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第2章 この猫どこの子?

第11話 猫ちゃん

「にゃーごろごろ、にゃんにゃん」


「ティナ……お前猫語話せるのか?」


「え? 話せないけど」


「話せないのかよ!」


 キョトンとした表情を浮かべるティナを前に、レイの的確なツッコミが日本の心臓に轟く。

 組織から出された任務、それは迷子の猫を探すことだ。そもそもいなくなった場所がわからないので、日本中をしらみ潰しに探さなければならない。

 初日は住処のある東京からにしよう、とティナの提案により始まったのだが──


「にゃんにゃん、ごろにゃー」


 当の本人は、公園のベンチに寝転がって日向ぼっこをする猫と会話していた。


「にゃー?」


 猫はぺろぺろと自身の体を舐めて毛ずくろいをしている。


「はー、だめだー。猫に聞けば有益な情報を得られると思ったのに!」


「猫語話せない時点でそれは無理だな」


「だ、大丈夫だから! もう少し話したら理解できそうな気がするし?」


 そう言って再び「にゃんにゃん」と鳴き声を真似るティナ。目の前でウトウトする猫を撫でて、幸せそうに頬を緩める。

 数分間変わらない光景が続き──


「お前猫と戯れたいだけだろ。ほら、次行くぞ」


「や、やだー、もっと愛でてあげたいのー!」


「これからもっと会えるから安心しろ」


 レイは駄々をこねるティナの首の根っこを掴んでその場を後にした。時間の無駄だった、と心の中で思い、大きなため息をついて。



     ◇



「待て待て猫ちゃん達ー!」


 ジメジメと湿度の高い路地裏で、二人は逃げてゆく三匹の猫を追いかける。

 そこはまるで巨大迷路のよう。道を曲がる度に分かれ道や行き止まりがある。

 それでも能力を使わずとも身体能力が高いティナは、猫達との間にある距離を少しずつ、着実に縮めた。


「いけ! 捕まえられる!」


 離れたところで追いかけるのを諦めてしまったレイの声がティナの背中を押した。

 走りを助走に、幅跳びの選手のように真っ直ぐ前に跳ぶ──ピンと手を伸ばす。指先が最後尾にいた猫の毛を掠めたところで綺麗に避けられてしまう。

 その勢いのままゴミ箱、エアコンの室外機とそこにあるものを上手く活用して逃げていった。


「もうっ! どうして逃げるのー!」


 溜まった怒りが爆発したかのように、ティナは珍しく声を荒らげた。

 レイは思わず肩を揺らすが気づかれない。


「ねぇ。猫ちゃんとの出会いは一期一会なの……」


「うん──ん?」


 いきなり意味のわからないことを口にされ、レイは頭の上にはてなマークを浮かべる。対してそうさせた本人は芯のある声で続けた。


「こんなに猫ちゃんに避けられるなら、さっき公園にいた猫を飼えばよかった……」


「あの子が野良猫である保証はないが?」


「絶対野良だね。私、わかるから」


「何を根拠に……」


 そう言って、呆れながら空を見上げる。

 夏の空はとても青く、海を眺めているような感覚に陥る。燦々と照る太陽は眩しくて、肌を焼くような強い日差しを放っていた。

 そんな時、ふと動くによってレイの目元に影ができる。


 何だ……雲? いや、違う。猫だ!


 建物の屋上から伸びた鉄パイプの上を、バランスをとって歩いている。

 猫自体は安定しているが、それを支える鉄パイプがグラグラと揺れている。

 高さは約10メートル。いくら高いところが好きで着地の得意な猫であっても、重症は避けられないだろう。


「猫ちゃん……触りたい……」


「ティナ!」


「猫ちゃん……触りた──何?」


 ギロリと睨むその目からとてつもない恨みを感じる。

 レイは怯え、「ひッ……」と情けない声を出すが、それどころでないことを思い出して目をカッと見開く。


「そんなに猫に触れたいなら上を見ろ!」


 そう言いながら、ティナの頬を片手で挟むように掴んで先程猫を見かけた方へ向けた。

 それと同時に鉄パイプが傾く──ギギギ、と金属が悲鳴を上げた。


「ティナ!」


 レイが呼び声を上げたときには、すでにティナの姿が視界から消えていた。


 ──ガシャアァン!


 音がした方へ駆け寄ると、ティナは両手を広げて猫を庇うようにしゃがみ込んでいた。

 ふと猫の爪がティナの腕を掠めた瞬間、シャツの袖が裂けて赤い筋が浮かび上がる。


「その傷大丈夫か?」


「傷? ……あははー、見事に引っかかれてるね──でもこの子に怪我がないようでよかったよ」


「ティナ……」


 お前ってやつはどこまで猫のことが好きなんだよ──でも、かっこよかったな。


「にゃァ゛ー!」


 毛繕いをしてすぐの所を逆立てるように撫でると、猫は不快そうな声と共に体を捻ってティナの腕の中から飛び出してしまった。

 ティナは「あっ……」と寂しそうな声を漏らして、見るからに肩をすぼめた。


「その傷、痛まないか?」


「ちょっとヒリヒリするけど、治るまで10分もかからないから!」


「そっか」


 その言葉を最後にしんみりとした暗い空気が沈黙に包まれる。

 少し間を開けて、静寂を破るようにぐぅー、と腹の虫が鳴り響く。


「あ、ああ、あわわ……!」


「もう昼か。飯でも食いに行こうか」


「ち、違うの! これはただ──」


 ──ぎゅるるるるる。


「何食べたい?」


「ラーメンを食べたいかな──じゃなくて!」


 そんな訂正など一言も聞かずにレイは話す。


「ラーメンか、いいな。俺も腹が減ったからちょうどよかったよ」


 そう言って来た道を先に戻る。

「もぉー!」と牛の鳴き声を真似て抗議するが、レイは気にも留めず歩き出す。

 その数歩後で、ティナは顔を真っ赤に染めて歩く。それは怒りによるものなのか、はたまた羞恥心によるものなのかは、本人以外誰も分からないのだった。



     ◇




「あ~、ラーメンおいしかったー!」


 お腹をさすりながら、満足そうに歩くティナ。

 レイは腕を組んで無言で歩いていたが、その口角はほんの少しだけ緩んでいた。


「昼ご飯食べたら元気出た! よし、午後も猫探し頑張ろー!」


 大きな腹の虫が鳴ったことはもう忘れているようで、スキップを踏みながら薄暗い路地裏を突き進む。

 クネクネと複雑な曲がり角を折れた瞬間──


 ──ガンッ!


 ティナの肩が、フードを被った人物と正面からぶつかった。


「わっ、ご、ごめんなさ──あれ?」


 二人を一瞬見たような、見なかったような曖昧な視線で、相手は何も言わずに小走りで闇に消えた。

 ティナはスキップをしていた足を自然と止めて、目を細める。その視線からは先程までの無邪気さは感じられなかった。

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