朝の霧が、森を薄く覆っていた。 葉の隙間から差し込む光は柔らかく、湿った空気の中に小鳥のさえずりが響いている。
ルルアは、口いっぱいに干しキノコを頬張りながら言った。
「今日は、あの大きな建物行こ? ほら、窓がいっぱいあって、木が中から生えてるやつ!」
ユリクは弓を点検しながら、淡々と答える。
「“図書館”って書かれてたビルだな。昨日の北林の帰りに見かけた。中がどうなってるかは分からないが……崩れてなければ、何かあるかも」
「夢で見たよ」カイナがぽつりと呟いた。「木の中で、声が眠ってた。文字の声……すごく静かで、でもたくさん……」
「文字の声? 本のことかな?」
ルルアが首を傾げながら、食べかけのキノコをユリクに差し出す。ユリクはそれを受け取らず、代わりに空を見上げた。
「星の声が案内してるなら、行ってみる価値はあるな」
そう言ったユリクの言葉に、ルルアがぱちんと手を打った。
「そうと決まれば、お腹が空いては“記憶探索”もできぬ!」
どこかで聞いたことのあるような口ぶりで、ルルアは荷物袋から“今日の食材”を取り出す。
「まずは、昨日見つけた“陽玉イモ”。干したヤツを戻して、と……カイナ、火お願い」
カイナは小さくうなずいて、掌をかざす。 ユリクが拾っておいた古代の火種装置——おそらくは電熱ライターのような遺物——に息を吹きかけるように、手のひらでスイッチを押す。 ほのかに光が灯り、ルルアの手元に赤くあたたかな熱が走る。
「んー、いい子いい子、この火種ちゃん。名前つけようかな。“アカネ丸”とか」
「そのうち喋りだしそうで怖いんだが……」ユリクが苦笑する。
ルルアは古びた金属のフライパンを地面に設置した三脚フレームに乗せ、火の上にかざした。
そこに、陽玉イモのスライス、乾燥した“スモークモスマッシュルーム”、謎の赤い野草“ファイヤーリーフ”を投げ込む。
「これが今朝の“復興ハッシュ”。エコー原野特製、未来と過去の狭間の味!」
カイナがスープの入ったポットをそっと横に置く。
「こっちは……“記憶のだし汁”。昨日の野鳥の骨で煮た。あと、風鈴草の根」
「見た目は……アレだが、匂いは悪くないな」ユリクが鼻をひくつかせる。
「このレシピ、夢の中の“火の家族”が教えてくれたんだよ。……あとで燃え尽きてたけど」
「夢の中」なのに妙に生々しい話に、ユリクも少しだけ苦笑する。
「うん、味は……うまいな。甘いイモと、ピリッとした葉っぱが合ってる」
「でしょ!? わたし、やっぱりこの終末時代で最強の料理人だわ」
「……終末シェフ。いい肩書きだな」ユリクが呟くと、ルルアは満面の笑みで親指を立てた。
カイナはその横で、ひと口、スープを啜ってから空を見上げた。
「……あ。星の声、また近くなってる。やっぱり“あの建物”……」
「よし、腹も満たしたし、“星の声の図書館”に出発だな」
三人は、ススの香る金属フライパンを片づけ、荷物を背負う。
*
3人は、ツタに包まれた“図書館”に辿り着いた。 入口は半ば土に埋まり、扉の代わりに絡みつく植物が行く手をふさいでいたが、ルルアが器用に枝を刈り、道を開いた。
「ここ……湿った木の匂いがする」カイナが囁くように言う。
「ここかぁ……なんか、食べられそうな気がしないなぁ……」ルルアはもぐもぐと干しキノコを噛みながら、器用にナイフでツタを断ち切っていく。
「本を食べる気だったのか、おまえは」
中は暗く、ガラスの屋根から射し込む光が、埃の舞う空間を柔らかく照らしていた。棚は倒れ、本の山が床に積もっている。文字はすでに読めなくなっているものが多かったが、ページを開けば、かすかに「かつての誰かの息遣い」が感じられた。
「わぁ……なんか、時間止まってるみたい……」
棚は倒れ、本が山のように積まれていた。ルルアはそれを見て目を輝かせる。
「これ、ぜんぶ“言葉の詰め合わせ”? お得パックじゃん!」
ルルアは目を丸くして、カビの生えたページをめくる。
「ここは“知る”ための場所だったんだろうな。争いの前、人はこうして記憶を残した。けれど……誰も読まなくなった」
ユリクは崩れた棚の下から、黒くて平たい小箱を見つけた。角に銀の文字が書かれている。《記録媒体 No.7 - 最後の都市会議》。
「これ……古代の記録?」ユリクは慎重に手に取る。
カイナがその箱に触れると、指先から淡い光が漏れた。
——そこにあったのは、声だった。
「我々は、ついに“争わない”ことを選んだ。自己を手放す決断だ。記憶の一部を、星の声に委ねよう——」
その瞬間、図書館の空気がわずかに揺れた。 ユリクとルルアも、はっきりと“記録された声”を感じていた。
「今、誰かしゃべった!?」
「カイナの力だろう。記憶の共鳴……あるいは、この“記録”が、まだ生きてたのかもしれない」
カイナは黙ったまま、遠くを見つめていた。
「夢と同じ声だった。“人は争わないことを選んだ”。でも、その代わりに何を失ったのか……その先が、見えなかった」
ルルアがそっと本を抱きしめた。
「争わないって、いいことじゃないの……?」
ユリクはしばらく黙った後、低く答えた。
「きっと、それは……“失って初めて分かる”ものだったのかもしれない」
*
日が傾き、図書館の屋上で、3人はその日の“収穫”を分け合っていた。 ルルアが野草のスープを煮込みながら、満足げに言った。
「今日の夕飯は、古代の知恵と、野草のブレンドでーす!」
ユリクがくすりと笑い、カイナはそっと、本の一冊を胸に抱いていた。
都市の遺産は、ただのガラクタではなかった。 今も、どこかで眠る“声なき記憶”が、3人の旅路に小さな光を灯していた。
夜空には、星が静かに瞬いていた。 まるで、それらが何かを伝えようとしているかのように——。