気楽そうに口元を緩めた。


「ふふん、うちはただ、商売しとるだけやで?」


軽口を叩きながらも、メルの瞳は鋭く、状況を計算していた。


(おそらく、グレオは尾行されとる……いや、確実や)


この路地裏に現れた時点で、メルは確信していた。──アッシュ=ヴェルガス。先日、帝国の裏で動いている情報屋。ある依頼で、グレオの失墜を狙っている男。


以前、接触してきた時の態度、目線、話し方。あの瞬間、メルはすでに見抜いていた。


(今この場で、グレオの手の者やなく、アッシュが近くにおる……)


普通なら気付かぬふりをする場面だが、メルは違った。


グレオを前に、あえて必要以上に大きな声で話し始める。


「いやぁ、ほんま、グレオさんとこうやってお話しできるなんて、光栄やわー! それにしても、このペンダントな?」


わざとらしく、ペンダントを掲げ、路地裏に声を響かせた。


「これが、帝国の獣人差別政策と資源搾取の証拠品やなんて、ほんまにえらいこっちゃな!」


グレオの顔色がわずかに変わる。


部下たちも周囲を警戒するように目を光らせた。


しかし、メルは内心、別の人物へ向けてメッセージを送っている。


(聞いとるやろ、アッシュ。あんたが欲しがっとる決め手、うちが持っとる)


さらに続ける。


「うちも命は惜しいからな、ちゃんと“話の通じる人”となら、取引してもええ思てるんよ!」


表向きはグレオへの言葉。だが、その裏には明確な意図が込められている。


薄暗い路地裏に、緊迫した沈黙が流れた。


「取引? 必要ない」


グレオ=バートンの冷たい声が、路地裏に響いた。


次の瞬間、黒ずくめの部下たちが一斉に動き出す。


「ペンダントを奪え。こいつらごと消せ」


ノエルが小さく悲鳴を上げ、ペンダントを胸に抱きしめる。


メルは歯を食いしばり、瞬時に周囲を見渡した。


(くっ……逃げ場、あらへん……)


これまでか──覚悟を決めたその瞬間。


ズン、と重たい音が鳴り、視界の端に黒い影が現れた。


「……っ!」


黒ずくめの男たちが次々と地面に倒れる。


メルとノエルの目の前に、冷静な気配と共に現れた男──


アッシュ=ヴェルガス。


長身の黒い外套、整った顔立ち、その瞳には冷徹な光が宿っている。


「……やるやんか、危機一髪やな」


メルは笑いながらも、アッシュに警戒の色を見せたまま後ずさる。


アッシュはそんなメルを一瞥し、低く呟く。


「交渉は成立だ」


言葉の意味を理解した瞬間、メルの口元がニヤリと歪んだ。


「さすが、話が早い」


「おい……貴様、何者だ!」


グレオ=バートンが怒鳴り声を上げる。


アッシュはポケットから小型の通信機を取り出すと、無造作にグレオへ投げた。


「自分で確認するんだな」


グレオは警戒しつつも、地面に転がった通信機を拾い上げ、耳に当てる。


数秒後。


グレオの顔色が、みるみる青ざめていった。


「こ、これは……」


耳に響くのは、アッシュが裏で流した機密情報と、メルが握っていたペンダントの情報。そこには帝国の獣人差別政策、資源搾取の裏付け、そして商会ギルド幹部であるグレオの関与まで、すべてが記されていた。


