「…俺も行きたかったなぁ…」
翌日、凛は出勤早々、一樹にジト…っとした目で見られた。
「え…なんで知ってるの?」
まだ残柄オーナーは出勤していない。
…昨日夕飯を3人で食べたことは、私が言わなきゃ知らないはずだけど…
「もしかして、オーナーとメッセージのやり取りとかしてるの?」
「…してますよ?オーナーもバツで寂しいのか、寝る前とかに面白い動画見つけた…とか言って連絡くれるんですよね」
「そうなんだ」
…私には連絡してこないところを見ると…ちゃんと人を見ているとわかって安心する。
昨日の残柄オーナーを見る限り、悪意なくプライベートに踏み込んで来そうだったから、ちょっとだけ用心だと思っていた。
シャッターを開け、店先を掃除していると「おはよう」と、黒いピカピカの革靴に挨拶された。
「おはよう…あの、揉み返しとか、大丈夫?」
「なに、早速心配?」
「いや…凝りの強い人が一気にほぐされると、揉み返しが来る場合があるから」
文仁はちょっと笑って、自然に凛の頭を撫でる。
その自然な振る舞いに驚いた。
「それより…週末、店が決まったから、後で送るわ」
わかった、と言いながら、誰と相談して店を決めたのか…気にしてる。
そんなこと、言えないけど…
撫でられた頭を自分でも撫でて、文仁と手を振り合い、凛は店の中に入った。
「…なんかワチャワチャしてなくていいなぁ」
…週末。
甲斐洋平、川上結菜、小林香澄、そして文仁と私の5人は、創作家庭料理「やまなみ」という店に集まった。
白い暖簾は和風で粋な感じ。
引き戸は気取りがなくて、入りやすい。
「日本酒の数多いね〜和食中心なのかな?」
「穴場…って感じだよね」
先に店に入ったのは、甲斐で…凛と香澄はちょうど店の前で会った。
あとは結菜と文仁を待つばかり…
「それにしても驚いた。スピード結婚のスピード離婚ってさ、いったい何があったよ?」
甲斐に早速突っ込まれた。
「お似合いだと思ったんだけどなぁ。文仁も昔から、凛にだけは普通に話してたし」
「そこ!レアだったからなぁ…文仁が女子と話すなんて」
2人に離婚を驚かれ、少し申し訳ない気持ちになる。
お祝いしてくれたのに、そんな善意に背いたみたいな気持ち。
「一生に一度くらい結婚してみようって意見の一致をみて、結婚したから、離婚も早くてごめん…」
…そのわりに、たくさん幸せだった。
「後悔、してないの?」
「……うん」
してないって言うしかない。
だって私から切り出した話。
それにもう、道を選んでしまった。
香澄も水泳部で、私の特殊な家庭事情について知る、たった1人の友人。
「それで、なんで今もツルんでるわけ?普通離婚したら、顔も見たくないって思わない?」
「…偶然、職場が近くて。同じビルなんだ」
1階と3階だと言うと、2人は同時に驚いた。
「そんな偶然あるのかよ…」
「運命じゃない?…本当にこのままサヨナラしていいのかっていう…」
さっきの返事で、心の中を見透かしたようなことを言う香澄。
ふと目を伏せたところで、ガラッと引き戸が開いた。
「皆お待たせぇ…!結菜ちゃんが来たよん…!」
結菜のテンション高い登場の理由は…後ろにいる文仁だろう。
「お前らさぁ…いくらなんでもデリカシーなさすぎだろ?」
甲斐がそう言う理由は…
結菜と繋がれた文仁の手。
…香澄も呆れた顔をして2人を見上げた。
「…勝手につながれて、離してくれないんだよ!」
眉間にシワを寄せて結菜を睨む表情は、本当に苛ついて、嫌がってるのがわかる。
「このまま離さないなら、俺はもう帰るぞ」
睨む表情にさらに凄味が加わり…「まぁまぁ…」という甲斐が間に入って、なんとか2人の手は離れた。
そして文仁は、結菜に対する嫌悪感が強いのか、一番遠くの席に座る。
偶然、凛の隣だった。
迷惑がられた結菜も不機嫌になったけれど、甲斐に慰められてお酒を飲むうち、少しずつハイテンションになる。
結果的に…甲斐と結菜、香澄と文仁と凛…という小さなグループに分かれて飲む羽目になってしまった。
…せっかく5人で集まったのに。
その代わり、香澄には私たちが変わらず同級生として付き合っていくこと、わだかまりのない円満な離婚であったことをしっかり伝えられた。
「…それじゃ、私はひと足お先に帰るね!」
結菜がフラフラしながらトイレに立った隙に、香澄がそう言って席を立った。
香澄はすでに結婚して子供が3人いる。
聞けば近くまで、旦那さんが迎えに来ているらしい。
「一番上は小学校!あと年中さんと2歳児…毎日育児戦争だよ!」と言いながら、1点の曇りのない笑顔を残して帰っていった。
「ねぇ…なんで離婚した2人がベチャベチャ喋ってるわけぇ?」
トイレから戻った結菜。
香澄が抜けて2人並んでいるのを見て、文句を言い出した。
「えー…俺も喋ってたけど?」
甲斐が間に入ってくれたけど、変な絡み方をしてくるのは悪酔いした証拠だ。
「…もう帰ろう。俺は凛を送ってくから」
文仁の提案に、甲斐が了解したように結菜を支えて店を出た。
送ってくれるという文仁に甘え、電車で帰ることにする。
「駅から近いの?」
「…10分くらいかな。なんで?」
「帰り遅くなると、不用心だろ」
大丈夫だと笑い、店の前で別れた2人の話をむけてみる。
「なんか、甲斐1人に押し付けて悪かったね…それにしても結菜、どうしたんだろう」
「あぁいうタイプは本当に苦手だ。ちょっと綺麗に盛ってりゃ、男は興味を示して好きになると思ってるみたいな…」
ふと、文仁が来る前に話していたことを思い出した。
「文仁、もしかして女嫌い?」
「いや…ものすごく選り好みしてるだけ」
「…そっか。ちょっとホッとしたわ!」
女嫌いなのに結婚相手に選ばれたとしたら、相当複雑だったと笑いかける。
だってそれは文仁の中で、私が女というカテゴリーに属さないから、とも受け取れるから。
駅の改札を抜けたところで、歩き出そうとした文仁の足が、ふいに止まった。
「凛…もし、また…」
文仁の言葉を遮るように、携帯の着信音が響いた。