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第16話 父の告白…

「…何ごと?」


これまで、携帯に連絡してきたことがあっただろうか。

…この人が。


「第一声がそれかよ。お前らしいな」


低い声は、少し掠れているのに艶がある。聞く人が聞けば、こんな声を

色っぽいと言うんだと思う。


「…で、何か用ですか?」


「お前に会いたい。凛、お前に…だ」


何だそれ。

いきなり電話をかけてきて、会いたいなんて…


凛は、自分がどれほど恋しく思っても、頭のひとつも撫でてくれなかった…携帯の向こうの父、龍二を睨んだ。


「お前は俺に似て、クールで冷静だ。だからまずは、お前に話しておきたい」


母の泣き顔が脳裏に浮かぶ。

なんの話をしたいのか知らないが、こちらにも言いたいことはある。


「…わかりました」


母に別れの理由をきちんと伝えて、納得させてやってほしい。

そしてついでに、自分の離婚のことも伝えておこう。


龍二に翌日の夜を指定され、電話を切ろうとしたところで…


「お前今、Lucyって店で働いてるって?」


またもや意外な確認をされた。


「そうだけど…」


「約束の前にカットに行く。予約を頼むわ」


こちらの返事も聞かず、着信は切れた。


どうして知っているのか。

母に聞いたのかもしれないが、あの2人が娘を話題にするなんてあり得ない。


…考えてみたところで、父が私の勤め先を知っていることに変わりはない。


携帯を放り投げ、洗濯と掃除を始めることにする。

父が言った、自分に話したい事が何なのか、考えもしないで。





「短くしてくれ。できるだけ短く。坊主でもいい」


「…それは、美容師の仕事じゃないから」


来店した父のシャンプーは一樹に頼んだ。


濡れ髪でセット椅子に腰掛ける父。

さっき確認したのに、また短く…と付け加えるなんて、どれほど髪をうっとおしく思っているのか。


迷わずバリカンを襟足に滑らせた。

続いてもみあげ、耳上。


鏡を見ると、目を閉じている。

年齢にしては、豊かな髪。どこで染めているのか、綺麗なアッシュカラー。

根元に少し、白髪が混じっていた。


ハサミに持ち替えて、手早くカットしながら…父親の年齢がいくつだったか思い出そうとしていた。


確か…53歳。

私と郁は、父が20歳そこそこの頃に生まれた子供ということ。


ふと…父性が芽生えなくても仕方なかったのかな、と思う。


そして慌てて取り消す。

一度も、父親らしいことをしてもらった覚えはない。


お金だけは渡していたらしいが、母に育児を丸投げし、女としての部分だけを堪能していたのだ。


鏡に映る…スッと通った鼻梁。

彫りの深い目元、凛々しいと、言わざるを得ない眉。


背も高く、男性としての見た目は、完璧すぎるほどだ。


母のほかにも、きっと女がいただろう。


「どうして…」


つい、言葉に出してしまった。


「どうして今さら、お母さんにもう会えないとか…言ったのよ」


ゆっくり開けられた鏡の中の瞳は、冷たさを感じさせた。


「…会えなくなるからだよ」


「だったら理由を、ちゃんと…」


「あいつには言えない。だからお前に連絡したんだ」


どうして…?

お母さんに言えないことを私に話すなんて…


父はそう言ったきり、また目を閉じてしまったので…続きは後だと言われた気がした。






「…今日は暇だからさ、少し気持ちを整理してから、行ったら?」


特別何を話したわけではないけれど、父親がカットに来店した時から、何やら訳アリだと感じ取ったらしい残柄オーナー。


「ありがとうございます。…助かります」



気遣いに感謝しながら早めに店を出て、約束の場所に近いカフェで時間をつぶすことにした。



父が待ち合わせに指定したのはカフェバーといった雰囲気の洒落た店。


あまりに父に似合う店で、腹立たしくさえ思う。



母には言えないから、代わりに私に伝える話って、なんだろう。


初めに思ったのは、仕事で…どこか遠くへ行くということ。


父の仕事がどんなものなのか、詳しくは知らない。でもいろんなことを手広くやっていると、母に聞いたことがある。


きっとそういうことなんだと思う。

母を連れていけないから、連れて行く気はないから、私からうまく伝えておけ。

…そう言われることを予想した。



もし仮に、その通りだとしたら…

私は父に何を言いたいのだろう。


一番に思うのは、母が失った時間について。


父がそばにいなければ、母も父を忘れて、別の男性と出会っていたかもしれない。


それこそ…母のすべてを、存分に愛を注いでくれるような、誠実であたたかい男性に。


そしたら、昨日のような、母の悲しみを目にしなくてすんだ。


父には、すべてを自分から母に伝えてもらおう。

それが…30年もの間、歪んだ関係を繋いできた責任というものだ。




約束の時間通りに指定されたカフェバーに行ってみると、父はすでに来ていて、カウンター越しにスタッフに軽口を叩いていた。


そばまで行くと、凛に気づいた龍二が、スタッフに「俺の娘!」と自慢げに紹介するので驚いた。


「あ!じゃあ…下の娘さん、ですね?」


笑顔のスタッフに頭を下げられて、凛も反射的に挨拶を返す。


ちょっと待って…と、いうことは。


「郁とはここで、何度か潰れるまで飲んだことがある」


「そんなの…」


郁に聞いてない…

それはまるで、仲間はずれにされたような…ひどく幼稚な掠れた気持ちだった。



「まぁ…座れよ」


そんな言葉が合図だったかのように、凛と龍二の前からスタッフが消えた。


「ここは俺の店だ。…お前は、初めて来るな」


「…呼ばれてませんので」


さっきの掠れた気持ちのまま、声を出してみればひどく素っ気ない。


「凛は俺に似てるから手強かったよ。逆に郁は響子そっくりで、チョロかったなぁ…!」


言葉はひどいのに、言い方があまりに愛しげで、どうしてそんなに優しい表情をするのかわからなかった。


私と郁は、父にとっていらない存在で、どうでもよかったはずだ。

だから私も父の愛なんて初めから諦めていたし、ないものだと思っていた。


なのに郁は…この人とちゃんと父子の時間を持っていた…


それは裏切りで、この世にたった1人、自分の気持ちを分かち合える存在を失ったことを意味する。



「お前には、俺の…一番大事な話をする」


こちらの気も知らないで、話を進める父。


思わず睨みつける視線を向けた。

そしてその瞳と視線がぶつかったとき、信じられないひとことを告げられた。



「俺は、間もなく死ぬ」



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