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第11話 リラックス

細かい髪をもう一度シャンプー台で流して…そのままヘッドスパに入る。


Lucyでは、ヘッドマッサージをシャンプー台で、首と肩と背中のマッサージを別のリラックスチェアで行っていた。



「痛かったら…言ってください」


「痛い…」


「…なんで…?まだ何もしてない…!」


からかってくるのは、リラックスしている証拠。

一緒に暮らしている時も、そうだった。


決まって週末。

普段は飲まないビールやワインを買ってきて、2人で飲みながらサブスクで映画を観た…



男の人にしては、小さな頭。

そして綺麗な肌。

ゆっくり手を動かしながら、週末の夜を思い出す…



近づいてくるのは、リラックスしたそんな時が多かった。


飲み物をテレビの前のガラステーブルに移動して、初めから明かりを消して観る時もあれば、消さない時もあって…


消す時は…序盤で頬に口づけられた。大事な場面を見逃したくなくて「ちょっと待って…」なんて言えば、意地悪するみたいに耳にキスをするから…何も聞こえなくなったっけ…



「…気持い」


急に言われて驚いた…

思い出していた場面とあまりにリンクしてて焦る…



ヘッドマッサージを終えて、リラックスチェアに座ってもらう。

これは前に倒れると、柔らかいクッションが支えてくれるという、特注の椅子。


首と肩、背骨に沿って指圧していく…


さっき思い出したことを、頭から追い出して、文仁の疲れを置いて行ってもらうことに集中する。


それでも意識してしまう。

広い背中、肩の筋肉…



「…腕、やってくれない?」


「あぁ、そうだね。パソコン作業で凝るって言ってたよね」


両手で、肩から腕に揉み下ろす。

肘で止めるのが普通だけど、文仁にはいつも、肘下から手首まで揉んであげていた。


最後に親指で手のひらをマッサージして、もう一度肩に戻って…終わりだ。



「ヘッドスパ、控えめに言ってサイコーだな。週イチで頼みたくなる」


「…アハハ、ぜひ!」


カード決済した文仁。

一瞬の間を置いて、ふと視線を上げた。


「マッサージさ…やり方を少し教えてもらえない?」


…夕食の誘いだった。


「うん…いいけど」


離婚した夫婦にしては、初々しいやり取り。凛の頬は再び熱を持つ。



「終わる頃、そこで待ってる」


すぐ近くにあるカフェを指差し…店を出ていく文仁を、凛は頭を下げて見送った。





お店はそのまま静かに閉店の時間を迎え、凛は支度を済ませてから、約束のカフェに急いだ。


離婚した夫と食事をするだけなのに、桜色のリップを塗り直す自分は、まだ文仁のことが好きなんだろうか。




職場がこんなに近くなければ、とっくに付き合いはなくなってた。

連絡だって、取り合ってなかった。


そしたら、離婚という選択をした自分に、疑問を投げかけることはなかったと思う。


…どうして神様はこんなに、私を試すようなことをするんだろう。


約束のカフェの手前で、広がる藍色の空を見上げながら思った。


心…乱されませんように。




「…凛!」


カフェに入る寸前だった。

呼びかけられて振り向くと、そこには…


「…オーナー…?」


残柄はバイク通勤で、ヘルメットを外しながら言った。


「人身事故だろ?今電車止まってる」


「そうなんですか?」


「…なに、違うの?」


電車が動かないから時間潰しのカフェだと思われたらしい。


…時間を潰すなら、きっとカフェに来ることはない。


まだ、よく知らない土地。

あちこち歩き回って、裏の路地とか隠れ家みたいな店を探すと思う。



「ちょっと…待ち合わせで」


「そうなのか!…じゃあ、俺も混ぜて!」


「え…?!」


残柄オーナー、素早くバイクを駐車場に置くと、あっという間に私の横に並んで入り口のドアを開けてしまった。


遠慮というものを知らないのか…


ドアからすぐに見える場所に座った文仁。

外でのやりとりを、窓越しに見ていたのかもしれない。…全然驚いた顔をしない。



「…え?えっ?凛が約束した人って、剣崎さん?」



悪いことをして、大人に見つかったような気持ちになる。


えぇっ…?!としつこく驚くオーナーに、文仁がちょっと苛ついた笑顔を見せた。


「いいじゃないですか、別に。俺たちは円満な離婚をしたので、食事にも行けば飲みにだって行きますよ?なんなら旅行だって行こうと思えば行けます。楽しませる自信だって…」


