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ep.4金貨 記憶が紡ぐ玻璃の地図

部屋の中は、静まり返っていた。窓から差し込む夕暮れの光が、木製の床を淡く照らしている。


ノエルはベッドの端に腰を下ろし、両手で抱えるように古びたノートを開いていた。ページの端は何度もめくられた跡があり、角が少し丸まっている。


そこに綴られていたのは、ただの文字じゃなかった。


リシア──ノエルの姉が記した、かけがえのない記憶の断片だ。


「……水面広場で転びかけたノエルが、自分で立ち上がった……」


ノエルが、小さな声で読み上げる。姉の筆跡は、きれいで、どこか優しい雰囲気がにじんでいた。


ページをめくるたびに現れるのは、懐かしい場所の名前ばかり。


水面広場。月影の小道。銀の橋。路地裏の古い石像。


──全部、リシアとノエルが一緒に過ごした、思い出の場所。


「……」


ノエルの手が止まり、肩がわずかに震える。


メルはその様子を、黙って見ていた。ただ、その瞳の奥は冷静で、どこか鋭さを帯びている。


(想い出話やけど……これ、ただの回顧録ちゃうな)


メルは、さっき見た《月影の玻璃紋》を思い出す。リシアの像に隠されていた、透明なガラス細工の中に刻まれていたあの紋様──


逆さまの三日月。歪んだ六芒星。羽根が交差する、繊細で複雑な模様。


ただの飾りに見えたそれが、今、ノエルの読んでいる日記と脳内で重なっていく。


(場所の名前、出来事、順番……)


メルの頭の中で、点と点が繋がり、一つの“地図”が浮かび上がった。


「ふふ……なるほどな」


メルは軽く笑い、ノエルの隣に腰を下ろす。


「ノエル、その日記、よう見てみ。あんたの姉ちゃん、ただの思い出話を書いとるだけちゃうで」


ノエルが、驚いたようにメルを見つめる。


メルは懐から、あのガラス細工のプレートを取り出す。光をかざすと、模様が淡く浮かび上がった。


「この紋様と、日記の思い出の場所……合わせたら、ペンダントの隠し場所、わかるっちゅうわけや」


ノエルの目が見開かれる。


「そんな……!」


「さすがやな、あんたの姉ちゃん。ほんまに、よう考えとる」


メルの瞳が、狡猾そうに、でもどこか嬉しそうに細められる。


「さぁ、行くでノエル。うちらで、この謎、全部解いてやろやないの」

帝都の大通りを抜け、二人は静かな裏路地へと足を踏み入れた。昼下がりの光が石畳を照らし、遠くから市場の喧騒が微かに聞こえてくる。


「……ここが、水面広場」


ノエルが立ち止まり、ポツリと呟いた。石造りの噴水が中央にあり、水面が陽の光を受けてキラキラと揺れている。


「よぉ覚えとるな、あんた」


メルが隣で腕を組み、口元を緩めた。


ノエルは少し恥ずかしそうに頷く。


「小さい頃、よく姉さんとここで……転んだり、走ったりして……」


メルは軽く目を細め、懐から《月影の玻璃紋》のプレートを取り出す。逆さまの三日月が、透き通るように浮かび上がった。


(ここの噴水の形、三日月の内側と重なっとるな……)


さり気なく視線を巡らせ、広場の配置を確認する。模様の一部が、確かにこの場所を象っている。


次に向かったのは、細い裏通り──《月影の小道》。


「夜になると、ここ、ほんまに暗いんやろ」


「うん、でも……姉さんが光細工のランプをくれて、怖くなくなったの」


ノエルの声が少しだけ明るくなる。その様子を見て、メルは心の中でひとつ頷いた。


(リシアの細工品、ただの飾りやない……ここも、紋様と繋がっとる)


月影の小道の曲がりくねった道。紋様の六芒星の線が、少し歪んでいる部分とぴたりと一致する。


次に二人が訪れたのは、《銀の橋》。


帝都の水路をまたぐ小さな石橋。その下で、姉妹が拾ったガラス片は、今もノエルの部屋に飾られているという。


「ここでも、いっぱい遊んだんやろ?」


メルが問いかけると、ノエルは小さく笑った。


「うん……ガラス片を拾って、姉さんが『これ、いつか特別な細工に使おう』って……」


その言葉に、メルの目が鋭く光る。


「ほぉ……なるほどな」


ガラス片、細工、そして場所──リシアは全てを繋げて、この帝都に《秘密》を仕掛けた。


メルは手の中のプレートを見つめる。交差する羽根の先端、その向きと角度。今まで巡った場所の配置と合わせると、紋様の地図が少しずつ形になっていく。


(最後の羽根の重なりが示す場所……)


