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第6話 家族

結菜と別れて、居候中の姉、郁のマンションに帰る途中、最寄り駅のスーパーに寄った。


冷蔵庫に何があったか思い出しながら…夕飯のメニューを考える。


やけに混んでいると思ったら、夕方だった。

スーパーの自動ドアの向こうに夕陽が見える。文仁の妻として生きていた1年間を思い出した。


買い物をしながら、当時の自分と同じような主婦を探してしまう。

どこかスーパーに馴染めないような、万年新人主婦、みたいな人。



…そんな人、見当たらなかった。

どの人も皆、目の前の商品と真剣に向き合って、何を買えばお得か考えているように見える。


やっぱり私は、ちょっと変な主婦だったのかもしれない。




「今日は麻婆豆腐にしましたよん」


先に家に帰って料理をして、帰ってきた郁にメニューを報告する。


「ありがてぇ…さすが妹…!」


郁は財布からお金を出して私に渡して来た。


「いらないよ。文仁が生活費くれてるから」


「…へ?マジ?」


郁が結菜と同じような反応をしたと気づく。


「よく出来た…元夫、だと思う?」


「もちのロン!…うちの奴なんかさぁ〜私にせびってばっかりだよ?」


文仁はよく出来た夫だったと、2人に言われて、そうだったのかと思う。


…だとしても、姉の恋人を引き合いに出すのは間違ってると思う。

比べるのは、文仁に失礼だ。



「まだ続いてるの?…クマちゃん、だっけ?」


「うん!クマちゃん。…続いてるよ!」


…あっけらかんと言いながら、郁は鍋の中の麻婆豆腐にスプーンを突っ込んだ。


「いい加減、別れなよ?…私でもわかるよ?クマがろくでもない男だって」


2口目のスプーンを突っ込む郁の手を掴む。ふぅ…とわかりやすいため息をついて、郁はキッチンに続く部屋に入っていく。


郁の恋人、熊川吾郎は既婚者だ。

付き合い始めて多分3年くらい。

既婚者だとわかって…もう1年くらいにはなる。


「結婚しようとか、言われてるの?…奥さんとは別れるから、とか」


「言われてないよ。結婚の話なんかしないし!」


郁はブラとショーツだけの格好になって、平気でキッチンを突っ切って風呂場に向かった。


あっけらかんと明るい性格は好きだけど…こういうあっけらかんは母によく似ていて、好きになれない。


「でも、既婚者と付き合うのは良くないでしょ?」


「そうかなぁ…」


「そうだよ!…クマって子供いないの?奥さんだけじゃなく子供までいて、外に女作るなんて…クズの中のクズだからね?!」


郁は「クマじゃなくてクズかぁ…」と笑いながら言って、下着を脱ぎ出した。


脱衣室のドアをちょっと乱暴に閉めながら…年齢を重ねるごとに母に似ていく姉を、私はいつか嫌いになるんだろうかと、心に問う。


そうなったら私は、自分の家族全員を嫌いになるんだなぁ…と思って、少し悲しくなった。




…高校生の時のこと。


部活を終えて家に帰ると、時々父が来ていた。


帰っていた、ではなく、父は「やって来る」人だった。



「よう…」と、挨拶とも言えない言葉をかけられ「来てたの?」と返すいつものやりとり。



「あぁ、まぁな…」


だるそうに返事をする父、龍二。

シャワーを浴びたばかりの半裸でリビングに佇んでいる。

…腰にタオルを巻いて、濡れ髪で。


いつ見ても相当鍛えているとわかる。綺麗に割れた腹筋と、少々盛り上がった胸筋。


…どこかで見たことがあると思ったら、水泳部の男子が、似たような体つきだと思い出す。



「ずいぶん早く帰って来るんだな…」


濡れ髪をかきあげながら、どこか残念そうに、舌打ちでもしそうな言い方。


きっと仕草のひとつひとつが、ダルそうなもの言いが、低い声が…世の女たちを惹きつけてやまないのだと、この頃の私にもわかった。


「すぐ出かけるから。どうぞごゆっくり」


…言いながら手を出してやる。


心得たもので、父は財布から一万円札を抜き取って私に握らせる。


ニヤッと笑う顔は、イケメン俳優みたいで本当に気に入らない。




「凛、帰ったのぅ…?」


風呂場から甲高い声を上げる母。


「あー…着替えて出かけるとこ!」


半裸の父の後に、同じような格好の母まで見たくない。


自室に入って、手近なシャツとパンツに着替え、ポシェットに携帯とハンカチだけを入れて家を出た。



『お父さん…じゃなくて、龍二さん来てるから、ファミレスでご飯食べる?』


年子の姉、郁に連絡した。


知らずに帰ったら、2人の邪魔をしたとか言われないとも限らない。



「うん!ちょっとこっちまで来てよ」


こっちまで、というのは、姉の高校の最寄り駅のこと。

待ち合わせのファミレスを決めて、私は移動を開始した。




「変わってるけど…なかなかいい関係なんじゃない?うちの両親」


母の血を色濃く受け継いだと思われる姉は、両親の不思議な関係を「おしゃれ」とすら言う。


…そうかねぇ…と眉間にシワを寄せる私は、クールな性格が、父に似ているとよく母に言われた。


似てるなんて言うなら、どうして普通のお父さんとお母さんでいてくれなかったんだろう。


…普通の家族が良かった。


暗くなって帰ったら、鬱陶しいくらい心配されて、子供の好きなオムライスとかハンバーグを作ってくれて、家族でテレビを見て夜を過ごすような。



両親は離婚していた。

私がまだ、生まれて間もない頃に。


なのに2人は今も付き合ってはいて、

恋人同士だという。


母いわく、お互い本命なのだそうだ。


本命ということは、そうじゃない人もいるってことかしら…と思ったのは、中学生の頃。


母はあけすけに明かした。


「いるわよ〜!今は龍二も入れて3人!」


本命は父で、それ以外全員雑魚だから、何匹いてもいい…と、反吐が出る持論を話す母。


父の方は、母だけが恋人なのかはわからない。


わかるのは、2人の中に…私たち娘の存在はないということ。


私たち娘は、血縁関係だけが証明された存在。


私たちに興味はなく、お父さんとは呼ばせてくれない父親。


一応私たちの親権者だけど、やっていることは愛情深い母親とはかけはなれた母。


だから私は部活に全力を注いだし、バイトをして塾に行って勉強もした。


それは家が両親の逢瀬の場所で、どこにも居場所がなかったからだと、2人は考えたことがあるだろうか。


両親ともそれなりに稼いでいたので、お金の苦労はなかったものの…それだけに、私たちはここまで、お金に育ててもらったようなものだと思っていた。


大人になって、こちらから両親に会おうとはしなくなったのは、これまでちょこちょこあった人生の大事な場面に両親はいなかったから。


思い出を共有していないということは、話すこともなくなるのだと理解した。



…家族のことを思い出すと、決まって心に重たい何かが積もる。


気づくと、大葉を入れた、きゅうりの塩もみを無心に作っていた。 

多分、四川風の麻婆豆腐を食べる箸休めにしようとしたんだと思う。


そして…気がついた。

文仁と結婚すると、母にも伝えていたことを。


…何かの折に、離婚したことを報告しなければならない。


凛は、ひどく気分が重くなるのを感じていた。


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