バルハイムの西日が石畳を赤く染め始めた頃、メルとノエルは街外れの工房へと足を運んだ。
「……ほんま、辺鄙なとこにあるな。」
「姉は……数日前、ここに行ってたって……多分……」
ノエルのか細い声に、メルはニヤリと笑う。鞄から、先ほど市場で仕入れた《影絵を映す石》を取り出す。
(ここや、この匂い、間違いない。)
木造の工房の扉を押すと、カランと軽やかな鈴の音が響いた。
「いらっしゃい。」
奥から現れたのは、年配の男。手には工具、エプロンは粉塵と染料まみれだが、目元は職人特有の誇りを湛えている。
店内には、色とりどりの石細工が整然と並び、窓辺から差し込む光が石に反射して輝いていた。
「わぁ、すご……こんな綺麗な石、うち初めてや!」
少女のように目を輝かせながら、メルは石を眺め歩く。
「これ、全部店長さんが作ったんですか? こんなに細かい細工、自分じゃ絶対無理やなぁ……」
「まぁ、長年の慣れと根気が要るからな。」
気を良くした店主は、照れたように笑いながら作品の説明を始める。加工の難しさ、光の反射を計算した角度、色石の選別――自慢話が次々と飛び出す。
「おっちゃん、これも見たことあるわ。」
メルはポケットから《影絵を映す石》を取り出した。
「これな、さっき市場で買うたんやけど、子供らがよう遊んでたわ。」
「ああ、それもワシの作品や。」
「えっ、ホンマに!? めっちゃ売れてたで!」
店主は嬉しそうに頷いた。
「あの影絵石はな、光を当てる角度次第でいろんな影を映せる。子供らにはちょっとした仕掛けや。」
「はぁ〜、おもろいこと考えるなぁ……」
メルは楽しげに笑いながら、確信する。この店主こそ、“仕掛けの技術”を持つ人物だ。
「前にもな、毎日のように通ってきた子がいてな。あの子も、あんたみたいに目ぇ輝かせて、石眺めてたわ。」
「へぇ〜、どんな子?」
「黒髪で小柄な子やった。職人の卵みたいな目しとったな。」
(決まりやな、リシア・エヴァレット。間違いない。)
「やっぱ、ええ石見ると血が騒ぐんやな。うちもその子と気が合いそうやわ。」
「フフ、あの子もそう言ってたよ。」
雑談を装いながら、メルは核心へと近づいていく。
リシアの足取り、ペンダントの秘密、影と光の仕掛け――全てが、ここから繋がり始める気配を感じながら。
工房を後にしたメルとノエルは、そのままノエルの家へと向かった。
夜の帳が降りる頃、二人はリシア=エヴァレットの遺品が残された部屋へ足を踏み入れる。
「きれいに片付いてんなぁ……」
メルは思わずそう呟いた。部屋の隅々まで整頓され、埃一つ見当たらない。
「姉はズボラで、掃除とか全然しなくて……私がずっと片付けてたんです。」
ノエルが照れくさそうに言った。だが、その目線の先に、一つだけ異質なものがあった。
窓辺の中央、小さな台座の上に、石でできた奇妙な像が鎮座している。
「これ、なんや……この像、ちょっと目ぇ引くな。」
「それ、姉の作品だと思います。姉が『絶対に動かさないで』って……他のものはどうでも良さそうなのに。」
ノエルの言葉に、メルの目が鋭く光る。
(ただの石細工やないな……)
部屋を軽く見渡しながら、メルは机の上の日記と手帳を手に取った。ページをめくると、几帳面な文字で日々の出来事が記されている。
「ちゃんと日記つけとるやん、ズボラ言うわりに……」
「そこだけは、絶対にサボらなかったんです。」
日記は毎日の記録、手帳には光細工の工程や特徴、材料の組み合わせまで細かく書き込まれていた。
「なるほどな……そっちが本業やったんか。」
メルは窓辺に目を戻す。そして、像の配置、部屋の構造をじっと観察した。
その瞬間、仕入れたばかりの《影絵の石》と、工房で聞いた話が頭の中で繋がる。
「この像……窓の真ん中やな。せやのに、昼間はカーテン閉めとる。変や思わへん?」
ノエルは驚いたように瞬きをする。
「……そういえば、姉は夜は必ずカーテン閉めてた。で、『もし自分が帰らないときは夜に部屋の掃除をして』って……。」
メルはニヤリと笑い、像の前に立った。窓のカーテンを少し開け、夜空に浮かぶ月の光を像に当てる。
すると――
「……出た。」
石像の表面に、かすかな光の紋様が浮かび上がった。リシアの工房識別印だ。
「ほぉん、仕掛けの匂いやな……」
メルは壁を見渡し、識別印の光が反射する先――壁の一角に小さな穴を見つけた。
「そこか……」
月の光が、像を通じてその穴に射し込む。
カコッ、と軽い金属音が響いた。
ノエルが驚く中、メルは壁際に歩み寄り、そこに隠された小さな扉を開いた。
中から出てきたのは、一冊の古びた手帳。
「これが、リシアの隠し日記かいな……」
メルは手帳を開きながら、深く息を吐く。
