「それで、土曜の朝から何か御用ですか?」
部屋着に着替えて髪を乾かし終わったイーリスと、小さな机越しに向かい合った。
さっきまで、玄関で悶々としながら着替え終わるのを待っていたから、めちゃくちゃ気まずい。当然ながら、さっき拝ませてもらった素晴らしい光景は鮮明に目の裏に焼き付いていた。
そんな醜態をさらしたはずのイーリスは、オレとは違っていつも通りの無表情な顔をしている。机の前で正座しているイーリスは、短パンとTシャツ姿で、結構薄着だ。ルームウェア特有の色気がぷんぷんと匂ってくる。
「……」
オレはどうしちまったんだ? こいつはただの相棒、ただの相棒だ。冷静になれ。
「勇者ダン?」
「あ! いやいや! 何か御用ですか、だって? おまえ、このやろー! さっきの転移魔法陣なんなんだよ!」
「勇者ダンの部屋に大量に設置した魔法陣のことですか?」
「そうだよ! あれ、どこに転送するつもりだったんだ!」
「ベルクラフトです」
「は?」
「もう一度、勇者をやってもらおうと思って」
「いやだよ! ふざけんな!」
「なんでですか?」
「何回も言っただろ! オレは、おまえら女神のせいで青春も何もかもを犠牲にしてきたんだ! だから、もう二度と異世界転生はしない! 絶対にだ!」
「それは困りましたね」
セリフとは裏腹にぜんぜん困っているようには見えない。いつもの無表情な顔で、少しだけ首を傾げて見せる。
だから、オレの怒りはヒートアップしていった。
「なにが困っただ! 何が目的だ! 女神イーリス!」
「ベルクラフトにあなたを転生させて、今度は二人で旅をしようと思ったんです」
「なんでだよ! もう魔王討伐はうんざりなんだよ! 魔王が良い人だったとき話が複雑になるし! 普通に疲れるし! 時間もかかるし! いやだいやだ! もう異世界転生なんて絶対にいやだ! 【普通】に暮らさせてくれ!」
「あなたと旅をして、ラブラブしたかったんです」
「……はい?」
訳の分からないことを言われ、頭が冷えていく。
いや……今はオレのターンで……
「勇者ダン、私と一緒にベルクラフトに転生して、イチャイチャしながら冒険しましょう。魔王も討伐しなくていいです。どうですか?」
「ど、どどど、どうですか? やぶさかでは……違う! イヤだよ! そうやって甘い条件を囁いて、結局、『元の世界に戻るには魔王を討伐しなければいけません』みたいな展開になるじゃん! 騙されないぞ! もう二度と転生しない! 絶対にだ!」
なんだか魅力的な提案をされたような気もするが、以前、他の女神に騙されて転生させられたときのことを思い出し、全力で抵抗する。
「そうですか……残念です……」
しゅん……
無表情のイーリスにしては、わかりやすく凹んだ様子を見せてきた。顔は無表情なのに、下を向いてしまう。
なんだよそれ……急にしおらしくしやがって……
「な、なんなのおまえ……昨日から変なことばっか言って……」
「変なこと? ですか?」
「なんか、オレを意識してるとか、気になってます、とか、からかってきてさ……」
「ああ、それでしたら、同僚の……な、なな……」
「成瀬さんな」
「成瀬さんに言われたんです」
「なんて?」
「『好きな相手には、素直に気持ちを伝えるべき』だって。『そうしないと伝わらない』って。へぇそうなんだって思いました。だから、実行することにしたんです」
「……」
「だから、私は自分の気持ちを素直に話しているだけです。どうですか? 伝わりましたか?」
「……」
イーリスのセリフを聞いて、オレはしばらくフリーズしてしまった。オレが黙っていると、イーリスがコーヒーを淹れてくれたので、それだけ静かに飲んで、特に何も答えずに「ほんじゃ……また月曜日に……」とだけ言って部屋を出た。
イーリスは部屋を出るときも無表情で手を振ってきた。オレは振り返さずに自分の部屋に戻る。
ベッドに倒れ込み、天井を見上げながら、つぶやいた。
「なんなんだよ……いまさら……だって、おまえは……」