「くそ! くそ! これもあれも全部おまえのせいだ! 天城!」
「すいやせんした!」
時刻は夕方、オレは上司様に平謝りしながらニコニコと、営業先から帰って来たところだった。朝イチで出たのに、空はもう赤い。随分時間がかかってしまった。まぁ、それもそのはず、契約した保険の内容にミスがあったとかで、大クレームを受けてきたからだ。
「なんで20部屋あるマンションの火災保険の契約内容が1部屋になってんだ!」
「さぁ?」
本当に身に覚えがなかった。オレの担当案件じゃないし。
「さぁ? じゃねー! おまえのせいだ! おまえのせいで火災保険がおりないとお叱りを受けたじゃないか!」
上司様は顔を真っ赤にさせながら、本社ビルの自動ドアをくぐる。
「この保険事故のせいで! あの企業の契約、全部破断になったらどうする気だ!」
「それは困りますね!」
「困りますね。じゃねー! 謝れ!! このウスノロが!!」
「すいやせん!!」
とりあえず、大きく頭を下げておくことにした。オレたちのやり取りを見て、本社ビルのロビーは、静まりかえる。他の社員や受付嬢の視線が痛い。みんな、オレのことを可哀そうなやつを見る目で見ているようだった。
しかし、こんな罵倒、ベルクラフトの四天王、堕天のアーネグラムの威圧に比べたらどうってことはない。赤ちゃんが騒いでるようなもんだ。
「この! いっつも適当に謝りやがって!」
バシン! キレまくってる上司様に頭を叩かれる。しかし、何も感じない。
「いてー! なんだこの石頭!?」
おっと、オート防御障壁のせいか?
すみません。ついクセでいつもオンにしてるもので。
「まぁまぁ落ち着いて。とりあえず、部長に報告しましょ? 上司様」
「くそ! くそ! ヘラヘラしやがって! おまえ! 女連れで出社して、気が緩んでるんじゃないか!」
「へ? はぁ……」
「ちょっと良い女連れてるからってなぁ! 営業成績ドベのおまえに人権なんてねーんだよ! 死ね!」
「ほう?」
上司様が言っているのは、『今朝、イーリスと出社した時のことだろうか?』と考えていると、上司様の後ろから金髪の女性がやってくるのが目に入った。手にはペットボトルを持っている。なにをするのかわかって、すっと回避行動をとった。
「あ、避けた方がいいですよ」
「はぁ!? 何のこと言ってんだ! 天城てめぇ!」
バシャ!
「……は?」
イーリスが上司様の薄い髪に向けてペットボトルの水をぶちまけた。
「勇者ダンに謝りなさい。人間」
「は、はぁ!? なんだこの女!」
上司様がイーリスにつかみかかろうとする。
「おっと、それはいけない」
オレは、すぐに上司様の首根っこを持って、空中に浮かした。
「何する気ですか? 相手は女性ですよ?」
まぁ、女神だけど。この人がイーリスに触れるのはなんかイヤでステイさせる。
「な!? やめろ! 離せ!」
空中でバタバタと暴れる上司様。片手で持ち上げられて驚愕しているようだ。それにしても、この人は何をそんなに興奮してるのだろう?
「イーリス、水をかけるのはやりすぎだ」
「そうでしょうか? 勇者ダンは職務に対して真摯に向き合っていました。それを私と出社したことで侮辱されるのは腹が立ちます」
「ふむ?」
こいつも怒ることあるんだな、と思う。そして同時に嬉しくもあった。
「つまりオレのために怒ってくれたと?」
「そうです」
「へへ……意外といい奴じゃねーか……」
「そうですか? なら結婚してください」
「は?」
「おまえら! 何言ってやがる! はなせ!」
トンッ。
「うっ!?」
うるさい上司様を手刀で気絶させ、その辺の地面に寝転がす。
なんか、とんでもないことを言われた気がしたからだ。
「……結婚とは?」
彼女の発言に言及すべく、イーリスに向き合った。
「私と結婚してください。勇者ダン」
「え? 断る……」
とっさに失礼なことを言ってしまった。でも、それに気づけない。
「……そうですか……理由を伺っても?」
「だって、おまえ女神だし……オレは【普通】の奥さんと、【普通】の家庭を……」
「そうですか……」
寂しそうな顔を見せるイーリス。でも、それが本当に寂しそうな顔なのか、無表情
なこいつからは、正直、判断がつかなかった。
この後、成瀬さんがやってきて、「天城さんは失礼だ!」とか、「イーリスちゃんの気持ちを考えろ!」だとか説教された。気まずくなって平謝りしてから、上司様をお姫様抱っこして自席に戻る。その流れで、今回のクレームについて部長に報告すると、件の大クレームを起こした企業の担当は上司様で、ミスをしたのも上司様だろうということが発覚した。
危うく濡れ衣を着させられるところだったようだ。あぶないあぶない。
そんなことより、さっきのイーリスのことだ。
結婚だって? なんでまた突然……
ここ最近の様子も変だし、成瀬さんにも怒られたし、まさかあいつ……本気でオレのこと好きなの?
……いやいや! そんなバナナ! あいつは女神だし!
オレのことはただの勇者だとしか思ってないって、冒険中に何度も言われたし!
そりゃあさ、あんだけの美人だから? 冒険中に何度か気になったこともあったけどさ? その度勘違いするなって言ってきたじゃん!
だから! 友達だと相棒だと思うようにしてたのに! 勘違いさせないでよね!
「……はぁ……帰るか……」
オレは訓練された童貞だ。ちょっと良さげな雰囲気を出されたって勘違いはしないのだ。
そのはずだった。
考えがまとまらない。
結局オレは、思考するのを放棄して、そそくさと一人で帰宅することにした。