「文仁…いいから!」


弁護士という職業柄なのか、文仁は突然饒舌になる事がある。


どんな場面でも、相手の隙を見つけてスラスラとしゃべれないと、仕事にならないのかもしれない。


僅かな可能性を頼りに裁判で争うこともあるだろう。

そんな時、勝つ道を探り、依頼者にとっての最善を得るために、それくらい当然備えておくべきスキルなのかもしれない。


…それにしてもだ。


「旅行って…!?一緒に行ってくれるんですか?もしかしてセックスも?知らない仲じゃないから、そうなるのに抵抗はないかもですよねぇ」


「…オーナーもっ!」


いい加減に話が飛躍し過ぎだと、まくし立てようとしたのに、あっさり店を変えようと言い出す文仁。


ちゃっかり、そして自然についてくるオーナー…


文仁が連れて行ってくれたのは、魚が美味いという、和食屋だった。


「…うわぁ…煮魚だって!きんぴら、肉じゃがも!アジの南蛮漬けも食べたいなぁ」


舞い上がる残柄に、勝ち誇った笑みを浮かべる文仁。

3人で囲む、不思議な夕食会が始まった。



「残柄さんも、バツイチですか」


和食をかき込む彼に、文仁は突然切り込んで見せる。


「そうです。…えぇ?!なんでバレちゃったんだろう…?」


不思議〜と言いながら、かぼちゃのそぼろ煮を、白いご飯と共にわしわしと食べていく。


確か年齢は35歳のはずだけど、嬉しそうにご飯を食べる姿は高校生にさえ見える。


文仁は冷酒を飲みながら刺身を、私も煮魚と白和えを頼んで、ビールを飲んでいた。



「なんかさぁ…普通に夫婦だよね。…じゃなくて、恋人って感じかなぁ」


1人だけお酒を飲んでいないのに、一番飲んでいる人のように、残柄は、遠慮のない言葉を投げてきた。


「しっくり合ってる感じなのに、なんで別れちゃったの?」


凛ではなく、文仁に問いかける。


「…最後通告を突きつけられたからですよ」


「最後通告って…ずいぶん穏やかじゃないですね?」


「何度か匂わせていただろうに、気づけなかった。…言葉にされたら、受け入れるしかないでしょう」


首を傾げながら「女…ですか?それとも、博打?酒?」と、文仁に意味深に聞いた。


「はぁ?…一応弁護士なので、そういった類いはやらないですよ」


そうなんだぁ…と言って、オーナーは店の人に、熱いお茶を頼んだ。


「俺は…女です。嫁もいい女だったけど、彼女もいい子で。…選べなかった。ズルズルして、隠れて…気づいたら3年も、彼女の人生溶かしてました」


…溶かしたのは、奥さんの時間も人生も同じだと思う。


どっちつかずで、のらりくらりとして…突き放せない女性たちは、大事な人生という時間をズルい男に費やしてしまう。


ふと、郁のことを思った。

恋人のクマは、残柄と同じタイプの男。


逆に文仁は、離婚の話をすぐに受け入れた。それは、2人とまったく違うタイプだったということか。


「なんか不思議。俺みたいな男じゃ、離婚されても仕方ないけど、なんで剣崎さんが?…疑問だよねぇ」


文仁は冷酒を、凛はビールを飲んで、その疑問には答えなかった。


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