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第29話 詰め寄る

「ねぇ…凛ちゃんって、上の剣崎さんと復縁したの?」


正直、今さらそんなことを言われるとは思わなかった。


文仁が、季節外れの台風で帰れなかった夜から、もう1ヶ月近くたつ。


救助を求めてきた残柄を部屋に入れてあげられなくて、すでに何度か謝罪しているけど。


「そう、なんです。いろいろ…どっちつかずで、周りを混乱させるかと、積極的には伝えていませんでした。…すいません」


…プライベートな話だから、謝る必要はなかった、とも思う。


「いや…いいよ?でも…できれば早く知りたかったなぁ」


ちょうど予約の途切れた午後3時。


近所に出来たラーメン屋に行ってみたいと言った一樹に休憩時間をやった残柄と、凛は店内で2人きりになった。



「…なんですぐ言わなかったんだよ?…こらっ!」


脇腹にチョップが飛んできて、体を捻ってなんとか避ける。


「プライベートなことですし…仕事に関係することじゃないので」


片手チョップが両手チョップに変わり…正面からお腹のあたりを狙われて、イタズラにしても…軽い恐怖を感じた。


「だとしても!俺には教えてほしかったんだよ!」


自分と残柄との間に、まるで何かあるかのような言い方に違和感を覚えた。


一樹も含めた3人でこの店を運営しているだけで、彼だけに感じている特別な絆など存在しないのだが。


…嫌な予感がした。


背中に壁が迫っている。

バックルームに近い角に追い込まれ、チョップをやめた残柄が、凛の顔の横に両手をついた。


こういうのを「壁ドン」というのか…ぼんやり考えながら、薄笑いを浮かべる彼を見上げた。


「初めに言ったじゃん。俺…凛ちゃんのこといいなぁって思ってたんだよね」


「そ、それはどういう…」


意味はわかったけど、一応本心を聞いておこうと聞き返す。


「そのまんま。可愛いなぁって、俺だけのものにしたいなぁって思ったってこと!」


「それは…無理です」


「なんで?…てか、そんな言い方していいわけ?」


何が言いたいのか、わかった。


自分はこの店のオーナーで、私はスタッフにすぎないということ。


それでも出てくる言葉を止められなかったのは、性格か…それとも文仁の存在か。


「不倫する人は嫌いです。残柄オーナーは、結婚してた奥さんのことも、当時の彼女のことも好きで選べなかったって言ってたけど…そんなのどっちも好きじゃなかったんだと思います!」


「…は?」


意外なことを言われたのかもしれない。


…目の前の男性は、はたから見たらとても洗練されたカッコいい人だ。

柔らかいおしゃれな雰囲気は、その見た目をさらに魅力的に見せていると思う。


でも、私は…。


「不器用なほど、たった1人しか愛せないような人が好きです。広くて浅いの真逆をいくような…狭くて深い。そんな愛がいいんです」



あぁ…私は、両親を愛しているんだな。


目の前の人が、端正な顔に薄笑いを浮かべているのに…なぜか全然違う事を考えている自分を知って、妙な落ち着きを取り戻した。



「どいて下さい」


少し大きく、できるだけきっぱりと言った。


「…凛ちゃんには敵わないなぁ…」


パッと両手を離し、残柄は凛を自由にした。


「…今日はもう予約入ってないですよね?私は早退でいいでしょうか?」


「へぇー…そう出るんだぁ。なんか凛ちゃんって、思ってた子と違ったなぁ」


いいともダメだとも言わず、残柄は頭の後ろで両手を組んで、面白くなさそうに受付カウンターに行ってしまう。


…今になって体が震えてくるのを感じる。



凛は自分のハサミやブラシ…といった仕事の道具を手早くまとめ、自分のバッグにしまった。



「お疲れさまでーす!…あれ?オーナー、どうしたんっすか?」


「…別にぃ…?凛に聞いて」


自分と入れ替わりに店を出ていこうとする凛に、一樹は驚いた視線を向ける。


残柄が、そんな2人より先に出ていこうとした。


…何してるの?

早退するって言ってるのに。


一樹1人を店に残していけない。

もしお客様が来たら、アシスタントの彼は対応できないから。


そんなこと百も承知だろうに、勝手な行動をする残柄に、ひどく落胆した。


ドアに手をかけた凛と残柄。


一歩早く店を出たのは凛だった。



「あ…お疲れ」


ちょうどそこに出先から戻ったらしい文仁に出くわした。

緊張の糸が切れたように、凛は目に涙が浮かぶのを感じる。


そんな凛を見つめた文仁は、そばにいた残柄に目をやった。



「…お疲れさん。明日はちゃんと出勤して来いよ」


それだけ言って、文仁には挨拶をせず、残柄は店内に戻った。






「もう辞めるつもり…」


様子のおかしい凛にその理由を聞きながら家まで送るため、文仁は降りたばかりの車にもう一度乗り込む。


「…なにされた?残柄さんと2人だけだったの?」


一連の出来事を話しながら、凛は小刻みに震える自分の両腕に手をかけた。


「私が余計なことを言ったせいもあるかもしれない。…でも、スタッフにあんな風に詰め寄るオーナーのもとで…もう働けない」


残柄が、凛をスタッフとしてではなく、女性として見ていたと知った文仁の表情は固い。


「…わかるよ。食事の支度とかいいから、ゆっくりしてな。なるべく早く帰る」


凛を部屋まで送り、もう一度車に戻ろうとする文人に、凛は駆け寄った。


「文仁、ありがとう。仕事中だったのに、ごめんね」


「…全然。むしろあの場面で会えて良かった」


涼しげな目元を優しく緩めて凛を見つめ、玄関を出た文仁の表情が変わる。


…あの美容室に関する、酒井所長に聞いた話を思い出して。


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