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第26話 会いたかった

「いえ…大丈夫です。ちゃんと家にいるし、懐中電灯もろうそくも防災グッズも、バッチリなので」


…ろうそく以下は嘘だ。


「確かお前引っ越したじゃん。…実は近くにいるんだよ。行ってやる、じゃなくて、助けてくれない?」


「え…」


現住所を職場に伝えないわけにはいかない。

文仁と暮らしたマンションに戻った時、オーナーに申し出ていた。

…同居を再開したとは、言っていないが。


横殴りの雨は、一層激しさを増して降り続いている。


…いったいどこからの帰りだ?

私が帰宅する時、残柄オーナーはまだ店にいた。


「あの…ここって実は、シェアハウスなんです。…だから、部外者は入れないというか…」


「…よけい問題ないじゃん。一人暮らしの部屋に押しかけるわけじゃないんだから」


1分で着く、と言って…電話は切られてしまった。


…再び文仁に繋いだ。


「お母さんとか郁さんからじゃなかった?」


「違った。残柄オーナーからで、すぐ近くにいるから避難させて欲しいって…」


一瞬で気配が変わる…文仁…?と呼びかけると同時に、玄関のチャイムが鳴った。



「…出ないで欲しい」


悲痛にさえ聞こえる声色に、どうして…という疑問が乗っかる。


「やり過ごして。エントランスで雨をしのげって」


「あ…じゃあ、そう伝えるから…」


「玄関のドアは、絶対に開けないでくれ」


携帯を耳に当てたまま、玄関先に来た。



「おーい…さすがに出てくれよ」


残柄オーナーの声。


「すいません。やっぱり、部外者は入れなくて…エントランスで雨をしのいでもらえますか?」


「えーなにそれ…凛ちゃん、冷たすぎん?」


ノックされる音にビクッとしてしまう。


「すいません、本当に…」


そこにいない方がいい気がして、玄関から一番遠い、自分の部屋に入ってドアを閉めた。


「大丈夫。…もしクビになっても、俺が責任取るから」


文仁の声が聞こえてハッとした。

携帯を耳に当てたままだった…


やり取りはすべて聞こえていただろう。


「平気だよ。…スタッフの家に来るなんてルール違反だって言ってやる。…残柄オーナーは明るくてやり手だけど、距離感バグることも多くて困る」


とはいえ、もし文仁とこんな風に一緒に暮らしていなかったら、あんな状況のオーナーに対応しないとは思えない。


ハッキリ断ることができたのは、文仁にそうしてくれ…って言われたからだ。


「凛狙いだよ、残柄さん。あわよくば…って思ってるな」


「…そんなの、迷惑でしかない」


「さすが、クールだね。凛ちゃん」



それから、どれくらい話していただろう。


気づいたら雨は小降りになって、強風もおさまっていた。



「…明け方には、帰れると思う」



それなら少し寝た方がいいと、私から言って電話を切った。


もう…何の不安もなかった。







頬に人肌を感じた。

指先が首を伝って…後ろに回される。


何かが覆いかぶさって、それが石鹸の香りをまとってることに気づいた。



「…文仁、良かった。無事に帰れたんだね…」


仰向けに眠る自分を、文仁が緩く抱きしめていると気づいて、凛も両手をその背中に回した。


髪が…少し濡れてる。

肌が、しっとりして…シャワーを浴びた後らしい。




「凛…会いたかった」


すぐ近くで文仁の声が聞こえる。

耳たぶに唇が触れて、くすぐったい。


「私も…会いたかった」


すごく素直な気持ちを伝えられたと思う。それほどに、文仁と離れていた一夜は長かった。



「…このまま、抱いていい?」


ゆっくり顔を上げる文仁の目が潤んで、強く自分を求めているとわかる。


…高校時代に受けた継母からの性虐待は、その後の文仁の人生に、どれほど暗い影を落としただろう…


昨日、告白を受けて、抱きしめたいと思った。


「うん。私も、文仁を抱きたい…」


切なげに歪んだ目が、少し伏せられて、長い睫毛を見せつける。


私の体を挟むように閉じ込めて、シャツのボタンをひとつひとつ外し始めた。



「そういえばこの前、ビアガーデンの帰り…起きたらシャツのボタンがいつもより開いてた…」


「ごめん…俺が外した」


クスッと笑う顔。

…いたずらがバレた少年みたい。


「外しただけじゃないでしょ…?」


「うん、キスした」


胸元に残るキスの跡を見て、どれほど驚いたか…


その時と同じように、文仁の唇が胸を這う。


下着まで取り上げたところで、文仁もシャツを脱ぎ捨てた。


…文仁の裸は、高校時代と同じように…綺麗な筋肉をまとっていて。


ふと、この体を愛のない欲望だけで触れた女に怒りが生まれた。


「文仁…」


こんなことをするのは初めてだった。


自分の代わりに文仁を仰向けに寝かせ、馬乗りになる。


覆いかぶさるように抱きしめて、自分から深いキスをしながら…文仁にされたのを思い出すように、体中にキスを、舌を、唇を這わせた。


文仁に愛が伝わりますように。

全部は無理でも…辛い記憶が、私に半分移りますように。


そう思いながら、文仁の男性を愛した。


「凛は…俺の特別…!」


拙い動きを抱きしめられて、再び私を見下ろす文仁。


「汚くて、嫌悪するものだったセックスを、凛としたいと思った」


そうか…文仁にとって、性は…汚らわしいものだった。


「俺の中で、凛だけは…違った。

初めて愛した人なんだ」


凛…と切なく顔を歪める文仁を、なんて美しい人だと思う。


「文仁…愛してるよ…」


これ以上ない素直な言葉を言えて、愛してるよ…の返事をもらえて、初めて感じる揺るぎない幸せの中、深く繋がる喜びを感じ合った。


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