メルの脳内で、答えが浮かび上がった。


「あんた、昔よう隠れとった場所、あったやろ?」


「……え?」


ノエルが驚いた顔をする。


メルはニヤリと笑い、手をポケットに突っ込む。


「路地裏の古い石像。あそこが最後の“鍵”や」


ノエルの目が、驚きと微かな期待に揺れた。


「姉さんが……そこに……?」


「さぁな、でも見に行こや。情報と地図が揃った今、答えは目の前やで」


夕暮れの帝都に、メルの足音が軽快に響いた。ノエルはその後ろを追いかけるように、静かに頷いた。

帝都の裏路地は、夕暮れの影が濃く伸びていた。


人通りも少なく、古びた石造りの建物が無言で並んでいる。


その一角──ひっそりと佇む、苔むした古い石像の前に、二人は立っていた。


「ここ……」


ノエルが、少し震える声を漏らす。


古い石像は、人の姿を模したものだった。腕を組み、顔を伏せ、まるで何かを守るように立っている。


幼い頃、ノエルとリシアは、この像の裏に隠れて遊んでいたという。


「絶対に見つからない場所」──そう、リシアは言っていた。


メルは像の周囲を見渡し、手の中のプレートをかざす。


《月影の玻璃紋》。交差する羽根の先端が、今まさにこの像の台座部分を指し示していた。


「ここやな……間違いない」


メルはしゃがみ込み、像の台座を指でなぞった。


古い石に苔が張りつき、わずかな隙間がある。だが、近づいてよく見ると、そこには極めて精密な細工が施されていた。


「姉さんの……細工?」


ノエルが呟く。


「せや、あんたの姉ちゃん……ほんまに器用やな」


メルは微かに笑い、懐から小さな道具を取り出す。


カチリ、カチリ、と慎重に細工を外していくと──


カコッ……と、わずかな音が響き、石の一部が僅かにずれた。


その奥に、細長い銀色のケースが静かに収まっている。


「……!」


ノエルが思わず息を呑んだ。


メルはケースを取り出し、埃を払いながら手渡す。


「ほら、あんたが開け」


ノエルの指が震えながら、ケースの蓋を開ける。


中には、透明なガラス細工のペンダントが静かに輝いていた。中央には、小さな光細工が埋め込まれている。


それは、かつてリシアが「特別な細工に使う」と言っていたガラス片だ。


「姉さん……」


ノエルの瞳から、静かに涙がこぼれ落ちた。


メルは手を伸ばし、ポケットから細工用の小型ランプを取り出した。帝都の職人街で売られている、特殊な光を放つ道具だ。


「ノエル、ちょっと貸し」


ペンダントを受け取り、メルは慎重に光を当てる。


カチッ、と音が鳴り、光がガラスの中を通り抜けた瞬間──


ペンダントの表面に、淡い文字が浮かび上がる。


それは、見間違いようのない帝国の公式印章。さらに、その下には小さく並ぶ、極秘指定文書のコード。


ノエルが、息を呑む。


「これ、姉さん……帝国の……」


メルの表情が険しくなった。ペンダントに刻まれたのは、帝国の《獣人種差別政策》、そして帝国軍が獣人自治区を秘密裏に占領し、資源や労働力を搾取しているという、極めて危険な内部資料の抜粋だった。


「ほぉ……こりゃ、だいぶヤバいもんが隠れとったな」


メルは低く呟き、ペンダントを光にかざしながら睨む。


「情報は時に金よりも価値があるっちゅうけど、これは金どころやない……下手すりゃ首が飛ぶレベルや」


ノエルが顔を青ざめさせる。


その時──


「ふん、察しがいいな、小娘」


低く、威圧的な声が路地裏に響いた。


石像の影から、数人の黒ずくめの男たちが現れる。


その中心に立つのは、がっしりとした体格、黒いスーツ、整えられた髭面の男──


《グレオ=バートン》。商会ギルドの幹部にして、裏で帝国高官と繋がる策士。


「……やっぱり、見とったか」


メルが冷静に呟き、わざとらしく肩をすくめる。


グレオはゆっくりと歩み寄りながら、口元を歪めた。


「よくやってくれたよ、ミルディアの小娘。おかげで“探し物”が見つかった」


部下たちがペンダントを奪うべくじりじりと距離を詰めてくる。


ノエルは後ずさりし、必死にペンダントを握りしめた。


だが、メルは平然と笑みを浮かべる。


「ふふん……あんた、うちのこと甘く見とるやろ」


その瞳に、商人ではなく、情報屋としての冷酷な光が宿った。


「情報は時に金よりも価値がある──うちはその使い方、よう知っとるさかい」

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