(こりゃ、えらいもんが出てきたな。)
この日記こそ、ペンダントの秘密と、帝国の裏取引を暴く鍵になる。
メルの目が鋭く細められ、次の一手を探る決意が強まった。
リシアの隠し日記を手に入れた翌日のことだった。
バルハイムの裏路地。石畳が濡れたように黒光りし、陽の差さぬ細い路地裏を、メルはノエルと共に歩いていた。
「今日はここまでや。表の情報屋にはこれ以上の話は出ぇへん。」
「……うん。」
ノエルが不安げに頷いたその時、背後から緩やかな足音が響いた。
「相変わらず、鼻が利くな、桃色の商人。」
その声に、メルの眉がピクリと動く。
「……あんたか。」
振り返ると、薄暗い路地の奥に、灰色がかった無造作な髪の男が立っていた。
アッシュ=ヴェルガス。
黒いコートの裾を揺らし、薄い笑みを浮かべながら、悠然と歩み寄ってくる。
「まさかこんなとこで遭うとはな。相変わらず裏通りが似合う。」
「そっちも、裏稼業から足洗う気配ゼロやな。」
二人の間に、独特な緊張感が漂う。
ノエルが警戒して一歩後ずさるのを、メルが手で制した。
「安心し。今んとこ敵ってわけやない。」
アッシュは片手をポケットに突っ込み、肩をすくめる。
「まぁ、こっちも商売や。敵にも味方にもなる――いつも通りだ。」
メルは小さく笑い、慎重に言葉を選んだ。
「ほな、ビジネスとして情報交換するか?」
「望むところだ。」
二人はわずかな距離を保ったまま、情報を切り出す。
メルは隠し日記の存在――核心部分は伏せつつ、商会ギルドと帝国の流れを探っていることだけを匂わせた。
アッシュは、一瞬だけ鋭い視線をメルに向けたが、すぐに薄笑いを浮かべる。
「なるほどな、相変わらず抜け目ない。」
「ほな、そっちの持っとる情報は?」
アッシュは、辺りを見渡し、声を潜めた。
「グレオ=バートン。あいつが裏でガラス細工の流通を抑えてる。高官婦人の流行? あれは全部、ヤツの仕込みだ。」
「グレオ、ねぇ……商会ギルドの幹部。」
「そういうこった。」
アッシュはくるりと背を向けると、歩き出しながら最後に振り返った。
「用心しろよ、メル。裏を覗きすぎると、目を潰されるぞ。」
そのまま、アッシュは路地の闇へと溶けていった。
メルはわずかに目を細め、口元を歪める。
「ふぅん……やっぱ、油断ならん男やな。」
だが、その表情には確かな自信と、情報戦を楽しむ気配が滲んでいた。
裏路地の石畳に地図と紙片、リシアの隠し日記を並べ、メルはツインテールを指先でくるくる弄びながら話を始めた。
「ええか、お嬢ちゃん。今ある情報、全部繋げて見せたる。」
ノエルが緊張した面持ちで頷く。
「まず、ガラス細工の高騰と流行。表向きは“光細工師の休業”が原因や。」
メルは地図の一角、市場と工房の位置を示した。
「でも実際は、光細工師が次々と失踪しとる。病気って話はデタラメや。」
ノエルが小さく息を呑む。
「次に、商会ギルドの動きや。奴らが市場のガラス細工を買い占め、価格を釣り上げとる。」
「……高官の奥様方が、みんな欲しがってるって……」
「せや。そして、その裏で糸を引いとるのが――グレオ=バートン。商会ギルドの幹部や。」
メルの目が細く鋭く光る。
「グレオが流行を偽り、買い占めを仕掛け、裏で帝国高官と繋がっとる。なぜか?」
ノエルは不安げにメルを見つめた。
「理由は簡単や。奴らが狙ってるのは、リシアのペンダントや。」
ノエルの目が大きく見開かれる。
「お姉ちゃんを消したあと、ペンダントを奪おうとした。でも見つからんかった。せやから、片っ端からガラス細工を買い占め、光細工師を拉致しとる。」
「そんな……」
「グレオ=バートンは流行を装い、情報の隠された細工品を探しとるんや。たぶん、ペンダントには帝国にとって“まずい情報”が記されとった。」
メルは日記を指でなぞり、続けた。
「リシアは自分が狙われとるのに気づいとった。せやから、あんたにペンダントを託そうとした。」
「でも……」
「普通に渡したら、あんたにも危険が及ぶ。せやから、あの人は細工を仕込んだ。」
メルの目が、わずかに柔らかく細められる。
「お姉ちゃんはな、本当は几帳面な性格やったんやないか? 日記や手帳、きっちりつけとる証拠や。」
「……え?」
「ズボラを演じとったんや。像の仕掛けを、あんたに気付いてもらうために。」
ノエルは息を呑む。
「そして、この部屋で見つけた日記。」
メルは隠し日記を開き、ページをめくる。
「ここに、ペンダントの“本当の場所”が記されとるはずや。次はそれを探す。」
ノエルの瞳が揺れながら、静かに決意の色を宿した。
メルはニヤリと笑い、ツインテールを揺らす。
「情報は、時に金よりも価値がある。せやから、うちは最後まで追い詰めたるで。」