月曜日、暁月は登校せずに春海の家を訪ねていた。
春海は暁月を招き入れて言う。
「しばらくここにいていいよ。……夾助くんが捕まるまで」
……暁月はまた、流々が夾助に刺されて亡くなったという情報を受け取った。
自分は殺人を止められなかった。教会の隣の店で春海からその報を聞いて、暁月は無力感に肩を落とした。それを見て、春海が自分の家に来るように勧めたのだ。
情報は以前と違うところもある。殺人を犯した夾助は行方不明で、学校は休校になった。その違いは、もしかしたら暁月が流々のカウンセリングを邪魔したからかもしれない。
春海の両親は温かな人たちで、小学生の頃からたびたび暁月を家に迎え入れてくれた。理由は、暁月の家庭環境にあった。
春海は自室に暁月を通すと、気づかわしげに問う。
「お父さん、何か言っていた?」
「ううん、何も。普通に朝、出社したよ」
……暁月の父は休校になってもいつもと変わらない。暁月が落ち込んでいるのもたぶん何も気づいていない。
春海は暁月の反応を寂しそうに見ていた。暁月は友人に心配をかけたままというのも恥ずかしくて、参考書に目を戻す。
「勉強でもしよ。受験生なんだし」
春海は眉を寄せたまま、そうだねと相槌を打った。
殺人が起こって家から出られない自分たちができることは、勉強くらいしかないのが空しかった。
裕福な家庭に育った春海の部屋は、二人でテーブルを囲んでも少しも狭いとは感じない。本棚にも豊富に参考書が並べられていて、勉強するには不自由ない。
暁月はここに籠っていることにも意義はあると思っていた。前の時間では今日、高宮が春海に殺人をそそのかす。
……春海が学校に行かなければ、高宮から春海を守れる。そして春海が高宮を抱きしめたりしなければ……自分だって春海を刺したりしないと、思う。
どうしてあんな道具があるのだろう。参考書をみつめながら、暁月は春海を刺した刃物を思い出していた。
あの刃物が目の前に現れたとき、取り憑かれたような気分になった。何かを裁きたい、そんな使命感に燃えた。自分ではどうにも止められなかった。
「……き、暁月」
この殺人の連鎖は、あんなものを持ち込んだ高宮のせいだ。人の手ではどうにもできない曇天を恨むように、高宮を恨んだとき。
「高宮先生のカウンセリング、受けた?」
暁月は突然の雨に打たれたような、肌が粟立つ衝撃を受けた。
「な、に……」
「今朝、高宮先生から一斉にメールがあっただろう? 今回の事件を受けた生徒の心のケアのために、オンラインでカウンセリングを実施しますって」
春海は手元のパソコンを操作しながら何気なく言った。
そういえばと暁月は前の時間で、月曜日にあったことを思い出す。高宮が生徒に配った緊急アンケート。
……休校に変わったことで、生徒に直接話すカウンセリングに変わった?
暁月は今日まだパソコンを開いていなかった。それが幸いだったと思う間もなく、暁月は息せき切って言う。
「受けちゃだめだ! 高宮先生と話しちゃいけない!」
「あ、暁月?」
暁月は思わず、すがるように春海に不安を打ち明けていた。
「あの先生はおかしい! カウンセリングだけで人を殺させるなんて、人間じゃない!」
「ど、どうしたの、暁月……落ち着いて」
「春海、信じて! あの先生は人殺しなんだ! このままだと春海も人殺しにさせられる。……それで、僕も春海を……!」
一度降り始めた大雨のように、まるで狂人のように言葉を吐き出すのをやめられない。暁月はじわりと目がにじむのを感じた。
「だめだ、春海……死ぬな……!」
泣く、と思ったとき、暁月の肩が温かいものに包まれた。
「……わかった」
春海が暁月の背中を抱いていた。その直接的な温もりに、暁月は息を呑む。
春海はしっかりと暁月の正気の糸をつかむように、目をのぞきこんで続ける。
「暁月を信じるよ。先生は、人殺しなんだな? じゃあ高宮先生のカウンセリングは受けない。暁月にも会わせない」
「春、海……」
春海は安心させるように微笑んで続ける。
「ここは安全だ。……僕が先生から守るよ」
その言葉を聞いたとき、暁月は教会で見た聖者のステンドグラスを思った。
暁月はクリスチャンではないけれど、ずっと、何か聖なるものから……そう言ってもらいたかったのだと思った。
春海は暁月が落ち着くのを待ってから、席を立って戸棚から何かを持ってくる。
「睡眠薬だよ。……暁月は何か辛いことがあったんだな? 起きたら話を聞くから、これを飲んでゆっくり眠るといい」
差し出された錠剤を、暁月はぼんやりと受け取った。
春海の言う通り、自分の神経は今ひどく高ぶっていて、休息を必要としている。
そういえばここのところ深く眠れていない……そう思いながら、錠剤を噛んで飲み干していた。
「春海は、さ……」
春海のベッドを借りて横になるうち、心地よい眠気が訪れていた。
ベッドサイドで、春海は微笑んで優しく言う。
「僕はいずれ牧師になるって言ったろ? ……迷える子羊を守るのが使命なんだ」
暁月はまぶたを閉じて、うん、と力なく返事をする。
「……そう信じておいて。愛しているよ、暁月」
友人だった男の愛の告白を、暁月は動かない体で聞いていた。