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第22話 もう一度

「…本気?」


笑いと困惑が混じる表情をしていたと思う。


目の前の文仁は、凛の知らない新しい何かをまとっていると感じた。


「どうしたの?…何かあった?」


「うん。あった。…龍二さんに、シンプルに、素直に生きろって言われた」


「…え」 



素直に生きろと、私にも言った龍二。



「なんで…文仁に連絡したんだろう」


「離婚したのはなぜか、どうして結婚することになったのか、って聞かれた」


「なんて…答えたの?」


「…まずは食べよう。冷めないうちに」


文仁は止まっていた箸を動かし始めた。





「そのまま答えたよ。…ごまかしたり取り繕ったりする時間は、龍二さんにはないってわかったから」


ありがとう…と伝える凛に「ん…」と短く言う文仁。



「…食後にアイスコーヒーでも飲もうか」


立ち上がる文仁を思わず止めた。


「…私がやるよ」


「…そう?」


粉をこぼしたり水浸しにするんじゃないかと心配するなら、自分でやった方がいい。



グラスを2つ出して、私に差し出す文仁に、ちょっと視線をやる。


「…郁の方には、連絡したのかな」


「あぁ、クマさんとかいう…?」


「うん。正真正銘、ダメ男」


苦笑いして、それについては聞いてないという文仁。


「ただ…響子さんに、郁さんと凛、2人の娘を産ませて良かったって言ってたよ」



グラスに氷が入って、カラン…と音を立てる。



それは、私たちが母を支えるからだとすぐにわかった。


もしかしたら龍二も、付き合っていた人は母1人だけだったのかもしれない…愛した人は、母だけ…?


「…確かめる術はないけれど…」


「ん…?」


歌うように言ったみたいで、文仁が涼しい二重の目元を持ち上げ、わずかに首をかしげた。


そして視線を窓の方にやって…舞子さん、と女性の名前を出した。


「龍二さんの亡くなった後の始末をするって言ってた。もし、もっと龍二さんのことが知りたいなら…」


「ううん…もう十分かな」


視線をこちらに戻して、文仁は次の言葉を待つように…凛の口元を見つめる。


「母を愛していて、私たちに存在意義があった。それと、文仁に連絡してくれた。もうそれだけで十分だよ」


どんな理由があったにせよ、龍二が離婚を選択し、娘に父と呼ばせなかったのは、間違いだったかもしれない。


でも、その時はそれが良いと思っていたのだとしたら…それで良かったんだと思う。

その時の、龍二の最善だったということ。


『素直に生きろよ』


龍二に言われた言葉が、耳の奥で聞こえた気がした。




「さっきの話…だけど」


アイスコーヒーが入ったグラスを手渡しながら、文仁を見上げた。



「…うん」


「よろしく、お願いします…」


グラスをカチンと合わせ、私たちは久しぶりに笑顔を交わした。




……………


再び、段ボール5箱は、文仁のマンションに運ばれた。


炊飯器とコーヒーメーカー、小さな棚が、3ヶ月の一人暮らしで増えた荷物。


リサイクルにでも出そうと思ったが、文仁に言われて思いとどまる。


「それくらいなら、持ってくれば」


「…また必要になるかもだし…?」


「…」


髪をかきあげ、おでこを出したまま、固まってしまった。


「そうかも」でも「それはない」でもなく、なんて言おうか迷っている姿は、すぐに答えるよりずっと正直でいい。



「完全分担制にするか」



家事について、文仁が提案した。


「…はい!洗濯と料理」


挙手して希望を伝える。


「じゃあ俺は…掃除?」


「イエス。あと重たい買い物の付き添い」


「…基本、食料とか日用品の買い物は一緒に行こう」


そうだね…と、どんどん決まる、新しい2人のルール。



「あー…ソファベッド、買うわ。だから寝室が凛の部屋ってことで」


「…うん」


元夫婦が再び同居するからといって、簡単に近づこうとしない文仁に、誠実さを感じた。


『元夫婦だから、セックスは簡単』

いつか残柄オーナーに言われたことが頭に残っているのは、文仁も同じなのかもしれない。



「また一緒に暮らし始めたこと、周りには秘密にしておこう」


ついそんなことを言ったのは…いろいろ騒がれるのが目に見えているから。


特に同級生界隈…


「そうだな…」


目をそらないから、まだ何か続くのかと思う。


「でも聞かれたら、嘘は言わないよ。凛と…また一緒に暮らしてるって」


「うん…」


文仁は、どうして再びの同居を持ちかけてきたんだろう…


私が同意したのは、素直になったから。


また、ここに帰ってきたいと思った。


大事にしまわれたスリッパもマグカップもお茶碗も…私を待っていてくれた気がする。



割り切りが早いと思っていた文仁が、捨てなかったなんて…おそろいを全部保管しておくなんて、完全に想定外。


それに…薬指に光るリングがそのままなのも、気づいてる。





龍二を亡くした悲しみは、1人でいるよりずっと早く癒えたと思う。


マンションに帰ると誰かがいて、自分のあとに誰かが帰って来る生活は、意外なほど私を落ち着けた。



…やがて、龍二が亡くなって49日。


文仁とお墓参りに出かけて、郁や母と、墓前で顔を合わせた。



「凛ちゃん引っ越したの?この前マンションに行ったら空き部屋になってて驚いた〜…!」


…こっちこそ、郁の顔を見て驚いた。


「そんなことより…どうしたの?顔…腫れてない?」


「あぁ、これ?…ヤバいのよ!奥さんにバレちゃってさ!」


郁はあっけらかんと笑った。


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