もしかしたら自分は、無敵なのではないかと思う時がある。
「よく寝てたな」
それは…目を覚まして、自分より大きな体にすっぽり包まれている時。
近づいてくる唇に、自然と自分のそれを差し出し…触れて絡み合って、見つめ合う瞳に色を灯し合う幸せ。
どちらからともなく、お互いの体に触れ合い、官能を高めあう。
少しの恥じらいと、それを上回る愛欲が、2人を突き動かし、まだ見ぬ高みへと上り詰めていく。
妙に高い声が漏れて恥ずかしい…
「いいから…聞かせて」
手を取られ、指を絡ませてくれる。
人を愛し、愛される幸福感を、私は文仁と一緒に…深く強く感じていた。
「…寝室は一緒にしたい」
何も隠さなくなった文仁。
自分の思いを、考えを、衝動を…
「うん。…それじゃ、ここに」
すでに一緒に寝ているベッドを指さす。
「いや…俺にちょっと考えがある」
過去を打ち明けてから…文仁は少年のような表情をすることが多くなった。
…この時もそう。
キュッと口角を上げて、純粋な笑顔を見せてくれる。
怒られるかもしれないけど…そんな文仁を、子犬みたいな可愛らしさだと思っていた。
「…え?なに、模様替えしたの?」
「うん。寝室だったところは、俺の書斎にした」
郁に呼び出され、出かけた休日。
すっかり甘くなった文仁が嫌がるかと思ったら…すんなり私を追い出して、こんなことをしていたとは。
「…1人でやったの?」
「いや、甲斐に来てもらった」
…ということは。
「凛と暮らしてるって言ったよ?」
「そっか。…そうだよね」
離婚したけど…いろいろあってまた一緒に暮らし始めた。
それは珍しいことだと思う。でも私たちには、必要な冷却期間だったということ。
冷ますほど、離れてはいなかったけど。
「とりあえず、香澄には連絡しておこう…」
もし甲斐から話を漏れ聞くことがあったら…きっと彼女はとても心配する。
私と同じで地味で目立たなかったけど、彼女の誠実さは本物だ。
だから、心配をかけたくない。
模様替えした室内を見て回ると…寝室は、確かにベッドがなくなっていた。
代わりに、本棚とデスクが入っている。
「戸は…?どうしちゃったの?」
寝室はリビングに隣接する部屋だ。
引き戸で開け閉めするようになっていて、休む時はそこを閉めて眠っていた。
その引き戸がなくなってる…
「外したよ?…レースのカーテンでもする?」
「それはいいけど…ということは、今までの文仁の書斎が、今度は寝室なの?」
「そういうこと」
リビングから玄関までの短い廊下の脇に洋間がある。
今まではそこが文仁の書斎だった。
「わぁ…」
ベッドとソファ、それに寝室にあったチェストも移動している。
「このソファって…」
「うん。部屋を分けるために買ったソファベッド」
「…こっちに置くの?」
「まぁね。…もう書斎で寝落ちする気ないし、喧嘩してベッド追い出されても、同じ部屋で寝たいから」
…文仁の思いを聞いて、心に花が咲いたような気持ちになった。
「嬉しい…書斎で寝ちゃって、一緒に寝れなくなって、寂しかったから…」
それを、ちゃんとわかってくれた。
もう同じ間違いはしないって決心してくれた。
書斎の戸を外したのも、きっと同じ理由だ。
「これからは、仕事があっても…閉じこもらないから」
文仁の手が凛の背中に触れる。
自然と詰まる距離を自らゼロにして…凛はその胸に顔を埋め、広い背中に腕を回す。
文仁の腕は開かれ、右手で凛の後頭部を撫でながら、自分の顎の下に来る小さな頭に頬を寄せた。
「また…すっぽりだ…」
「ん…?」
「文仁に抱きしめられると、私なんて見えなくなるくらい、すっぽり包まれるなぁ…って」
「隠してるんだよ?…大事なものだから」
遅れてやってきた、私たちのハネムーンタイム、とでも言うのだろうか…。
糖度が高すぎて、溶けてしまいそうだーーー…
「ところで郁さん、その後どうしたって?」
恋人の奥さんが、馬乗りになって郁を殴ったというあの話。
…そうだった。
郁に聞いた驚きの話を思い出した。
私に腕を解かれ、キッチンに向った文仁は、冷蔵庫から大事そうにぬか床を取り出す。
「別れたんだって…」
「へぇ…けっこうすんなりいったね。凛、ずいぶん心配してたのに」
文仁は、手元のぬか床から、2〜3日漬け込んだきゅうりを、宝物でも探すように探し当て、嬉しそうだ。
「…ねぇ、トマトとか漬けたら…」
「やめて?…」
顔を見合わせて笑う。
…郁の話も、幸せな報告と取っていいのだろうか…
『好きな人ができた…!』
はにかんだ笑顔を見せた、郁の顔を思い出した。
「クマと別れる時はすったもんだしたらしいんだけど…いろいろ思うこともあったみたい」
「馬乗りで殴られて…やっと目が覚めたか?」
文仁が苦々しい表情になるのは、離婚訴訟や不倫の慰謝料請求など、本格的に拗れて揉めて、傷ついた夫婦をたくさん見てきたからだと思う。
「…慰謝料は?クマさん夫妻は、離婚には至らなかったのか?」
「奥さんは、クマが戻ってくればそれで良かったみたい。…聞いて驚いたんだけど…」
凛は眉間にシワを寄せ、文仁に真剣なまなざしを向けた。