「終わりやな、グレオ=バートンさん」


メルが軽く笑い、ノエルの手からペンダントを受け取る。


「助かったで、あんたのおかげや」


そう言って、メルはアッシュにペンダントを渡した。


アッシュ=ヴェルガスはペンダントを受け取ると、まるで最初からそこにいなかったかのように、音もなく消えていった。


静寂が戻った路地裏。


緊張がふっと抜け、メルは腰に手を当てながら、深く息を吐く。


「ふぅー……危機一髪やったな」


ノエルも同じように、力が抜けたのか、その場にしゃがみ込む。


「ペンダント……すまんかったな」


メルが頭をかきながら、少し申し訳なさそうに言った。


ノエルは首を横に振り、目を伏せる。


「いえ……それで助かったんですから……でも、やっぱりちょっと……」


寂しそうに俯くノエルの表情が、夕暮れの光にかすかに滲んだ。


沈黙が少し流れた後、ノエルがふと顔を上げて言った。


「でも……よく、さっきの人が近くにいるって分かりましたね」


メルは肩をすくめ、ニヤリと笑う。


「あいつ、前に会ったとき、グレオ=バートンの情報を集めとったんや。それに……」


メルは懐から通信細工をいじりながら、続けた。


「うちの情報にも興味津々やったからな。だから、一か八かの賭けやったんや。声、大きめに張り上げてメッセージ送っただけや」


ノエルは目を丸くする。


「でも……本当に助けてくれるなんて」


「まあ、あいつとは腐れ縁やし」


メルは鼻で笑いながら、余裕たっぷりに言葉を続けた。


「あいつ、うちに惚れてるからな」


その瞬間、どこからともなく、何か小さな物がメルの頭に「コツン」と当たった。


「……ん?」


メルが頭上を見上げ、地面に落ちた小さな紙片を拾い上げる。


そこには、たった一言だけ。


《違う》


「……まだおったんかい」


メルは心の中でツッコみ、紙片を握り潰した。


ノエルはそんな様子を見ながらも、どこか寂しげな瞳をしていた。


「姉さんのペンダント……やっぱり、なくなっちゃったんですね」


俯くノエルの横で、メルはふと、紙片と共に手の中に残されたものを見つける。


「……ん?」


小さな、透き通ったガラス片。リシアが大切にしていた、あの独特の光細工の一部だ。


「……ふっ、あいつも気が利くやんか」


メルはそのガラス片をノエルに差し出す。


「ほれ、これ」


ノエルが戸惑いながら受け取る。


「これって……」


「もう一つの仕掛けや」


メルはポケットから小型の光細工ランプを取り出し、ガラス片に光を当てる。


淡い光がガラスの内部を通り抜けた瞬間──


浮かび上がったのは、柔らかく微笑むリシアと、幼い頃のノエルが並んで写る一枚の写真。


「姉さん……」


ノエルの目に、涙がにじむ。


メルは、わざとらしくそっぽを向きながら、鼻を鳴らした。


「あのペンダントには、二つ仕掛けがあったんや」


「一つは、型そのもの。帝国の機密が刻まれた、帝国への脅迫状代わり」


「もう一つは……」


メルは、ガラス片に映る思い出の写真を指でなぞった。


「大事な、あんたと姉ちゃんの記憶や」


夕暮れの帝都に、温かな光と共に、静かな余韻が広がった。


翌朝。帝都の街はいつも通り、喧騒と雑踏に包まれていた。


市場の声、行き交う人々の足音、屋台から立ち上る香ばしい匂い。


その片隅。小さな広場で、ノエルとメルが向かい合っていた。


「メルさん、本当に……ありがとうございました」


ノエルは、深々と頭を下げる。


「うち、姉さんのこと、ちゃんと前に進める気がします」


「ふふん、礼なんてええよ」


メルは気楽そうに言いながらも、どこか満足そうに腕を組んだ。


だが、ノエルはお金の入った小さな袋を差し出してきた。


「でも、これはちゃんと……依頼の報酬、受け取ってください」


メルはその袋を見て、一瞬ニヤリと笑った。


そして、ポケットから紙切れを一枚、ヒラヒラと取り出す。


「もう、報酬はもらっとる」


ノエルが目を見開く。


紙切れには、帝国の極秘情報がびっしりとコピーされていた。


「……いつの間に……」


驚くノエルに、メルは肩をすくめて答える。


「情報は時として、金より価値があるからな」


得意げに笑うその顔は、まさに守銭奴な情報屋のそれだった。


ノエルは呆れたように、でもどこか安心したように微笑んだ。


「やっぱり、メルさんはすごいです」


そう言って、ノエルはペンダントの中の思い出を胸に、背を向けて歩き出す。


その背中を見送りながら、メルは一つ息を吐く。


「さあて、今日も稼ぐで」


そう呟くと、メルはいつもの調子で人混みに紛れ、帝都の雑踏の中へと消えていった。


太陽は高く、帝国の空は今日も変わらず騒がしい。


けれど、そのどこかに、行商人メル=ミルディアの影は確かにあった。

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