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第3話 仕事終わりに女神とBarへ

 夜の21時、オレは本社ビルの前まで戻ってきた。


 飛び込み営業の結果は……惨敗だ……


「うまくいかないもんだなー! でも! これが営業マンの【普通】だよな! さっ! 報告書でも書いちゃうか!」


 惨敗なのに楽しげなオレは、報告書を書くためにビルの中に入り、自分のデスクに向かおうとする。


 すっかり遅くなってしまったので、受付嬢たちは帰っている時間だ。だから、あいつに遭遇することはないだろう。


「おかえりなさい、勇者ダン」


「……」


 首を横に向けると、ロビーのソファに座ったイーリスが小さく手を振っていた。受付嬢の服から、OLらしいスーツ姿に着替えている。紺色のスーツにタイトスカートで、パンスト越しに美しいおみ足が視線を誘導してきた。


 頭を振って冷静になり、あいつの無表情な顔を見る。


「……なぜ、まだいる?」


「勇者ダンを待ってました。健気な少女ですね?」


 言いながら首を傾げるイーリス。自分で言っておいて、よくわかっていないという様子の顔だ。


「知らんがな。なんだそのセリフ。てか、おまえ少女って……」


「飲みにいきましょう、勇者ダン」


「また唐突だな……なんなんだよ、一体」


「今日は金曜日です。花金は私と飲む約束です」


「あ、もう一週間経ったのか。楽しすぎて、曜日感覚なくなってたわ」


「それはなによりです。では、飲みに行きましょう」


「あー……報告書書いてからでもいい?」


「いいですよ。私はずっと待ってます。あなたのことを」


「……なにそれ……遅くなって怒ってる? もしかして」


「いいえ? なぜ怒るんですか? あなたを待つことも楽しいのです。私は」


「さいですか……」


「はい」


 真っ直ぐに、エメラルドグリーンの目で見つめられた。眠たげな顔をしてるし、無表情なくせに、やたらと勘違いさせるようなセリフを吐いてくる。


 オレが童貞だからって、男心を弄んでからかってるのか?


 十代のあの頃なら、勘違いしていたかもしれない。てか、実際、あのときのオレは、こいつの美貌にやられていたっけか。それも遠い昔の話だ。


「……まぁいいや……15分くらいで戻ってくるから、待ってて」


「わかりました。お待ちしてます」


 オレは少しだけドキドキしながら、エレベーターのボタンをポチっと押した。



 15分後、報告書をサクッと書き終えたオレは、エレベーターに乗って本社ビルのロビーへと向かった。エレベーターを降りて待合スペースに向かうと、オレのことを待っている女神様がこっちを見ているのを確認した。立ったまま。


「……」


 気まずいので、小走りで近づく。


「何で立ってるの?」


「勇者ダンが待ち遠しくて」


「……」


 また勘違いさせるようなことを言ってくる。こいつとは何度も冒険したし、そんな仲ではないのに、だ。


「どうかしましたか?」


「いやべつに? どこに飲みに行く?」


「同僚にオシャレなバーを紹介してもらったので、そこに」


「ああ、成瀬さん?」


「そんな名前だった気がします」


「……同僚の名前くらい覚えろよ……まぁいいや。行こうぜ」


「はい。ご案内します」


 ということで、イーリスについて本社ビルを出た。しかし、イーリスのやつがスマホを持って地図を開き、それを時計回りに回転させ始めたので足を止める。


「このバーは、どこにあるのでしょう?」


 首を傾げているので、スマホを貸してもらってオレが先陣を切ることになった。


 女神だから現世のテクノロジーには疎いのか?

 しかし、こいつにはどこかポンコツみを感じる。


 スマホの画面を見ると、成瀬さんが紹介してくれたバーは、オレたちの会社から二駅離れた場所だった。


 地下鉄に乗って、駅から徒歩で数分のバーの前までやってくる。ビルの一階にあるこじんまりとしたバーだった。ドアを開けると、薄暗い落ち着いた雰囲気で、五十代くらいの男性のマスターがシェイカーを振りながら会釈で迎えてくれた。右手に六名ほどが座れるカウンターがあって、左手に二組分のテーブルがある。


 オレとイーリスは、一番奥のカウンター席に並んで座ることにした。オレたち以外の客は、テーブル席に一組しかいない。


「たしかにオシャレなバーだな」


「そうなんですか?」


 適当なカクテルを頼んで会話を始める。


「そうなんですかって、おまえ……オシャレだから来たかったんじゃないのか?」


「いえ、私は勇者ダンを誘うならどこに行けばいいか尋ねただけで。『オシャレなバーに行けば雰囲気が良くなる』と言われたのでココに決めました」


「……」


 なんなんだこいつ、ずっと甘いセリフばっか吐きやがって……

 普通の童貞なら勘違いしちゃってるからな! 気をつけろ!


 冷静になろうと努め、気持ちを引き締めていると、イーリスがカクテル片手にこちらをじっと見つめてきた。


「勇者ダン」


「……なに?」


「雰囲気、良くなりましたか?」


「どういう意味で言ってんだ?」


「男女関係的な意味です。ドキドキしますか? 私のこと、気になってきたりしますか?」


「……は?」


 なにを質問されているのかよくわからなくて、カクテルを一口飲んでから、もう一度、隣のイーリスを見る。


 彼女は、ちょうど、カクテルについたチェリーを摘んだところで、それを唇に運んでいった。


「……ちゅぱっ」


 唇から水音が聞こえたような気がした。実際には上品な所作で音なんかしなかったと思う。でも、イーリスみたいな金髪美人が物を食べてるのって、それだけで絵になるんだな、なんて考えていた。


 ……で、なんだっけ? ドキドキしますか? だっけ?


「はじめて異世界にあなたを召喚したときも、こうして、二人並んで食事を楽しみましたよね」


「へ? あ、ああ……そんなこともあったかもな……」


 さっきの『ドキドキしますか?』という謎質問については言及されず、話題が切り替わった。今日はずっとイーリスのペースだ。


「勇者ダンの異世界転生一回目、その記念すべき一回目は、私による転生でした」


「ああ、高校一年の入学式の帰り道、突然転移魔法陣で転移されたやつだな。おまえと行った世界だから、ベルクラフトか」


「はい。あのときの私は、転生勇者なんてろくな奴がいないと思っていました」


「はは、まぁ、オレを筆頭にろくな勇者はいないかもな」


「いえ、あなたは素晴らしい勇者です。私はあなたに会って、勇者に対する認識を改めたのです」


「なんだよそれ……」


 カクテルを見ながら、遠い目をするイーリス。きっと、こいつは、あのときのことを思い出しているのだろう。

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