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ep.2金貨 商人の顔、探偵の目――バルハイムの影に迫る

バルハイムの街は、今日もいつものように賑わっていた。


だが、メル=ミルディアの目には、ほんの少しだけいつもと違うものが映っていた。


「ほらほら、これ新しく仕入れた香料やで。奥さん、これで焼き菓子作ったら売れ筋間違いなしや。」


「ほんと? あんたの品は信用できるからねぇ。」


「ほな、サービスでもう一袋つけといたるわ。」


ニコニコと商売を続けながら、メルは巧みに話題を切り出す。


「ところで最近、ガラス細工の値が跳ね上がっとるらしいなぁ。なんでも流行やとか。」


「そうそう、帝国のお偉いさんの奥様方がこぞって欲しがってるとかね。どうせまた商会ギルドが裏で手を引いてるんじゃないの?」


「ま、そやろなぁ。あいつらが絡むと碌なことにならへん。」


メルはさり気なく頷き、心の中で情報を整理する。(やっぱり、商会ギルドが絡んどるか……。)


別の露天商からはこんな話も耳に入る。


「なぁメルちゃん、最近、光細工師が続けて休業してるんやてな。」


「うん? 聞いとるで。病気とか言うとったけど、ほんまかいな?」


「怪しいもんや。店閉めたまま、家にもおらんっちゅう話や。」


「ふぅん……ほな、流通が止まるわけやな。」


メルは商談を装いながら、淡々と情報を拾い続けた。


その様子を見ていたノエルは、次第に不安を募らせていく。


(本当に……探してくれているのかな……?)


メルはただの行商人として商売しているようにしか見えない。品物を売り、何気ない世間話をしているだけ。ノエルの姉を探してくれるというのは、ただの口約束だったのではないか――そんな疑念が胸を掠める。


「あ、あの……メルさん……本当に、探して……」


ノエルが不安げに声をかけた。


するとメルは、品物を差し出したまま、ふっと笑った。


「お嬢ちゃん、焦らんとき。情報屋っちゅうのはな、大きい話だけ拾うもんちゃう。」


「え……?」


「どんな小さい情報でも、情報は情報や。小石が積もって山になるんやで。」


ノエルは言葉に詰まった。


メルは楽しそうに商談を続けながら、裏では複雑に情報を組み立てていた。


「ほんで、最近おかしな話もあるんや。」


別の商人が、ふと声を潜めた。


「警邏隊の人間が、やけに商会ギルドの建物に出入りしとる。あそこは一般取引、ほとんど受け付けてへんはずやのにな。」


「へぇ……おかしな話やな。」


「それにな、行商人がたまたまガラス細工を仕入れとっただけで逮捕されたって噂もある。」


「ほぉん……ほな、誰かが意図的に動いとるっちゅうことやろな。」


メルの口元が、わずかに歪む。


その一方で、別の露店で子供たちが盛り上がっていた。


「見て見て! これ光を当てると、すっごい大きな影が映るんだ!」


「でっかい影、夜の壁に映すとめちゃくちゃ怖いんだぜ!」


彼らが遊んでいたのは、“石のおもちゃ”。光を通すことで、特定の影絵が壁に映し出される仕掛けだった。


(あの巨大な影の噂、もしかして……これのことやな。)


メルは小さく笑いながら、子供たちからその石のおもちゃを一本仕入れた。


(噂の裏には、必ず種があるもんや。)


ゆるやかに、しかし確実に情報の断片は繋がり始めていた。


メルはノエルをちらりと見やり、ニヤリと笑う。


「ほな、次行くで。まだ拾わなあかん情報は山ほどあるんや。」


ノエルは小さく頷き、二人は再び賑わう街の中へ歩き出した。


情報は、時に金よりも価値がある――その言葉の重みを、ノエルは少しずつ理解し始めていた。

活気ある市場の喧騒の中、メルはツインテールを揺らしながら、仕入れ品の入った鞄を肩にかけ歩き続ける。表向きはただの行商人、だがその耳は常に情報を拾い、思考は裏の事情を組み立てていた。


(光細工師の失踪、ガラス細工の高騰、帝国高官の流行、商会ギルド、警邏隊……)


