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黙示樹境界戦―Daemonis Arbor―
黙示樹境界戦―Daemonis Arbor―
ミスミシン
現代ファンタジー都市ファンタジー
2025年07月06日
公開日
1万字
連載中
突如、新宿に現れた“それ”は、誰にも気づかれずそこに存在していた。 空を覆うほど巨大な樹。その幹はすべての攻撃を受けつけず、白い花びらを降らせ、音も匂いも奪っていく。 やがて花びらの中から“悪魔”と呼ばれる異形が生まれ、都市は人の住めぬ終息圏へと変わった。 政府は沈黙し、正義は潰えた――それでも調査者の男たちは、この新宿に足を踏み入れる。 任務でも名誉でもない。ただ、「まだ終わっていない」から。 封鎖された街の中、彼らが遭遇したのは、一人の死者と、六人の学生たちだった。 “自由研究”のためと語る彼らの言葉の裏には、失われた家族への願いがある。 だが、境界線の内側で生き延びるために必要なのは――感情ではなく覚悟だ。 悪魔を斬り、撃ち、喰らう。 「食え。食えば気持ちが落ち着く」 吐き気と共に焼かれるワイバーンの肉。拒絶の先にある、生きるための唯一の道。 それは、“黙示の樹”に挑む者たちの、最初の夜だった。

序章

第1話 白花の黙示

 ソレが何なのか、ソレがいつ出現したものかのか。説明できる者は、どんな学者でもどんな識者でも、誰も居なかった。

 そもそもが出現したときの状況すら誰も説明できないのだから、原因究明などできようはずがない。

 それは本当に唐突に現れ、人間の知らぬ間に成長し、本当に本当に唐突に、殺戮を開始した。

 恐らくは、8月の15日のことだろうと、思われた。日本にとっては大事な日の事だろう。

 思われた、というのは、その日付すら定かではないからだ。

 唐突にそこに現れたそれは、一体いつからあったのか分からないくらいに自然にそこにあった。まるで最初からそこに存在していたかのような、堂々たる姿で、だ。

 だからだろうか、誰もがそれがそこに出現した時間も、日にちも、何も覚えていない。

 ただ分かるのは、諸悪の根元がソレであるという、ただそれだけ。


 それは、何よりも巨大な樹であった。


 それも、建物よりもずっと大きな、近付けば巨大な壁にしか見えないくらいに巨大な、樹。あまりにも大きすぎて何の樹なのかもわからぬ、樹だとわかったのも幹が樹木のそれだからという唯一の研究結果が出たからだ。

 突如として現れ新宿の半分に影を落としたその巨大な樹は、どんなにか伐ろうにもどのような素材の刃も役には立たなかった。チェーンソーだけでなく、この樹のためにどれだけ大きく作られたカッターでも、原始的な斧で地道に切り込みを入れようにも、先にその刃が負けてしまう。

