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第21話 龍二が教えてくれたこと

白装束を身にまとい、二度と開かない瞳を閉じ、安らかな顔をして横たわる龍二。



凛がその顔を見て立ち尽くし、ギュッと両手を握っているのが、後ろから見ていてわかる。


「…ふ、文仁も、お花を…入れてあげて」


ギリギリの状態で立っているのに、なんとか踏ん張ろうとしている姿。


後ろから抱きしめ、支えてやった。



「…泣けよ。後で、龍二さんと何を話したか、教えてやるから。今は…素直に泣けよ」



スッとその場から立ち去る舞子さんの気配。


…最後のひとときを、彼女と過ごした龍二の気持ちがわかった気がした。



「わ、悪いことばっかりしてきたから…病気になったんだよ…一緒にご、はん食べてくれなかったから…」


「うん…」


「う…んどう会も、さんかん…日も、興味ないみたいで…あ…たしたちのことなんて好きじゃなくて…子供なんか、い…いらないって…!」


「そうか…」


「で…も、好きだった…っ私は、好き…だった…パパっ…!パパ…!」


眠る龍二の頬に両手を当て、閉じた目元に指を沿わせる凛。


小さな凛は「パパ」と、呼んだことがあったのだろうか。


心の中で父親を思う時、密かに龍二をそう呼んでいたのかもしれない。



何度もパパ…と叫びながら泣く凛の姿は、龍二のわかりにくい愛が伝わっていたんじゃないかとさえ、思わせた。




そして同時に思った。


自分の父親が死んだ時、自分はこんな風に素直に泣けるのだろうかと。





「寄りかかっていいから、少し目を閉じて」


祭壇に飾られた笑顔の龍二が、俺の体を使って言いそうな言葉。


「うん…」


素直にうなずく凛を見下ろし、その腰を抱いた。


「郁は…」


「…ん?」


「郁は、聞かされてたのかな。病気のこと」


祭壇の龍二の写真を、横たわる冷たい龍二を、郁は何も言わずに見つめていた。


「2人でお酒飲んで、何度か潰れたんだって。…だから、ちゃんと知らせてたんだろうな」


僅かな嫉妬が含まれていて、変な感情だが…可愛いと思った。


「…2人とも、龍二さんにとっては間違いなく、かけがえのない娘だったんだよ」


うん…と素直に言って、今度こそ凛は目を閉じた。



葬儀場には専門のスタッフがいる。


家族はろうそくの番をしなくても、ちゃんと休めるようで、さっき別室に布団を用意したと告げられた。


でも凛は、祭壇のそばを動かなかった。


久しぶりに感じる人の温もりに、安心したのは凛だけじゃない。


これまでのどんな場面より、近く感じるその存在を、文仁は愛しく感じながら…目を閉じた。






告別式には、凛の姉、郁だけが来ると思った。


…あの取り乱しようでは、響子が静かにお別れなどできるはずがない。


だが…郁に付き添われて、響子は姿を見せた。


昨日よりは少し、落ち着いているようだ。



母親が取り乱すと、凛は動けなくなる。その感情を封じ込めてしまう。


そう思った文仁は、常に凛のそばにいて、泣いていいよ、と声をかけた。



葬儀は滞りなく終わり、龍二は白い骨壺の中に、その魂を滑り込ませた。


専用の箱に入れられたそれを、誰にも渡さなかったのは、凛。





「凛…うちに、帰っておいでよ。私も寂しいしさ、また親子で暮らそう」


響子に声をかけられて、凛が固い表情になったのがわかった。


「…お母さん、今はまだ、そんな話はやめておいたら」


さすがの郁も、口添えをする。


「なんでよ…だって耐えられないもん。…もう龍二は来ないんだよ?それなのに、あの家に1人でいなきゃいけないの?…そんなの、辛すぎるよ」


母に会いに来ていた家、2人で過ごしていた家に、居場所がなかった凛にとって、そこは辛い場所だと文仁は思った。


「今は、まだ…」


凛はそれだけ言って、龍二の骨壺を抱いて葬儀場を出た。


…外は、梅雨を思わせる…雨。



凛をタクシーに乗せて、かつて2人で暮らしたマンションの住所を告げる。



「行って…いいの…?」


「うん。いきなり1人はキツいだろ」



寝室と書斎、そしてリビング。


一緒に寝るわけにはいかない。

…リビングのソファで寝ようと心に決めた。



マッサージの仕方をレクチャーしてくれた時と同じように、ピンク色のスリッパを出して…


おそろいのマグカップにコーヒーを淹れた。



「…変わってないね、ここ」


「うん、まだ…3ヶ月くらいだしな」


「そんなにたつのか…」


凛がマグカップを傾けるのを見ながら、箸や茶碗もおそろいのものを出すのは、少し気恥ずかしいと、文仁は思った。



凛を先に風呂に入れている間に、気になっていた冷蔵庫の中身を確認してみる。


ソーセージにちくわ、チーズ、白ワイン…なぜか大葉、きゅうり…


「あ…!ぬか漬け…」


龍二の訃報を知る前に、きゅうりをぬか床に沈めた事を思い出した。


2日たっているから、きっと漬かりすぎている。


…離婚した時凛に聞いた、おかかをまぶした食べ方を思い出す。


なぜか…そんなぬか漬けを食べられることが、少しだけ嬉しい。


凛と入れ替わりに風呂に入って、後できゅうりを刻むのを楽しみにした。




「…え。作って、くれたの?」


風呂から出て驚いた。

ダイニングテーブルに、食事の準備が整っている。


「うん。ありあわせで…」


凛が用意してくれた夕飯は、そのどれもが光り輝いて見えた。


「ぬか漬け…」


「うん。おかかと合わせた」


…こういう食事を、3ヶ月前まで毎日食べていたありがたさを感じながら、当時の自分の行動がよみがえる。



「なんか…ごめんな」


不思議そうに文仁を見上げる凛の瞳と出会い、出来上がった一品一品に目をやって「せっかく作ってくれてたのに」と続けた。


「凛との生活が落ち着いて…仕事に全振りした。食事も忘れて、寝るのも遅くて…話もしなかったな」


「…なに…?いいよ、そんなの」


苦笑いをする凛。

その笑顔は、いまさら何の話だと、呆れた気持ちが隠れているかもしれない。

なのに、考えずに言葉が出た。




「もう一度一緒に、ここに住まないか?」


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