一つ一つは取るに足らん噂や雑談ばかり。だが、注意深く耳を傾ければ、断片は次第に輪郭を持ち始める。


「聞いたかい? 商会ギルド、最近ガラス細工の流通をほとんど閉めとるらしいで。」


「ほんまや。品薄で値が上がる一方や。しかも警邏隊がギルドの建物に出入りしとるっちゅう話やしな。」


「この間、行商人が捕まったやろ? ガラス製品持っとっただけでや。」


別の場所では、別の声がする。


「高官の奥様方、最近やけに派手なガラス細工を着けとるわ。あれ、どう見ても普通の細工やないで。」


(裏でギルドと帝国高官が繋がっとる……ガラス細工は、その取引材料か。)


メルは指先で革袋の留め具をコツンと弾く。断片の情報が、頭の中で自然と一つの線を描き出していく。


(流行に見せかけた裏の仕掛け、ガラス細工の買い占め、技術者の失踪、警邏隊の動き、高官婦人の嗜好――)


全てが偶然に見えて、綺麗に繋がった。


(ほぉん……思った通りや。こりゃ、帝国の上層と裏社会が、表と裏で同時に動いとるな。)


表向きは流行と価格高騰、裏では情報のやり取りと工作活動。そのど真ん中に、ノエルの姉――リシア・エヴァレットのペンダントが絡んでいる。


「情報は、時に金よりも価値がある……か。」


メルは自分の信条を噛み締めながら、小さく笑う。ばらばらだった情報が、一つの大きな絵を形作り始めていた。

バルハイムの市場通りを少し外れた静かな石畳の小道。行き交う人の声が遠くなり、夕暮れの影が長く伸びる。


メルは立ち止まり、ノエルの方を振り返った。


「お嬢ちゃん、ちょっとええか?」


「……はい?」


「そろそろ、きっちり聞いとかなあかん話がある。」


ノエルは少し戸惑いながらも、メルの鋭い視線に促されて小さく頷く。


「姉ちゃんの死に方や。」


その言葉に、ノエルの表情が曇る。だが、逃げることなく、拳を握りしめた。


「……あの時、私、姉と待ち合わせの約束をしてたんです。」


メルは無言で続きを促す。


「誕生日だったから、姉が“特別なプレゼントを渡す”って……ペンダントを。」


ノエルの声がわずかに震える。


「でも、約束の場所に姉は来なかった……。後で知らされたんです。姉が、川沿いの橋の下で……溺れて亡くなったって。」


「ふぅん……その場所、あんたらの待ち合わせ場所とは反対やったんやろ?」


「……はい。待ち合わせは市場の中央広場、でも……姉が見つかったのは、反対側の運河沿いの橋。」


ノエルの目元に、悔しさと疑念が浮かぶ。


「絶対におかしいと思ったんです。姉は泳げないのに、あんなとこにいるはずがない。」


「せやな。それで?」


「警邏隊……この街の、いわゆる警察みたいな人たちに話しました。でも、“事故死で片付いてる”の一点張りで、取り合ってくれなくて……。」


ノエルは歯を食いしばった。


「だから、自分で調べようとしたんです。姉の知り合いとか、情報屋の人にも声をかけて。でも、誰も何も教えてくれなくて……」


メルは肩をすくめ、冷静に言い放つ。


「そらそうや。この街じゃ、情報は貴重品や。素人が顔突っ込んでも、誰もタダで話なんかせぇへん。」


ノエルは悔しそうに俯く。


「だから……だから、どうしていいかわからなくて……。そんな時、噂で聞いたんです。“探偵メル”って……」


その言葉に、メルは苦笑し、心の中でツッコんだ。


(うちは行商人なんやが……いつの間にそんな看板背負わされとるんや。)


だが、表情には出さず、代わりに真剣な眼差しでノエルを見つめ返す。


「お嬢ちゃん、ええか? この街じゃ、真実は金と情報でしか掴まれへん。甘いこと考えとったら、すぐ裏で消されるで。」


ノエルは小さく震えたが、それでも目を逸らさずに頷いた。


メルは満足そうに小さく笑い、ツインテールを揺らす。


「よっしゃ。話は十分聞いた。次は、うちが聞き出す番や。」


影が深くなる石畳の先を見据え、メルは歩き出した。ノエルも、その背を追いかけて歩き出す。


運河沿いの橋、消えたペンダント、情報を隠す者たち――全ての点を線に変える時が、近づいていた。


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