白装束を身にまとい、二度と開かない瞳を閉じ、安らかな顔をして横たわる龍二。
凛がその顔を見て立ち尽くし、ギュッと両手を握っているのが、後ろから見ていてわかる。
「…ふ、文仁も、お花を…入れてあげて」
ギリギリの状態で立っているのに、なんとか踏ん張ろうとしている姿。
後ろから抱きしめ、支えてやった。
「…泣けよ。後で、龍二さんと何を話したか、教えてやるから。今は…素直に泣けよ」
スッとその場から立ち去る舞子さんの気配。
…最後のひとときを、彼女と過ごした龍二の気持ちがわかった気がした。
「わ、悪いことばっかりしてきたから…病気になったんだよ…一緒にご、はん食べてくれなかったから…」
「うん…」
「う…んどう会も、さんかん…日も、興味ないみたいで…あ…たしたちのことなんて好きじゃなくて…子供なんか、い…いらないって…!」
「そうか…」
「で…も、好きだった…っ私は、好き…だった…パパっ…!パパ…!」
眠る龍二の頬に両手を当て、閉じた目元に指を沿わせる凛。
小さな凛は「パパ」と、呼んだことがあったのだろうか。
心の中で父親を思う時、密かに龍二をそう呼んでいたのかもしれない。
何度もパパ…と叫びながら泣く凛の姿は、龍二のわかりにくい愛が伝わっていたんじゃないかとさえ、思わせた。
そして同時に思った。
自分の父親が死んだ時、自分はこんな風に素直に泣けるのだろうかと。
「寄りかかっていいから、少し目を閉じて」
祭壇に飾られた笑顔の龍二が、俺の体を使って言いそうな言葉。
「うん…」
素直にうなずく凛を見下ろし、その腰を抱いた。
「郁は…」
「…ん?」
「郁は、聞かされてたのかな。病気のこと」
祭壇の龍二の写真を、横たわる冷たい龍二を、郁は何も言わずに見つめていた。
「2人でお酒飲んで、何度か潰れたんだって。…だから、ちゃんと知らせてたんだろうな」
僅かな嫉妬が含まれていて、変な感情だが…可愛いと思った。
「…2人とも、龍二さんにとっては間違いなく、かけがえのない娘だったんだよ」
うん…と素直に言って、今度こそ凛は目を閉じた。
葬儀場には専門のスタッフがいる。
家族はろうそくの番をしなくても、ちゃんと休めるようで、さっき別室に布団を用意したと告げられた。
でも凛は、祭壇のそばを動かなかった。
久しぶりに感じる人の温もりに、安心したのは凛だけじゃない。
これまでのどんな場面より、近く感じるその存在を、文仁は愛しく感じながら…目を閉じた。
告別式には、凛の姉、郁だけが来ると思った。
…あの取り乱しようでは、響子が静かにお別れなどできるはずがない。
だが…郁に付き添われて、響子は姿を見せた。
昨日よりは少し、落ち着いているようだ。
母親が取り乱すと、凛は動けなくなる。その感情を封じ込めてしまう。
そう思った文仁は、常に凛のそばにいて、泣いていいよ、と声をかけた。
葬儀は滞りなく終わり、龍二は白い骨壺の中に、その魂を滑り込ませた。
専用の箱に入れられたそれを、誰にも渡さなかったのは、凛。
「凛…うちに、帰っておいでよ。私も寂しいしさ、また親子で暮らそう」
響子に声をかけられて、凛が固い表情になったのがわかった。
「…お母さん、今はまだ、そんな話はやめておいたら」
さすがの郁も、口添えをする。
「なんでよ…だって耐えられないもん。…もう龍二は来ないんだよ?それなのに、あの家に1人でいなきゃいけないの?…そんなの、辛すぎるよ」
母に会いに来ていた家、2人で過ごしていた家に、居場所がなかった凛にとって、そこは辛い場所だと文仁は思った。
「今は、まだ…」
凛はそれだけ言って、龍二の骨壺を抱いて葬儀場を出た。
…外は、梅雨を思わせる…雨。
凛をタクシーに乗せて、かつて2人で暮らしたマンションの住所を告げる。
「行って…いいの…?」
「うん。いきなり1人はキツいだろ」
寝室と書斎、そしてリビング。
一緒に寝るわけにはいかない。
…リビングのソファで寝ようと心に決めた。
マッサージの仕方をレクチャーしてくれた時と同じように、ピンク色のスリッパを出して…
おそろいのマグカップにコーヒーを淹れた。
「…変わってないね、ここ」
「うん、まだ…3ヶ月くらいだしな」
「そんなにたつのか…」
凛がマグカップを傾けるのを見ながら、箸や茶碗もおそろいのものを出すのは、少し気恥ずかしいと、文仁は思った。
凛を先に風呂に入れている間に、気になっていた冷蔵庫の中身を確認してみる。
ソーセージにちくわ、チーズ、白ワイン…なぜか大葉、きゅうり…
「あ…!ぬか漬け…」
龍二の訃報を知る前に、きゅうりをぬか床に沈めた事を思い出した。
2日たっているから、きっと漬かりすぎている。
…離婚した時凛に聞いた、おかかをまぶした食べ方を思い出す。
なぜか…そんなぬか漬けを食べられることが、少しだけ嬉しい。
凛と入れ替わりに風呂に入って、後できゅうりを刻むのを楽しみにした。
「…え。作って、くれたの?」
風呂から出て驚いた。
ダイニングテーブルに、食事の準備が整っている。
「うん。ありあわせで…」
凛が用意してくれた夕飯は、そのどれもが光り輝いて見えた。
「ぬか漬け…」
「うん。おかかと合わせた」
…こういう食事を、3ヶ月前まで毎日食べていたありがたさを感じながら、当時の自分の行動がよみがえる。
「なんか…ごめんな」
不思議そうに文仁を見上げる凛の瞳と出会い、出来上がった一品一品に目をやって「せっかく作ってくれてたのに」と続けた。
「凛との生活が落ち着いて…仕事に全振りした。食事も忘れて、寝るのも遅くて…話もしなかったな」
「…なに…?いいよ、そんなの」
苦笑いをする凛。
その笑顔は、いまさら何の話だと、呆れた気持ちが隠れているかもしれない。
なのに、考えずに言葉が出た。
「もう一度一緒に、ここに住まないか?」