 火を投げても、結果は似たようなものだった。

 複数の火炎放射機を遣って長時間炎で炙り続けても焦げ目のひとつもつかずに燃料が切れ、ならばとガソリンをかけて火をつけても、同じだった。

 最終手段として導入された爆薬は周囲の建物や道路を傷付けるばかりで樹には一切の傷も与えられず、幾度も繰り返された爆破でも揺るがすことすら出来ない。

 これは遂に核を使うしかないのではと、異国の学者は進言した。勿論日本の官僚たちはそれに頷く事は出来ず、戦術核は保留のままに日々は無駄に過ぎていく。


 そうして人々が伐採を諦め途方に暮れだした頃、殺戮は開始された。


 始めは夜間、人知れず人間が消えた。消えた人間が死体となって発見された頃には、第二第三の行方不明者が出る。そうして、犠牲者が増えていくのだ。

 四人目五人目と死者が出れば繰り返しの事だと人々は気付き、すっかりと震え上がり、誰もが夜間に外出をする事はなくなっていた。

 しかし殺戮は止まらず、時には昼間の人気のない路地裏で、時には夜に眠っている間に何者に家に侵入されて殺される。

 犯人の手がかりは一切なく、あるのはまるで食われたように惨たらしく引き裂かれ肉塊へと変えられた人間だったものの残骸だけ。

 人間は必死に犯人を探した。こんなことを出来るのは余程の異常者か、それか化け物だろうと話し合いながら。

 だから、遅れたのだ。

 その化け物から、逃亡するのが。


「まるで雪だな」


 似合わないことを言うな、なんて思いながら、相棒が見上げている先を同じように見詰める。

 空からは花びらが、コイツの言う通り雪のように降り注いで足元を白く染めていた。

 見た目だけなら綺麗なものだ。花びらの一枚一枚は決して大きくはないけれど、量は普通の花が散る時の何倍もある。このまま放置すればもっと降り積もって歩くのも面倒になるだろうけれど、俺たちにはどうすることも出来ない。

 花びらを蹴飛ばすように歩いても、蹴飛ばして見えた地面の部分は直ぐに降り落ちてきた新しい花びらで埋まってしまうから、もう踏んで固めて歩くしかないんだ、この時期は。

 季節は、もうすぐ夏になる頃だ。

 しかしこの巨大な樹のせいで太陽光は一切地上には届かず、この新宿はびっくりするくらいに寒い。お陰で俺もコイツもたっぷりと服を着込んで防寒をしているのだけれど、それでも息は白く濁る。

 おかしいだろう。普通は太陽光が届かない場所であっても、その周囲の気温が高ければ影の下だって気温は高くなるはずだ。

 けれど、そんな常識はあの樹の下ではなんの意味ももたない。ふー、と息を吐き出せば、白い息がふーっと固まって、白い花びらに押し出されて消えていく。

 地上はそんなでも、あの巨大な樹の上部では暖かな太陽光が降り注ぎ、あぁして光合成をしている。

 この花弁は、その象徴のようなものだ。こうして古い花びらをどんどん落として脱ぎ捨てて、あの巨大さに似合いの巨大な花にまで成長する。

 そうして出来た巨大花から産まれるのは芳しい香りなんかじゃなく、血の匂いを撒き散らす魔物だけだ。

 この新宿は、今はゴーストタウンのようになってしまっている。象徴であったという都庁は樹の腹の中に飲み込まれるように埋まり、今はその姿を半分しか確認する事が出来ないし、他の建物も一切の手入れを放棄されて窓は割れているし煤けていたりひび割れていたり。

 人はもう、住んでいない。

 あの樹が出現してからも馬鹿みたいにのんびりと住み続けていた人のうち何割かは、突如現れた異形の生物のはらわたの中。生き延びた人は、賢く我先にとこの地から離れていった。

 残されたのは、かつての栄華の痕跡だけ、だ。

 今この地に入れる人間と言うのはそうは居ない。入ろうとする者だって、そもそも居ない。

 その理由は、この花びらだ。歩き難い事この上ない花びらはまるで雪のように車の進行を阻み、計器を狂わせた。生物の動く音も相殺させてしまうのか音も驚くくらいに少なく、何も分からない間に殺されてしまう事だってある。

 実際、死んでいった人たちはそうやって殺されてしまったんだろうと、思う。

 そんな所は、軍隊だってごめんだろう。

 それに、初夏の今の段階でもこの寒さなんだ、夏以外の季節にくれば骨の髄まで凍えてしまう。

 初夏から秋にかけてはこの花びらが舞い、花びらの舞っていない時期には寒波が襲う。そんな環境では、手を出す出さない以前の問題なわけだ。

 だから今新宿は封鎖され、新宿の近辺の区域も立ち入り禁止とされている。入れるのは特殊な装備を持っている部隊くらいのもので、警察だっておいそれと近づく事が出来ない。

 樹が生えてきた直後にはそこそこ居た「あいつを何とかしたい」なんて言っていた正義感のある志願兵だって、もう1人も居やしないから残念な話だ。

 入れる区域もどこからどこまで、という線引きはない。あるのは、樹の影に入らないだろう範囲、というだけだ。高い高い壁で覆われたその区域の中には、誰も近寄らない。

 近寄れない。

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